Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

18切符を握りしめて 楽寿園Ⅱ

2010-09-25 00:29:57 | 旅行記

時間が来ました。 13時半です。

Rakujyukan2 ま ちょっと見た目には 古風な旅館かお屋敷に見えるんですが・・・ここが小松宮彰仁親王の別邸。

小松宮彰仁さんっていったいだれ? 上野公園にある西郷さんの銅像は有名だけれど あそこに馬上の軍人さんの銅像がある。 あの騎乗の軍人さんが親王様だとか

あ~ぁ 見た事あるわ。 

伏見宮家の第八王子  幕末維新の変革が無ければ人味の門跡して全然違う人生を送られたはずの親王 

お坊さんとして暮らして来ていきなり 徳川追討の錦の御旗を掲げられる。そんなどんでん返しの人生が待っていたんだね。幕末の争いについては色んな立場があってあまり意見言えないけれど 博愛社(日本赤十字社)の創設に尽力を尽くされた方だと付け足しておきます。

さて建物の中は撮影禁止です。 一冊の冊子を買ったので 中の美術品を紹介することもできなくは無いですが・・・・・やめときます。

武人の家と言うよりは 実に風流で上品な建物でした。 あまり大きくはないけれど 随所にすてきな工夫がされています。

中庭を一周して楽寿の間を回れるようになっている屋敷は四つの板戸が廊下にしつらえてあって 順番に回ると春夏秋冬の絵が見られるようになっています。

Garasudo 池に面した廊下はガラス戸がはまっています。 ゆらゆら揺れるように見えるガラス戸です。 子どもの頃質が悪いのだと思っていました。 多分そうでしょう。

でも今これを再現することができないのだそうで 割れると 今の透明な丈夫なガラス戸に変わってしまいます。

楽寿の間のふすま絵も 天井絵もすばらしいです。天井絵には この楽寿館で見られる植物が描かれているそうで その絵は優しい色合いで本当にすてきです。 待合の部屋の花は小さく 親王との対面の間は 落ち着かないように(相談事は長引くと困るのだそうな)でかく迫るように書かれている。 これはおかしい。 ふすま絵の千鳥もざわざわと音を立てているようにさえ見える。

床の間の王朝風俗図 とても綺麗です。

親王様には跡継ぎがなく亡くなった後は 李王朝垠殿下の別邸となる。 言ってみれば人質として日本にやってこられた奥様は 梨本方子様 政略結婚です。 

李王朝の別邸となったときにホールが増築されたとか。 これは外からも見えたので少し中を撮せました。

Horu 中は少し段差がある作りで バーカウンターまでしつらえた和洋折衷の部屋です。

そんなわけで 庭には韓国の香りのするものもあります。 韓国の灯籠がいくつかありました。 あまり違いわかりませんが。

Cyousentourou1

これに比べ 日本の灯籠はどうでしょうか?

Kuramatourou 鞍馬石の灯籠だそうで この石の灯籠では最大級 その価値と来たら 昭和27年頃でこのあたりの栃1300坪 100万円の相当したとか。。。。

ぼろぼろになってはがれそうです。

Sagigatatourou 濡鷺型灯籠と書かれている。濡の意味がわからなくて灯籠を見ると 濡の字が書かれている。 ますます 意味がわからない。でも優美な形だ。

Rakujyutourou こんなすてきな 楽寿館も 売りに出された。 李親王が 世界旅行の費用を捻出するためにあろう事かこの屋敷を売ろうとしたらしい。

え~~っ 元々誰のもの何の?って思ってしまうけれど

三島市は当時お金が無く このままだと名園が切り売りされてしまう。それを惜しんで緒明圭造氏が一括購入したおかげで今の楽寿園があるらしい。 ほっ

駅の真ん前にある三島市の宝物。 歴史と共に歩んだと言うべきか 翻弄されたと言うべきか

ここに住んだ人たちと一緒だね。 水は減ってしまって 一番良いときの様子は時々しか見られないらしいけれど これからも大事にされたい庭でした。

コメント (4)
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