重祚光彩貢献しょ。
(重祚)(皇極(こうぎょく)・斉明(さいめい))(孝謙(こうけん)・称徳(しょうとく)
[ポイント]
1.重祚は史上、皇極=斉明天皇、孝謙=称徳天皇の2例のみ。
[解説]
1.皇極天皇は舒明天皇の皇后から天皇になった、中大兄・大海人両皇子の母。
2.皇極上皇は孝徳天皇の死後重祚して斉明天皇となり、蝦夷征討と百済救援を行う。
3.孝謙上皇が僧道鏡を寵愛するようになると、上皇と淳仁天皇・藤原仲麻呂とが対立するようになった。そこで764年、恵美押勝(藤原仲麻呂)が、道鏡を除こうとして反乱を起こし鎮定された。
4.孝謙上皇は重詐し、称徳天皇となり、僧道鏡も権勢を振るうが、上皇の死去により道鏡は失脚した。
〈2016関西学院大学・全学部
問3.下線部c勝宝感神聖武皇帝に関連して、誤っているものを下記より選びなさい。
ア 天武天皇の孫である。
イ 父は文武天皇である。
ウ 母は藤原宮子である。
エ 元正天皇の譲位を受けて即位した。」
(答:ア×天武の孫は文武天皇。天武・持統天皇の子草壁皇子が文武の父。父早逝のため、幼い皇子(文武天皇)への間を文武の母元明天皇、文武の姉元正天皇がつないだ)〉
〈2016明大・文
問10 下線部ク聖武天皇について述べた文として正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
1 聖武天皇の遺品は、正倉院宝庫にのこされている。
2 聖武天皇は、恭仁京・難波宮・近江大津宮に遷都した。
3 聖武天皇の時に、三世一身の法と墾田永年私財法が実施された。
4 聖武天皇は、淳仁天皇に譲位した。」
(答:1、※2×大津宮→紫香楽宮、3×三世一身法723年、即位724(~49)年、4×淳仁→孝謙)
〈2016立教大・文
問2.この斉明天皇は重祚している。次の重祚1・2について、空所〈あ~う〉それぞれにあてはまる適当な語句を、下記のa~hから1つずつ選べ。ただし同じ記号を2度用いてはならない。
1〈 あ 〉天皇 → 斉明天皇
2〈 い 〉天皇 → 〈 う 〉天皇
a.皇極 b.孝謙 c.光仁 d.弘文
e.淳仁 f.称徳 g.舒明 b.仁明」
(答:あa、いb、うf)〉
〈2014早大・教育:「
問5 下線部d8世紀ににわかに台頭してきた宇佐の八幡神は皇位にかかわる託宣を下し、この神託の判断をめぐって大きな混乱が巻き起こったについての説明で正しいものはどれか。
ア 孝謙天皇の重祚をうながす神託が下された。
イ 神託を確かめるために藤原百川が宇佐へ派遣された。
ウ 神託後、日本史上初の法王が誕生した。
エ 石清水から宇佐へ勧請された八幡神が猛威をふるった。
オ 神託によって皇位につくことをうながされた人物は、下野薬師寺に追放された。」
(答:オ ※ア×孝謙天皇の重祚ではなく、道鏡の皇位就任の神託が下された。イ×神託を確かめるために宇佐に派遣されたのは藤原百川ではなく、和気清麻呂である。ウ×道鏡が法王になったのは766年、宇佐八幡宮の神託が下ったのは769年なので、道鏡が法王になったのは、神託の後ではなく前である。エ×石清水八幡宮から宇佐に勧請(神仏の分霊を請じ迎えること)されたのではなく、平安時代初期、宇佐八幡宮から石清水八幡宮に勧請された)〉