人形館を出ると 右手にお土産屋さん兼観光案内所があった。 今日の宿のチェックインは六時半の予定。 まだ一時間半ほどのゆとりがある。
「どこかお勧めの散策コースはありますか?」
で 勧められたのが寺の町いいやまを歩くコース。 飯山は雪国の小京都と呼ばれるらしい。どちらも好きだけれど 飯山を京都と呼ぶのはちょっと。。。である。 京都は京都だし 飯山は飯山 あんまり共通点を感じない町だった。
寺が多いのがその理由らしい。 京都を代表するものが寺というのもちょっと。。。
地図をもらって歩き出す。 人形館の裏手の道を上がっていくといくつかの寺を巡りながら 飯山の駅に出るのだと。 それから 阿弥陀堂だよりのロケに使われた正受庵もその中に入っている。
愛宕町雁木通り 雁木 いわゆる雪対策に作られた庇。庇の下を廊下のように通ることができるように工夫されている。
観光用に作り直された感があるけれど長さ300メートル続く雁木通りには 11もの仏壇屋も集まっている。 別名仏壇通り。
そんなに大きな町ではないのに 人工に釣り合わないお寺の数や 仏壇や・・・ この地方の人は特別に信心深いのだろうか? 厳しい自然の中で 人事を尽くした後は神仏に祈るしかない。。。と言うところだろうか? それとも歴史的なものがあるのかもしれない。
まず人形館の真上の寺に行ってみる。
あ これは 別のテーマのお寺のようだ。 七福神めぐりと言うコースもあって この寺は大黒様のお寺だった。 両方は無理。
もう一度道路に戻って 一つ先の道を上っていく。展示試作館”奥信濃” ここはお休みだったのでどんな所かわからないけれど純金極楽トイレは必見と書かれている。 はぁ~ぁ
とても小ぶりだけれど確かにマツムシソウ。 三河マツムシソウみたいな 小さな花
光運寺 あれ~ 見落とした模様 武田家の末裔が建立した寺らしいのに
最初この寺ができたときは真言宗のお寺だったそうでその後本願寺11代顕如上人に帰依して本願寺のお寺に変わったのだそうな。 そんなことあるんだね?
飯山城主がこのお寺に帰依され お母さんもここに埋葬されているので 特別なお寺だったのかもしれない。
特別なお寺と言えば なんだか兵隊さんのような銅像が見えるでしょ? レルヒ将軍と言って 住職に一本スキーの技術を教えた人なんだって。 この寺の参道に一番最初にシュプールがついたって なんだかおもしろいね。 歴史的な第一歩?明治45年 1月23日のことだって。 つまりこの日が長野県スキー発祥年と言うことです。
元々天台宗のお寺だったけれど 親鸞が越後から関東へ行く途中に帰依して 浄土真宗のお寺に
場所もここのあったわけではなく二度三度お引っ越し
大正9年には山門と鐘楼だけを残して焼失。 その後立派な本堂が作られた。緑濃いお寺は 苔と紅葉で有名だそうだ。
坂のある車道を上っていく。
こじんまりしているけれど 綺麗なお寺 法然上人の開祖によるこのお寺は歴代の藩主の菩提寺だそうで 松平家や本田家の墓所がある。
松平? 本田? ここでこんな名前を聞くとは。。。
徳川家康からもらった黒本尊はこのお寺の秘仏だそうだ。どんなんやろ? 真っ黒け?(この罰当たり目!って声が少し聞こえた)
立派な蓮田にめを奪われたが 少し奥へ行くとお寺があるとのことで ええい ついでだ
明昌寺 これこそかわいらしいお寺 中から優しいお庫裡さんが出てきそうな・・・こういうお寺好きなんだけれど
戻って蓮田を鑑賞。 道の脇に一杯植わっている。奈良沢の休耕山を生かして蓮田を作ったそうだけれど
珍しいよね コスモスとかひまわりばかり見ていたからね
さぁ いよいよ正受庵です。 このお寺は阿弥陀堂だよりの中で重要な場面として出てきました。 癌で余生を送っている幸田先生の住まいでした。 静かにそのときを迎えるこの空間は先生の心と同じように静かで美しかった。
実を言うとこのお寺は 長野県の史跡になっているんです。 それを撮影に提供するとは・・・・おかげで美しいものが見られましたが
恵端禅師正受老人は飯山城主松平忠友倶の熱い帰依を受けてこの庵に生母と一緒に住むようになった。その後優れた弟子を育て臨済宗の基を築いたのだそうです。
さすがにこの賽銭箱は 映画には出てこなかったけれど。
これは手水だろうか? 黒光りした石は自然の中でえぐられてできたと思われる(rolling stone)のような存在感がある石だった。 障子越しに見えるこの石はとてもすてきだった。
庫裡の方から 人の話し声がする。先に進むのもためらわれて ここで帰ることにする。
電車で戸狩野沢温泉まで行かないといけない。 乗り遅れると大変なことになるので 帰り道を急ぐことにする。
標識がわかりにくくて農作業のおじさんに道を尋ねる。
ひたすら降りていけば良さそうだった。 線路手前に西敬寺
このお寺の所蔵品の聖徳太子は このお寺の開基が親鸞聖人の弟子になった記念に掘ってもらったもので武田信玄の身代わりになったと伝えられている。
さて 急げ~
自家用車でないと 時間配分が難しくて 汗かき 汗かき・・・・
信玄の落とし処って言うのもあったよ。
何を落とすんだか・・・・・
なが~くなりました。
あしからず。