投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年10月26日(土)21時06分59秒
『戦国大名の「外交」』を読んでいる途中で、自分は起請文について何も知らないなあと思って一年前に出た呉座勇一氏の『一揆の原理 日本中世の一揆から現代のSNSまで』(洋泉社)を今ごろ読み始めたところ、非常に面白かったですね。
中世人の宗教感情については私もそれなりに醒めた見方をしていたつもりなのですが、呉座氏のドライさに驚嘆しました。
参考文献の論文をいくつか読んだ上で、こちらでも検討してみるつもりです。
中島岳志氏の書評
>まるしまさん
筆綾丸さんはツイッターをやらない方なので代わって御連絡しましたが、催促したみたいで悪かったですね。
※まるしまさん(丸島和洋氏)の下記投稿の次に書きました。
追記 2013/10/26(土) 17:29:03(まるしまさん)
一点だけ。
西欧では、マビヨンの「De re diplomatica」が古文書学の嚆矢とされ、「外交」の原語 diplomatica は二つ折りの文書を意味しますが、戦国期の日本の外交書状は「折紙」ではなく「竪紙(堅切紙)」だというのは、どうでもいいようなことながら、面白い現象ですね。(もっとも、竪紙(堅切紙)も折封に入れるためには折ることになるから、di(tri・・・)は共通するわけですが)
上記ですが、基本的に中世の書状は切紙です(そう書きました)。また竪紙も、封をした後に縦に折りたたむこともありますが、さほど多くはありません(折封とは封紙の上下の部分を折る、という意味です。現在の封筒と比較するならば、ベロが上下にある形です)。
ですので、これは完全に誤解です。日本の「外交」書状のあり方と比較をするのなら、東アジアのそれと比較するのが本筋で、ここでヨーロッパの話を持ち出すのは、いささかヨーロッパ中心史観なのではないかと懸念します。
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