投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年12月19日(火)20時51分21秒
一昨日、17日(日)の毎日新聞の書評欄で、私が敬愛する山崎正和氏が「2017 この3冊」として遠藤乾『欧州複合危機─苦悶するEU、揺れる世界』(中公新書)、奥本大三郎訳『完訳 ファーブル昆虫記 全10巻』(集英社)、苅部直『「維新革命」への道─「文明」を求めた十九世紀日本』(新潮選書)を挙げていて、前二冊は良いとしても三冊目には若干の疑問を感じました。
山崎氏は苅部著について、
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日本の近代文化が内発的だったという言説は、従来もあった。だが、著者はおびただしい古典をつぶさに読み解き、貨幣経済と産業振興の思想が江戸時代に生まれたことを確証した。広い文明観と実証研究の模範的な結婚。
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という具合に絶賛されるのですが、この夏に少し検討した限りでも同書の「実証研究」のレベルには疑問を感じます。
ま、年末にわざわざ再論するほどの話でもないので、この記事を見た直後に書いたいくつかのツイートをこちらにまとめておきます。
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今日の毎日新聞書評欄で山崎正和氏が「2017年この3冊」の一つに苅部直『「維新革命」への道─「文明」を求めた十九世紀日本』 を挙げて絶賛しているが、私はあまり感心しなかった。
『「維新革命」への道─「文明」を求めた十九世紀日本』
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ff62b7ebe39230f3acd865565e9ec948
苅部直氏の武井弘一『江戸日本の転換点─水田の激増は何をもたらしたか』の読み方は雑、というか誤読だよね。
『江戸日本の転換点─水田の激増は何をもたらしたか』
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/29f80f692bd7de5a39785d877cf69951
『「維新革命」への道』には近世の飢饉に関する非常に奇妙な記述があって、これは水谷三公氏の『江戸は夢か』を鵜呑みした結果なのだけど、この水谷著に非常に問題が多い。
『江戸は夢か』への若干の疑問
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/6eb788198813c79a40a3cd8da955ed70
水谷三公氏は「アメリカ人学者ハンレー及びヤマムラ夫妻の研究」に依拠しているのだけど、これが肝心の論点でやっぱり駄目。
その駄目な業績に、水谷と苅部が乗っている。
「アメリカ人学者ハンレー及びヤマムラ夫妻の研究が、説得的」(by 水谷三公)
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c56dcc7d20e4efd49b234bfbae182b4a
ハンレー・ヤマムラ夫妻の著書は、それ自体としては悪くないけど、盛岡藩の飢饉については全然駄目。
日本人研究者なら常識的に変だと思うはずなのに、水谷氏も苅部氏もそうは思わず。
盛岡藩は「仁政を完全に欠いた国家」
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/6fa5b4e0e41c133945c885bd4738317f
水谷氏が江戸にのめりこむ動機は野暮ったい戦後歴史学の「貧困史観」への反動で説明できそうだけど、四半世紀前に出た『江戸は夢か』を無批判に受け入れる苅部氏の軽薄さの原因はよく分からず。
E・H・ノーマンと「戦後日本の倒錯した悲喜劇」
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3cb96c7eb79ed8a396a7bb5a8fa0917b
たまたま私は苅部直氏の師である渡辺浩氏の『東アジアの王権と思想』を読んでいて、ずいぶん変なことを言う人だなと思ったけど、苅部氏はその正統なる後継者らしい。
「皇国史観による武家政権観の臭味を帯びない表現を採用」(by 苅部直)
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e3e7d16b53c4196faa65ea0bea225418
師匠が駄目なら、それを無批判に受け継ぐ弟子も駄目、というのが私の最終的な結論です。
一応のまとめ:二人の東大名誉教授の仕事について
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c72b9e6513f8ed3423832948724b2c3b
一昨日、17日(日)の毎日新聞の書評欄で、私が敬愛する山崎正和氏が「2017 この3冊」として遠藤乾『欧州複合危機─苦悶するEU、揺れる世界』(中公新書)、奥本大三郎訳『完訳 ファーブル昆虫記 全10巻』(集英社)、苅部直『「維新革命」への道─「文明」を求めた十九世紀日本』(新潮選書)を挙げていて、前二冊は良いとしても三冊目には若干の疑問を感じました。
山崎氏は苅部著について、
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日本の近代文化が内発的だったという言説は、従来もあった。だが、著者はおびただしい古典をつぶさに読み解き、貨幣経済と産業振興の思想が江戸時代に生まれたことを確証した。広い文明観と実証研究の模範的な結婚。
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という具合に絶賛されるのですが、この夏に少し検討した限りでも同書の「実証研究」のレベルには疑問を感じます。
ま、年末にわざわざ再論するほどの話でもないので、この記事を見た直後に書いたいくつかのツイートをこちらにまとめておきます。
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今日の毎日新聞書評欄で山崎正和氏が「2017年この3冊」の一つに苅部直『「維新革命」への道─「文明」を求めた十九世紀日本』 を挙げて絶賛しているが、私はあまり感心しなかった。
『「維新革命」への道─「文明」を求めた十九世紀日本』
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ff62b7ebe39230f3acd865565e9ec948
苅部直氏の武井弘一『江戸日本の転換点─水田の激増は何をもたらしたか』の読み方は雑、というか誤読だよね。
『江戸日本の転換点─水田の激増は何をもたらしたか』
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/29f80f692bd7de5a39785d877cf69951
『「維新革命」への道』には近世の飢饉に関する非常に奇妙な記述があって、これは水谷三公氏の『江戸は夢か』を鵜呑みした結果なのだけど、この水谷著に非常に問題が多い。
『江戸は夢か』への若干の疑問
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/6eb788198813c79a40a3cd8da955ed70
水谷三公氏は「アメリカ人学者ハンレー及びヤマムラ夫妻の研究」に依拠しているのだけど、これが肝心の論点でやっぱり駄目。
その駄目な業績に、水谷と苅部が乗っている。
「アメリカ人学者ハンレー及びヤマムラ夫妻の研究が、説得的」(by 水谷三公)
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c56dcc7d20e4efd49b234bfbae182b4a
ハンレー・ヤマムラ夫妻の著書は、それ自体としては悪くないけど、盛岡藩の飢饉については全然駄目。
日本人研究者なら常識的に変だと思うはずなのに、水谷氏も苅部氏もそうは思わず。
盛岡藩は「仁政を完全に欠いた国家」
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/6fa5b4e0e41c133945c885bd4738317f
水谷氏が江戸にのめりこむ動機は野暮ったい戦後歴史学の「貧困史観」への反動で説明できそうだけど、四半世紀前に出た『江戸は夢か』を無批判に受け入れる苅部氏の軽薄さの原因はよく分からず。
E・H・ノーマンと「戦後日本の倒錯した悲喜劇」
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3cb96c7eb79ed8a396a7bb5a8fa0917b
たまたま私は苅部直氏の師である渡辺浩氏の『東アジアの王権と思想』を読んでいて、ずいぶん変なことを言う人だなと思ったけど、苅部氏はその正統なる後継者らしい。
「皇国史観による武家政権観の臭味を帯びない表現を採用」(by 苅部直)
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e3e7d16b53c4196faa65ea0bea225418
師匠が駄目なら、それを無批判に受け継ぐ弟子も駄目、というのが私の最終的な結論です。
一応のまとめ:二人の東大名誉教授の仕事について
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c72b9e6513f8ed3423832948724b2c3b
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