29年前の今頃、我が家は西宮に住んでいました
海岸寄りで、壊れた高速道路も歩いていける距離の所
その年の3月にトトさんの転勤で関東に移りました
西宮時代の友人知人も被災しました
息子やプーさんの友達家族ももちろん大なり小なりの被害がありました
毎年この日が来ると、私が見聞きした阪神淡路大震災の事や、友人知人の事を思い出します
トトさんの転勤が一年ずれていたら、自分たちも被災したはずです
私がせっせと防災用品を揃え始めたのは、28年前からです
ヘルメットを家族の人数分
それぞれが持つキーホルダーにはホイッスルをつけて、ホイッスルの中には耐水ペーパーが入っていて、名前や住所、血液型を記入
サイドポケットのある大きめのリュックに、懐中電灯やヘッドライト、タオル、ビニール袋、ゴミ袋、木綿のロープ、滑り止めのついたゴム手袋、マッチ、ライター、蝋燭、ファーストエイドの一揃い、乾電池、小銭、使い捨てカイロ、生理用品、缶パンなど
そして、子供が小さかったので、小さなオセロセットとトランプもリュックに入れました
地震の後、あっという間にコンビニやスーパーの飲料水が無くなったと、後から友人から聞きました
友人は残っていた缶ジュースをいくつか買い、子供がトイレを使った後にジュースを流したりしたとも
だから、もちろんペットボトルや缶入りの非常用水も備えてきましたし、しばらくはお風呂の水も翌日夕方まで溜めっぱなしにしていました
お風呂の残り湯を一日置くことは数ヶ月でギブアップ・・・湿気でカビがすぐに発生するようになったからです
給水車から水をもらうための、給水タンクも2個購入
食料品も、缶詰は少し余分に置くようになりました
被災して長い間断水が続いた友人の体験談から、私が気をつけるようになったのは、ホームベーカリー用の粉類を常にストックすること
ホームベーカリーの内釜はテフロン加工してあります
洗わなくても、軽く拭くだけで次々にパンを焼くことができて助かったそうです
炊飯器は、米を研ぐ必要があるので、なかなか使えなかったとか
以前から洗わずに水を足すだけで炊飯できる無洗米は使っていました
震災後は、無洗米の使う頻度も増えました
あれから28年、その後東日本大震災も起きました
その日の朝、私とトトさんは入院している父を見舞うために鹿児島入りしていました
プーさんは海外出張中
息子の一家は被災しました
被害は小さかったものの、停電の後のさらに計画停電、福島原発の不安など、緊張の日々でした
私は、東日本大震災以後、首都圏で出かける時は、靴に注意をするようになりました
帰宅難民になった友人が、夜通し歩き続け、パンプスだったので、ひどいマメを作って痛くて辛かったと言っていたからです
足元のオシャレしたい時は、替え用に軽くて歩きやすい紐靴を持ち歩いています
ところで、プーさんの体験談
パリではパンプスなどを家から履いてレストランとか劇場に行く人はとても少ないのだとか
ダサい😓 と、言われるそうです
みんなスニーカー
そして、目的地で履き替えるのだとか(これが一番オシャレなのだとか)
パンプスなどを家から履いて出る人は、ワーキングウーマンぐらい(確かそのような事を言っていました)
オシャレの基準も変わったものです😵
小学6年生だった息子が、40歳になりました
阪神淡路大震災が起きた今日や、3月の東日本大震災、9月の防災の日など、年に数回防災備品の見直しをしています
日頃はすっかり忘れてノー天気に暮らしています
でもこの日ばかりは亡くなった人たちの冥福を改めて祈り、いつか我が身に起こるかもしれないと、その時慌てないようにしようと思うのです
皆さんの防災意識と準備はどんな感じなのでしょう