投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 6月26日(日)10時01分23秒
講談社学術文庫で佐々木惣一(1878-1965)の『立憲非立憲』が復刻されましたが、これはおそらく石川健治氏の強力な推奨によるものなのでしょうね。
書店で手に取ってみて、正直、佐々木惣一の本文はどうにも古くさい感じがしたのですが、とりあえず石川氏の「解説」を読むために購入してみました。
『立憲非立憲』
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062923668
巻末の31ページにわたる「解説」は、
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一九一六年一月
いまから一〇〇年前、一九一六年の新春を期して、三本の言論の矢が放たれた。それぞれの仕方で大正デモクラシーを演出すべく、あたかも示し合わせたかのように。
一つは、東京帝国大学法科大学で政治学・政治史を講じた、吉野作造の論文「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」である。【中略】
いま一つは、京都帝国大学文科大学で哲学・哲学史を講じた、朝永三十郎の著作『近世に於ける「我」の自覚史─新理想主義と其背景』(東京宝文館、一九一六年一月)。【中略】
そして、ほかの二人に比べても一層華々しかったのが、京都帝国大学法科大学で行政法を講じていた、佐々木惣一の言論活動であった。『大阪朝日新聞』は、一九一六年の元旦第一面を、ひとり佐々木のためだけに提供した。本書の標題にもなった論説「立憲非立憲」がそれである。【中略】
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と始まっていて(p223以下)、「三本の言論の矢が放たれた」という、いかにも石川氏らしい華麗で躍動的なレトリックが見事です。
朝永三十郎(1871-1951)はノーベル賞を受賞した物理学者・朝永振一郎(1906-79)の父親ですね。
この後、「三者の連環」「ハイデルブルクの契り」「イェリネックの影」「『立憲非立憲』の成立過程」「その後の佐々木惣一」という石川氏らしいロマンチックな小見出しに従って物語が展開します。
一番ドラマチックなのはやはり佐々木惣一のドイツ留学時代で、ハイデルブルクにおける三人の交流が詳細に描き出されています。
ま、石川氏の華麗なレトリックの魅力もあって、決してつまらない訳ではない、というか結構面白いのですが、「解説」を読み終わった後でも、百年前の佐々木惣一の著書を復活させる現代的意義がどこにあるのか、私にはよく分かりませんでした。
私の見るところ、石川氏がやっているのは「憲法考古学」ではないですかね。
石川氏自身はもちろん自身の研究に重要な現代的意味があると思っていて、例えば清宮四郎の「違法の後法」という八十年前の論文が、ものすごい理論的射程を持っていて、現代の難問を解決する偉大な力があるのだ、と力説するのですが、私はバッカじゃなかろか、と思っています。
「苦しまぎれにやった」(by清宮四郎)─「窮極の旅」を読む(その35)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ae3ac8c2d691fa04bb1adb15a675d757
まあ、時代は全く変化しているのですから、清宮四郎の古い論文を読んだところで現代的課題は解決できないのは明らかであり、石川氏が清宮四郎に関してやっているストーカー的研究は、現代的意義は特にない「憲法考古学」じゃないですかね。
「憲法考古学」が言い過ぎだとしたら、「憲法郷土史」と言い換えても良いと思います。
佐々木惣一や清宮四郎は、当時の日本においては秀才中の秀才で、ヨーロッパに留学して当時の最先端の学問に触れ、それぞれの才能を精一杯生かして立派な学問的業績を上げた人たちですが、評価の視点を日本ではなく世界に広げてみれば、当時においても所詮は学問的に遅れた辺境地域の二流・三流知識人ですね。
その学問がいかに形成されたかをどんなに詳細に再現しても、結局は郷土の偉人の顕彰以上のことはできないと思います。
>筆綾丸さん
新書では物足りなくなって、宇野氏の論文集『政治哲学的考察─リベラルとソーシャルの間』(岩波書店、2016)を読み始めました。
硬い文章ですが、こちらの方がむしろ分かりやすい箇所も多いですね。
レスは後ほど。
小太郎さん
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来週発売の新刊「保守主義とは何か」の見本刷りが届く。食卓に置いておいたら、小2の次男が読んで(眺めて?)いる。「なかなか面白いよ」とのこと。どのへんがと聞いたら、「出てくる名前が面白い」。小2も推薦、ぜひご期待を。
