投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年10月17日(月)10時46分44秒
ザゲィムプレィアさんご紹介の伊藤隆・広橋真光・片島紀男編『東條内閣総理大臣機密記録』(東大出版会、1990)を確認したところ、1944年(昭和19)7月17日、岸信介は東條英機と二回会っているんですね。
そのまま転記すると若干見づらいので、時間だけ漢数字をアラビア数字に変更して〔〕で括っておきます。(p466以下)
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七月十七日(月)
極力本日中に内閣改造を完成せんとする目的の下に、左の通努力す(於日本屋)。
〔07:30 07:50〕
書記官長要談。
〔08:30 09:00〕
岸国務大臣来訪要談。
辞任に関しては、所要の向に連絡の上、更めて回答すべき旨を明らかにして辞去す(此の後、岸国務大臣は木戸内大臣を往訪す)。
〔09:10 09:30〕
小泉厚生大臣来訪、要談、辞表を提出す。
〔09:30 10:00〕
大麻国務大臣要談。
〔10:00 10:45〕
藤原国務大臣来訪要談、軍需大臣就任を受諾す。
〔10:45 11:00〕
佐藤陸軍省軍務局長要談。
〔11:00 11:35〕
大麻国務大臣要談。
〔11:35 13:00〕
岸国務大臣来訪要談。
同大臣は重臣の若干が入閣せずんば、辞表を提出せず、若し重臣が入閣せざる以上は、総辞職を至当とすべく、其の場合に関しては、明日の閣議に於て緊急動議を提出すべしとの要旨の意見を固執して単独辞意を表明せず。
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ということで、東條と岸は午前8時半から9時まで、午前11時35分から午後1時までの二回、合計1時間55分の面談を行っています。
吉松安弘氏の『東條英機 暗殺の夏』では「昨夜、辞表提出を断った岸は、約束通り、この朝八時すぎに首相官邸日本間に来た」「押問答は十時すぎまで二時間にも及んだが、岸はねばり続け、決着はつかなかった」とありますが、事実関係にかなり齟齬がありますね。
ま、合計約二時間は合っていますが。
これは『東條英機 暗殺の夏』が最初に刊行されたのが1984年(昭和59)2月なので、1990年刊行の『東條内閣総理大臣機密記録』を見ることができなかったという事情の反映でしょうね。
「黙れ兵隊!」の虚実(その1)
>キラーカーンさん
>東條英機の父も長州閥の妨害で岩手出身のゆえに大将になれなかったとの俗説もありますので
赤松貞雄の『東條秘書官機密日誌』(文藝春秋、1985)には、
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また、首相の実父英教氏は優秀な将軍でありながら、長州閥華やかな時代だったので、山形有朋元帥、寺内正毅元帥、田中義一大将ら長閥の人々によって早く予備役にされた。恐らく東条さんはことの真相を嫌というほど父君から聞かされていたと思う。したがって首相の壮年時代にあるいは長州出身者に対してその仇討をしたかも知れないのである。そのため、長州出身者の首相に対する反感は強かったように思う。
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などとありますね(p159)。
ま、どこまで当たっているかは別として。
>ザゲィムプレィアさん
『岡田啓介回顧録』を読んでみましたが、文章にあまり軍人らしくないとぼけた味わいがあって、非常に面白いですね。
>筆綾丸さん
>駒組から判断すると、封じ手の可能性が高いかと思われますが、
なるほど。
ありがとうございます。
>Poutine(プーチンヌ)
なかなか可愛らしいですね。
※筆綾丸・キラーカーン・ザゲィムプレィアさんの下記投稿へのレスです。
天龍寺の精進料理 2016/10/15(土) 18:53:19(筆綾丸さん)
小太郎さん
ご指摘のとおり、日本のチェスは三人でするのか、と外国人に誤解されるかもしれないですね。
