書き下手(べた)どころか上手い豪族。
(部曲(かきべ)・田荘(たどころ))(豪族)
[ポイント]
1.豪族の私有地を田荘といい、これを耕す豪族の私有する農民を部曲という。
[解説]
1.部(べ)は大王家や豪族に隷属(れいぞく)して生産に従事した労働集団。部に編成された農民・技術者が部民(べのたみ)である。部民には他に田部(たべ)、品部(しなべ(ともべ))、子代(こしろ)・名代(なしろ)をあわせおもに5種類ある。
2.部曲は、豪族の私有地田荘を耕作する農民で自然村落を単位として編成された。所有者である豪族の名を冠して蘇我部(そがべ)・大伴部(おおともべ)などと呼ばれた。
3.皇室の直轄領を屯倉といい、ここを耕作する農民を田部という。朝廷の管理下にあり、渡来人や国造(くにのみやつこ)支配下の民を割(さ)きとり集団移住させて編成された。
4.朝廷・大王の私有民に品部、子代・名代がある。后(きさき)・皇子らの名を冠(かん)し長谷部(はせべ)、あるいは職名を冠し錦織部(にしごりべ)などのように呼ばれた。そのうち品部は伴造(とものみやつこ)に指揮される朝廷に所属する渡来系技術系部民である。子代・名代は皇室のためにおかれた部民だが、その区別などなお不明なことが多い。
5.なおまた豪族などの氏集団は部民に加え、奴隷として使われる奴()を私有した。
〈2016早大・人間科学
さらに庸や調の徴収にあたっては、g畿内は畿外に比べて優遇を受けていた。これは、畿内の勢力が畿外を支配する形態をとったヤマト政権の構造がそのまま律令国家にも引き継がれたことを意昧している。このように、古代国家は中国な支配体制をそのまま導入したわけではなく、h氏族制など律令制以前からの制度を温存しつつ律令制を受け入れたとということができる。
問7 下線部g畿内にあてはまらない国はどれか、1つ選べ。もし該当するものがなければ、カをマークせよ。
ア大和 イ近江 ウ和泉
エ摂津 オ河内」
問8 下線部h氏族制など律令制以前からの制度に関して述べた文として、誤っているものはどれか、1つ選べ。
ア 筑紫国造磐井の反乱を契機に、屯倉が設置された。
イ 豪族に属する部民を部曲、私有地を田荘といった。
ウ 地方豪族には君や直などの姓が与えられた。
エ 四等官制に基づく郡司の地位が、地方豪族に与えられた。
オ 伴造が職掌に応じて王権に奉仕した。
(答:問7イ、問8エ)〉
〈2015センター試験・日本史B:「 問3 下線部c古墳時代には列島各地を政治的に統合したヤマト政権が誕生するにいたるに関して述べた次の文a~dについて、正しいものの組合せを、下の1~4のうちから一つ選べ。
a.ヤマト政権を構成する豪族らは、氏として組織化された。
b.ヤマト政権は、列島各地に田荘とよばれる直轄地を設けた。
c.『魏志』倭人伝によれば、倭の五王は中国の北朝に朝貢した。
d.大王や王族に奉仕する部民として、名代・子代が設定された
1a・b 2a・d
3b・c 4b・d」
(答:2 ※b田荘は豪族の所有地、c『魏志』倭人伝→『宋書』倭国伝)〉
〈2015早大・文
古代の人々が、「田」と呼ばれる土地とどのように向かい合ってきたのかは、歴史を学ぶ場合、重要な課題となる。
まず、『日本書紀』が記す「改新の詔」には、a「田荘」の廃止や、「田の調」の徴収などがうたわれている。この「改新の詔」をそのまま信用することはできないが、律令制以前における「田」の実態の一面を間接的に伝えたものであろう。
問1 下線aの語句は何と読むか。平仮名で記述解答用紙の解答欄に記入しなさい。
(答:たどころ)〉
〈2013青山学院・文
問6.下線部e種々の技術に関連して、このような技術を大陸からもたらした人々には伴造に従い、大王家・朝廷に所属して、それぞれの職能に応じて奉仕したものもいたが、この人々は何と呼ばれたか。下から選べ。
1.部曲 2.品部
3. 4.舎人」
(答:2)〉
〈2012早大・文化構想
下線d次第にその領域を拡大していったについて。畿内の王権が地方に進出し、その直轄領としたところはなんと呼ばれるか。記述解答用紙の解答欄に漢字で記入しなさい。」
(答:屯倉)〉