神戸の大銀杏の後は 大通りまで出ます。 隣の集落小菅は尾根の向こうです。
集落の入り口に大きな鳥居が・・・「仁王門?」「いやいや 仁王門はもっと奥です。」 パンフレットを見ていたからとはいえ仁王門と鳥居と間違うなんて。。。。あほや で写真も取り損ね
今思えば 鳥居は神社の入り口だから小菅神社のものだよね? 二の門と書いてあった。
運転手さんお勧めの仁王門はだいぶん登ったところにあった。仁王門は何処のお寺の門なんだ?
小菅山元隆寺の西門だという。中世に飯綱 戸隠と並んで北信三大霊場として栄えたとある。 この門の位置は変わっていない。お寺は残っていない。 後から行く杉並木に護摩壇が残るだけだそうだけれど往時は庭は池泉回遊式庭園を持ち大書院や大広間を持ち茅萱の立派な御殿だったそうです。梅鉢積みと呼ばれる広報で白の石垣専門の石工たちが積んだ立派なお寺は広い上に部屋数が多くてなかなか奥座敷に着けなかった と言われるから どのくらい大きかったのか想像ができる。
集落の一番奥に小菅神社の奥社へ行く坂道があり 元隆寺への参道は右手に・・・ 車を待たせていたのと ちょっと覗いた感じ何もなさそうだったので 行かなかったけれど 左に見える石垣がそれだろうか? 惜しいことをした。
狭い道を上っていくと小菅神社の里宮があった。 ここで運転手さんに待ってもらって 神社を見てくることにする。
創建680年ぐらいと言われるこの神社は 役行者が岩窟の中に八所権現を祀る宮殿を建てたのが始まりと言うから相当なもの。
修験者の霊場として栄え最盛期には37の僧坊があり、僧侶や修験者 楽人など300人を越えたとのこと
雪深い山里に これだけの神社と 先ほどのお寺。
この里に人々の信仰深さも伺える。
映画はここでも 撮られた。 雪の降る日 里に残る行事「鬼剣舞」の舞が奉納される。 映画では田村高広演じる幸田先生から真剣を託され孝夫さんが鬼剣舞を踊るというもの。
みんなが見守る中での鬼剣舞は 鬼気迫る迫力があり 息を止めて見入りました。
参道の脇に小さな道があり登ってみると 大きな建物が建っています。
小菅神社のものだと思っていましたがよく考えると どう見てもお寺のもの。 はて?
講堂とあります。 僧侶たちが学問を刷るための場所らしいです。 これは元隆寺のもの?幾たびかの戦乱で焼かれて 残っているのは先ほどの護摩壇とここだけ? 川中島の戦いでもその戦禍を受けたらしい。 何とか残っているのは飯山城主が修復したから。
おかげで今でも風雪に耐え 優しい表情で建っている。明治時代には小学校として利用されたこともあるそうで 本当の意味の講堂の役割を果たしていたんだね。集落の人々が大事に守っていらっしゃいます。
鬼剣舞 松子(火祭りの一種)など古くからのお祭りはまだ ずっと続いています。
さて車に戻らなきゃ・・と思ったられれ? 誰もいない。 見ると小菅神社の階段を大慌てで息を切らせて降りてくる。 私が思ったより遅くて慌てたのだそうな。 乗り逃げはしないよ。
いかにも古びた古道の趣がある参道。
観光パンフレットには所要時間60分とある。
「そんなにはかからないよ おれっちが行ったときは30分ぐらいだったか」
と言われたけれど 往復のことを考えると今行くことは難しいのであきらめる。
下の駐車場で待ってもらうことにして 残りの小菅集落を歩いてみる。
青空に負けじと咲く花に余計に暑さを感じてしまう。
この観音堂も 元隆寺の一部だった。京都の若王寺の荘園を背景として栄えていた。川中島の合戦の際に焼けて後に上杉氏によって再建された。観音様は信濃三十三番観音霊場の十九番札所になっていて信仰を集めているようだ。
私が行ったときには工事中で入りにくく困っていたけれど 奥の方から回ると近くまで行けることがわかり 行ってみる。
広いお庭に(工事中だったけれど)こじんまりとして美しい観音堂だった。
小菅地区簡単に一回り。 集落の雰囲気はまさに阿弥陀堂の世界で 心がゆったりできる場所だった。それにしても来るまでこないと駄目。
気になって気になってなかなか思うように回れない。
畑には何でも植えてあります。 ナス、キュウリ、トマト、カボチャ、スイカ・・・
そのときからだがほしがるものを好きなように食べてきました。質素なものを食べていたのが長寿につながったのだとしたら、それはお金が無かったからできたのです。貧乏はありがたいことです。
と言っていたおうめさん。 タクシーで横着に回った私を見たら あきれて悲しむかしら?