中央の老人は見覚えはあるものの、名前は思い出せないのですが、タイトル戦における立会人です。立会人は通常、高段位の長老が務めます。写真はおそらく名人戦の一局で、背後の右側は副立会人(現・将棋連盟理事の島朗)、左側は観戦記者(毎日或いは朝日)かと思われます。左側の棋士(森内俊之)の左奥には、棋譜の記録係(通常、奨励会三段以下の者)がいるはずで、右側の棋士は不世出の天才(羽生善治)です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%81%E3%81%98%E6%89%8B
写真は二つの場合が考えられます。一つは、終局後の感想戦に立会人も参加して、勝因や敗因をあれこれ検討しているというものです。もう一つは、立会人が封じ手を開封したところというものです。名人戦のような大きなタイトル戦は、持ち時間が各自9時間もあって二日間に及ぶため、初日の夕刻にどちらかが封じて、翌日の午前、開封されて指し継がれます。この場合、写真の場面は、引用のウィキでいえば、「封じ手の手順」の「7」か「8」にあたります。
駒組から判断すると、封じ手の可能性が高いかと思われますが、この場合、写真は二日目の午前9時(10時)過ぎとなり、もし感想戦であれば、二日目の夕刻ということになります。
http://live.shogi.or.jp/ryuou/kifu/29/ryuou201610150101.html
これは今日、天龍寺で指された「竜王戦」の棋譜で、渡辺竜王が44手目を封じた場面です。夕食は、天龍寺の精進料理でしょうか。
深夜、スマホで将棋ソフトをみれば確実に有利になりますが、もしかすると疑惑の棋士はカンニングするかもしれないという怖れがあり、そんなことにでもなれば、竜王戦に傷がつき、スポンサーの読売新聞が将棋連盟に、疑惑の棋士を休場させろ、と要請したのかもしれないですね。挑戦者の丸山忠久は、本来ならば有り得ないピンチヒッターです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%B3
http://www.rfi.fr/france/20161011-visite-poutine-hollande-syrie-annulee-reactions-politiques
プーチンのラテン文字表記は Putin を、そのままフランス語で使うと putain(売春婦)と同じ発音(ピュタン)となってしまいますが、rfiの記事を読んで、いまさらながらフランスの涙ぐましい配慮がわかりました。当該記事はプーチンのフランス訪問の中止を報じたものですが、Putin は Poutine(プーチンヌ)なんですね。これなら、売春婦に間違われることはありません。
駄レス(続) 2016/10/15(土) 22:59:15(キラーカーンさん)
>>中央の老人
関根茂九段のような気がします。
>>長州閥の卑劣な陰謀家どもが
東條英機の父も長州閥の妨害で岩手出身のゆえに大将になれなかったとの俗説もありますので
ネタとしては面白いですが。
(当時はそこまで「長州贔屓」がなかったという説も聞いたことがありますが)
>>天龍寺で指された
最近は名刹での対局も時折見られるようになりました
昔は名刹での対局が定番でしたが(「南禅寺の決戦」、「高野山の対局」等々)
東條退陣と岸信介 2016/10/15(土) 23:24:40(ザゲィムプレィアさん)
今日、図書館で以下の本を調べました。
岡田啓介,岡田啓介回顧録,中公文庫,2001 改版
岸信介,岸信介回顧録,廣済堂出版,1983
岸信介・矢次一夫・伊藤隆,岸信介の回想,株式会社文藝春秋,1981
伊藤隆他編集,東條内閣総理大臣機密記録,東京大学出版会,1990
岸対四方について小太郎さんの書き込みに付け加えることはありません。
東條退陣と岸信介について自分なりに纏めてみます。
重臣を中心とする倒閣工作に木戸内府が合流(天皇の役割は資料に制約があり何とも言えません)。
東條は内閣改造で重臣を取り込み挙国一致体制を作ると内奏するものの、重臣は一致して(陸軍出身の阿部は立場を異にする)入閣を拒否し、
岸が辞任を認めず、内閣改造失敗を認めて総辞職する。
但し海相の交代以外に藤原銀次郎と小泉親彦が辞任に同意しているので、米内を取り込むことが出来ればそれで内閣改造完了と強弁したかもしれません。
その後で岸は処分できたでしょう。
小太郎さん
ご指摘のとおり、日本のチェスは三人でするのか、と外国人に誤解されるかもしれないですね。