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早熟な小学2年生に敬意を表して、早速、購入しました。
ザゲィムプレィアさん
ありがとうございます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%B4%E5%83%8D%E5%85%9A_(%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9)
ヨークシャーは白薔薇、労働党のシンボルは赤薔薇ということなんですね。トーリー党に対して、ホイッグ党の流れを汲む自由党はほとんど消滅状態のようですね。
EU離脱派(Leave)の勝利に刺激され、日本でも憲法をめぐって、Remain(護憲派)と Leave(改憲派)の対立に拍車がかかるかもしれないですね。
http://www.bbc.com/news/politics/eu_referendum/results
国論を二分するほど大きな問題でも、Turnout(投票率)は72.2%で、約30%は投票に行かない、というのは面白い現象です。日本の国民投票でも、ほぼ同じような結果になるかもしれないですね。
T・S・エリオットいわく 2016/06/25(土) 23:03:34
宇野重規氏の『保守主義とは何か─反フランス革命から現代日本まで』を読みました。
チェスを連想させるのでチェスタトンは面白く、オークションのようなオークショットは面白く、エリの夫を連想させるのでエリオットは面白く、ハイエナのようなハイエクは面白い。これらが、小学2年生が「出てくる名前が面白い」と感じた理由ではあるまいか。
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興味深いのは、エリオットが英国の文化をサブカルチャーとして位置づけていることである。彼にとって、英国教会がローマ・カトリックから独立したことは、いわば英国文化がヨーロッパのメインカルチャーから離脱したことを意味した。その意味で、英国文化はまさしくサブカルチャーであった(この場合の「サブカルチャー」はもちろん、現代日本でいう「サブカルチャー」とは異なる。あくまでヨーロッパのメインカルチャーに対するサブカルチャーとしての英国文化と意味する)。
この場合、この離脱が良かった、あるいは悪かったと評価するつもりはないとエリオットは強調する。また、サブカルチャーが必ずしもメインカルチャーに劣るともいわない。ただ彼は、メインカルチャーから離れることでサブカルチャーが損なわれると同時に、メインカルチャーもまた構成要素を失うことで損なわれたと述べるのみである。ここにヨーロッパと英国の関係についての、彼のニュアンスに富んだ評価を見てとることができるだろう。(76頁~)
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T・S・エリオットがEU離脱の国民投票を論じているようで面白いですね。
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ハイエクはこのような法観念の下に「法の支配」を強調した。ハイエクによれば、法の支配が発展したのは十七世紀イングランドである。ただし、興味深いことに、ハイエクはその起源を中世ヨーロッパではなく、古代ギリシアにおける「イソノミア」に見出す。この言葉は「デモクラシー」よりも古く、デモクラシーが「民衆による支配」を意味するとすれば、イソノミアは「市民の間の政治的平等」を指すものであった。
この言葉は十七世紀イングランドに導入され、やがて「法の前の平等」や「法の支配」といった言葉に置き換えられていく。人民は恣意的な国王の意志ではなく、法によって支配されるべきである。この観念の定着によって、はじめて英国における近代的自由が発展していったというのが、ハイエクの思想史観である。ハイエクの思想史では、デモクラシー(民主政治)より、はるかにイソノミア(法の支配)が重視された。ハイエクの見るところ、権力による恣意的な立法の危険性は民主政治ではむしろ大きくなる。個人の自由を守るのは、権力を拘束する上位のルールを重視する「法の支配」の伝統であった。(92頁)
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フランスではラテン語起源のエガリテがエガリテとして現代まで続いているのに、イギリスではギリシア語起源のイソノミアがイソノミアとして残らず、なぜ「法の支配」という理念に置き換えられたのか。ハイエクを読めばいいのでしょうが、宇野氏の説明を読むかぎりでは、その論理過程がよくわかりませんでした。
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