投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年12月22日(金)12時52分57秒
話を少し整理しておくと、後深草院の異母妹の前斎宮(愷子内親王)は仁和寺近くの衣笠殿にいて、後深草院の母の大宮院が自分の御所の亀山殿に前斎宮を呼んで対面し、その場に後深草院も同席させることにした訳ですね。
一日目は後深草院が亀山殿の大宮院を訪問し、二人で対面。
二日目の夕方、大宮院が衣笠殿の前斎宮へ迎えの牛車を出し、その牛車で来た前斎宮と大宮院が対面。その席に後深草院が呼ばれます。
この夜は若干の酒と食事で三人の対面は終わりますが、自室に戻った「けしからぬ御本性」の後深草院は「なにがしの大納言の女、御身近く召し使ふ人」に相談し、その女房が「いかがたばかりけん」(どううまく取りはからったのであろうか)、上手に仲介して、後深草院は前斎宮と同衾。
三日目、昼から三人が対面。この日は善勝寺大納言隆顕が宴席の準備をして御馳走を提供。また、後深草院・西園寺実兼らが楽器を演奏したり、今様を歌ったりして夜更けまで賑やかに過ごします。
さて、『とはずがたり』では「いかがたばかりけん」で誤魔化さず、後深草院二条が仲介に活躍する様子が具体的に生き生きと描かれているのですが、ここまでは基本的なストーリーの流れは『増鏡』でも変わりありません。
しかし、三日目の夜、『とはずがたり』では二条が後深草院は再び前斎宮のところへ行くだろうと予想していたのに、後深草院は「酒を過して気分が悪い。腰をたたいてくれ」などと言って寝てしまいます。
他方、『増鏡』では後深草院は再び行動を起こします。(井上宗雄『増鏡(中)全訳注』、p223以下)
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明日は宮も御帰りと聞ゆれば、今宵ばかりの草枕、なほ結ばまほしき御心のしづめがたくて、いとささやかにおはする人の、御衣など、さる心して、なよらかなるを、まぎらはし過ぐしつつ、忍びやかにふるまひ給へば、驚く人も無し。
何や彼やとなつかしう語らひ聞こえ給ふに、なびくとはなけれど、ただいみじうおほどかなるに、やはらかなる御様して、思しほれたる御けしきを、よそなりつる程の御心まどひまではなけれど、らうたくいとほしと思ひ聞え給ひけり。長き夜なれど、更けにしかばにや、程なう明けぬる夢の名残は、いとあかぬ心地しながら、後朝になり給ふ程、女宮も心苦しげにぞ見え給ひける。
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井上訳は、
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明日は(斎宮<以下女宮という>も衣笠へ)お帰りになるとのことなので、今宵一夜だけの機会に、旅寝の夢をともにしたいものだという御心が抑え難くて、たいそう小柄でいらっしゃる後深草院が、お召物などもそのつもりでしなやかなものを着て、他の物音とまぎらしながら、そっと行動なさるので、目をさます人もいない。
(女宮に)なにやかやと親しみをこめてお話しなさると、御心も従い寄るというのではないけれども、ただたいへんおっとりと、柔和な有様で、放心したような御様子を、お会いになる前ほどの激しいお心とまではいかないが、かわいらしく、いじらしいと思い申しなさる。長い夜だが、夜更けからお会いになったせいか、ほどなく夜が明けてしまった夢のような逢瀬の名残は、まことに物足らぬ気持はするが、しだいにきぬぎぬの別れをなさるころには、女宮もお別れがつらそうに見えた。
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ということで、ここは『とはずがたり』の引用ではなく、『増鏡』が独自に創作した部分です。
さて、この次にやっと二条師忠が登場します。
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