中央の老人は見覚えはあるものの、名前は思い出せないのですが、タイトル戦における立会人です。立会人は通常、高段位の長老が務めます。写真はおそらく名人戦の一局で、背後の右側は副立会人(現・将棋連盟理事の島朗)、左側は観戦記者(毎日或いは朝日)かと思われます。左側の棋士(森内俊之)の左奥には、棋譜の記録係(通常、奨励会三段以下の者)がいるはずで、右側の棋士は不世出の天才(羽生善治)です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%81%E3%81%98%E6%89%8B
写真は二つの場合が考えられます。一つは、終局後の感想戦に立会人も参加して、勝因や敗因をあれこれ検討しているというものです。もう一つは、立会人が封じ手を開封したところというものです。名人戦のような大きなタイトル戦は、持ち時間が各自9時間もあって二日間に及ぶため、初日の夕刻にどちらかが封じて、翌日の午前、開封されて指し継がれます。この場合、写真の場面は、引用のウィキでいえば、「封じ手の手順」の「7」か「8」にあたります。
駒組から判断すると、封じ手の可能性が高いかと思われますが、この場合、写真は二日目の午前9時(10時)過ぎとなり、もし感想戦であれば、二日目の夕刻ということになります。
http://live.shogi.or.jp/ryuou/kifu/29/ryuou201610150101.html
これは今日、天龍寺で指された「竜王戦」の棋譜で、渡辺竜王が44手目を封じた場面です。夕食は、天龍寺の精進料理でしょうか。
深夜、スマホで将棋ソフトをみれば確実に有利になりますが、もしかすると疑惑の棋士はカンニングするかもしれないという怖れがあり、そんなことにでもなれば、竜王戦に傷がつき、スポンサーの読売新聞が将棋連盟に、疑惑の棋士を休場させろ、と要請したのかもしれないですね。挑戦者の丸山忠久は、本来ならば有り得ないピンチヒッターです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%B3
http://www.rfi.fr/france/20161011-visite-poutine-hollande-syrie-annulee-reactions-politiques
プーチンのラテン文字表記は Putin を、そのままフランス語で使うと putain(売春婦)と同じ発音(ピュタン)となってしまいますが、rfiの記事を読んで、いまさらながらフランスの涙ぐましい配慮がわかりました。当該記事はプーチンのフランス訪問の中止を報じたものですが、Putin は Poutine(プーチンヌ)なんですね。これなら、売春婦に間違われることはありません。
駄レス(続) 2016/10/15(土) 22:59:15(キラーカーンさん)
>>中央の老人
関根茂九段のような気がします。
>>長州閥の卑劣な陰謀家どもが
東條英機の父も長州閥の妨害で岩手出身のゆえに大将になれなかったとの俗説もありますので
ネタとしては面白いですが。
(当時はそこまで「長州贔屓」がなかったという説も聞いたことがありますが)
>>天龍寺で指された
最近は名刹での対局も時折見られるようになりました
昔は名刹での対局が定番でしたが(「南禅寺の決戦」、「高野山の対局」等々)
東條退陣と岸信介 2016/10/15(土) 23:24:40(ザゲィムプレィアさん)
今日、図書館で以下の本を調べました。
岡田啓介,岡田啓介回顧録,中公文庫,2001 改版
岸信介,岸信介回顧録,廣済堂出版,1983
岸信介・矢次一夫・伊藤隆,岸信介の回想,株式会社文藝春秋,1981
伊藤隆他編集,東條内閣総理大臣機密記録,東京大学出版会,1990
岸対四方について小太郎さんの書き込みに付け加えることはありません。
東條退陣と岸信介について自分なりに纏めてみます。
重臣を中心とする倒閣工作に木戸内府が合流(天皇の役割は資料に制約があり何とも言えません)。
東條は内閣改造で重臣を取り込み挙国一致体制を作ると内奏するものの、重臣は一致して(陸軍出身の阿部は立場を異にする)入閣を拒否し、
岸が辞任を認めず、内閣改造失敗を認めて総辞職する。
但し海相の交代以外に藤原銀次郎と小泉親彦が辞任に同意しているので、米内を取り込むことが出来ればそれで内閣改造完了と強弁したかもしれません。
その後で岸は処分できたでしょう。
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