学問空間

「『増鏡』を読む会」、第10回は3月1日(土)、テーマは「二条天皇とは何者か」です。

『増鏡』に描かれた二条良基の曾祖父・師忠(その4)

2017-12-21 | 小川剛生『兼好法師─徒然草に記されなかった真実』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年12月21日(木)12時24分23秒

続きです。

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 こたみはまづ斎宮の御前に、院身ずから御銚子を取りて聞こえ給ふに、宮いと苦しう思されて、とみにもえ動き給はねば、女院、「この御かはらけの、いと心もとなくみえ侍るめるに、こゆるぎの磯ならぬ御さかなやあるべからん」とのたまへば、「売炭翁はあはれなり。おのが衣は薄けれど」といふ今様をうたはせ給ふ。御声いとおもしろし。
 宮聞こしめして後、女院御さかづきを取り給ふとて、「天子には父母なしと申すなれど、十善の床をふみ給ふも、いやしき身の宮仕ひなりき。一言報ひ給ふべうや」とのたまへば、「さうなる御事なりや」と人々目をくはせつつ忍びてつきしろふ。「御前の池なる亀岡に、鶴こそ群れゐて遊ぶなれ」とうたひ給ふ。其の後、院聞こし召す。善勝寺、「せれうの里」を出す。人々声加へなどしてらうがはしき程になりぬ。
 かくていたう更けぬれば、女院も我が御方に入らせ給ひぬ。そのままのおましながら、かりそめなるやうにてより臥し給へば、人々も少し退きて、苦しかりつる名残に程なく寝入りぬ。
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井上訳は、

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 今度はまず斎宮の御前に、院が御自身で御銚子を取ってお酒をおつぎになると、斎宮はたいそう心苦しく思われて、すぐには手をお出しになれないので、大宮院は「この杯はたいへんおぼつかなくてすぐには召しあがりそうにもみえませんのに、何か(古い歌謡の「こゆるぎの」にあるように、ほかに)、お肴があってもよいでしょうね」とおっしゃるので、院は「売炭の翁はあはれなり……(炭を売る翁は哀れだ。自分の衣は薄いけれど)」という今様をおうたいになる。そのお声がじつにおもしろい。
 斎宮がそのお杯を上がって後、大宮院はお杯をお取りになるに当たって、「天子には父母がない、と申すそうですが、院が天皇の御位におつきになったのも、このいやしい身が後嵯峨院にお仕えしたからです。(もう)一言お礼の歌をうたわれては」とおっしゃると、人々は「もっともな御事であります」と(答えて、おたがいに)目くばせをして、そっと(肩や膝などを)つつきあう。院は「御前の池なる亀岡に……(御前の池の中の亀岡に、鶴が群れて遊んでいる)」と(祝意をこめた今様を)うたわれる。その後で杯を召しあがる。善勝寺隆顕は「せれうの里」をうたい出す。人々も声を合わせてうたったりして座が乱れるほどになった。
 こうしてたいへん夜が更けたので、大宮院も御自分の御寝所に入られた。院はご酒宴のお座席のまま、うたたねのように一人でおやすみになったので、人々もすこし座を退いて、酒宴で苦しかった疲れで、まもなく眠ってしまった。
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ということで、このあたりも原文には曖昧なところがあり、井上訳を見ないと分かりにくいですね。
大宮院が後深草院にちょっと嫌味を言って、それを聞いた同席の貴族たちは、「「さうなる御事なりや」と人々目をくはせつつ忍びてつきしろふ」のですが、これが前述の政治的状況を仄めかした一文です。
このあたり全て『とはずがたり』の引用ですが、『とはずがたり』と読み比べると面白い違いが沢山あります。
なお、二条師忠の登場はまだまだ先です。
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