学問空間

「『増鏡』を読む会」、第10回は3月1日(土)、テーマは「二条天皇とは何者か」です。

【歌会始】「先見えて」

2013-01-20 | 歌会始
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月20日(日)22時51分11秒

>筆綾丸さん
>鬼門
私が篠弘氏の歌に一番反発を感じたのは、「先見えて」という不吉な表現を平気で使っている点でした。
お題が「立」だからといって、例えば、

八十に なりてこの世の 先見えて 次の世界へ 旅立たむとす

などと詠んでよいはずがありません。
民主主義社会なのだから、国家・社会のために役に立つ歌を作れ、などと野暮なことはいいませんが、せめて皇居での歌会始という公的な場の雰囲気を尊重した歌にしてほしいですね。
「ゆだぬれば事決まりゆく先見えて次の会議へ席立たむとす」みたいな気色の悪い歌は、選者の作品だから他の選者が排除できずに残っただけで、一般人が普通に応募したら、この人は歌会始の意義がわかっておらんね、と一番最初にふるい落とされたでしょうね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

n番目の芸術 2013/01/20(日) 14:06:53
小太郎さん
現代短歌や現代歌人には、ほとんど何の興味もないのですが、選者五人のうち三人(篠弘、三枝昂之、内藤明)が早稲田大学の出身ということには、一体、どんな意味があるのでしょうね。皇居の西北(乾)は少なくとも鬼門ではないけれども・・・。
現代短歌に熱中できる人の気持ちがまったく理解できません。知的な仕掛けも何もなく、ただそのまんまというだけで、第二芸術以下のような感じです。昨今の歌会始などは、長い歴史のなかで、ただ続けておればいいとはいえ、もっともレベルが低いんじゃないでしょうか。

http://book.asahi.com/booknews/update/2012081500001.html
以下は、永田和宏・河野裕子夫妻の相聞歌の如くですが、普通の散文と何処が違うのか、よくわかりません。わずか三十一文字のうちに、同じ語を結婚指輪のようにしつこく反復するのが(最初と最後の歌などは二重の重複で、薬指の他に小指にまで嵌めているようで、この執拗さには身悶えするばかりの凄味がある)、この夫妻の堅い約束、というか、公の秘め事なのか・・・饐えた房事を見せられているような塩梅で、ああイヤだ、老夫婦はソーッと淡々と死んでゆくべきだ、と思いますね。こんな歌を堂々と世の中にさらけ出すほどの度胸は私にはなく、さらにいえば、公表するほどの意味があるとも思えません。

手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が     妻
この人を殺してわれも死ぬべしと幾たび思ひ幾たびを泣きし        夫
あの時の壊れたわたしを抱きしめてあなたは泣いた泣くより無くて     妻
歌は遺り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る         夫
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