Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

別ルートで しばかれ山 麦草峠から茶臼山Ⅰ

2010-09-10 16:17:00 | 山歩き

前に北八ヶ岳の茶臼山から縞枯れ山に登ったとき 別の日別ルートで行った山中間があれは縞枯れ山では無くしばかれ山だったと言っていた。

そのルートは 周回コースだったのでさもありなん。 私が登ったときは ピラタスの山頂駅から五辻 茶臼山山頂ピストン 縞枯れ山 八丁平 縞枯れ山荘を通って坪庭の横に出てくると言うコースだった。

それなりに疲れたけれど しばかれと言うほどでは無かった・・・・と人は悪いことはすぐ忘れるらしい。前のレポ

今回 麦草峠から登ることにする。 標高差280メートルほど な~んだ 楽ちんじゃん。となめたわけでは無いけれど 

Mugikusatouge 八ヶ岳は緑の回廊ですか? ふむふむ 今回はこの地図の上三分の一を歩く感じです。

麦草ヒュッテから大石峠 中小場山頂 茶臼山と歩きます。

歩き始めは緩やかな緑の中。 木道もあって 気持ちが高ぶります。

Mokudou

Sikayoke ヒュッテの横から鹿避けネットをくぐって入ります。 鹿の被害はなかなか深刻のようです。

Tozandou1 ちょっと足場が悪い道だったり 木道になったりで しばらくはゆったりした登りです。まだ楽しむ余裕があります。

Komorebi 木漏れ日も 夏の日差しは強烈です。

目を開けているのがつらいときも

Tozandou2 大きな岩ゴロの道に変わってきました。 この辺の山らしい様子です。緑の回廊は 大きな岩の上にできているんです。

Ooisitouge 大石峠旧跡と有ります。五辻への分岐とあるので 茶臼山を登らないでピラタス蓼科山頂駅に行けそうです。

道もしっかりしていました。

Kyuuseki Tozandou3  

かたや 茶臼山への道はますます岩がごろごろしてきて 本当に歩きにくい。

傾斜も増してきて はぁはぁ ぜい ぜい ぼとぼと(汗の落ちる音)

Simakaregensyou 突然目の前が開けて。。。。あ 縞枯れ現象

Yatugatake 振り返れば八ヶ岳

来るときに雲の中だったので期待していなかったけれど 今ははっきり見える。 もうちょっと高いところからみた方が格好良いな。

少し前から かなりの年配の男の人が後ろを来ているのを知っていた。 苦しそうに喘いでいる。

お節介な私は (本当は自分もきつくてつらいから) 少し待っておじいさんの様子を見ている。

「きつくて苦しいから 戻ろうかな?」 戻るなら戻っても良いけれど 茶臼山からのパノラマを見ないで帰るのは惜しいなぁ。 様子を見ると ゆっくりならまだいけそう。 後100メートル足らずで山頂に着くはず。

「一緒に いこ? ゆっくりで良いからね。 私もきついからゆっくりいこ」

Simakare2 中小場山頂で これからの登りは少しきついけれど 時間をかければいけるよね? と これは自分にも言い聞かせていること。

縞枯れ現象が現れた景色をしばし楽しんでから 前後してゆっくり山頂へ向かう。

頑張ろう!

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でっかいど~ ガンダムを見上げる

2010-09-10 00:31:34 | 旅行記

 何を隠そう ずっと昔私はガンダムファンだった。

「○○さん 駅の広場にガンダムがあるところって何処?」と仕事上の相棒 兼上司 兼息子に聞く。 彼は静岡出身だから。

「東静岡」 聞いたことない駅やなぁ もうちょっと華々しい駅は無かったのか・・・・まるで秘密基地みたいや。

電車から見ると おお~でっかいガンダムが 駅の広場に立っている。 「もうじき終わっちゃうんだよ。」と地元のおばさんと思われる人が誰も聞いていないのに 説明している。 きっと自慢だったんだね?

Gandamu1 どのぐらいでかいかというと 回りの建物で想像してください。18メートル 実物大だそうです。

頭が 時々左右に動いて目が光るんです。 ひえ~っ

私がガンダム大好きだったのはもう30年近く前では無いかしら? 晩ご飯の支度をしながら 子供をおとなしくされるために付けていたテレビ。 一休さんは良い子で見ていたけれど ガンダムはあんまり子供向きでは無かったのか効果なく ちょっと見た私の方が虜になってしまった。

難しい事を語る気は無い。と言うか なぜ好きだったのか説明できない。 好きは好き

駅を下りるとどうしたことか 物々しい警備が・・・あれ~ 広場に立っているだけじゃないのか  ちょっと電車を降りて写真撮ってくるだけのつもりだったのに

知らなかったけれど ホビーフェアーをやっていてその一環で実物大ガンダムが設置されていたのだった。あちこちでパンフレット渡されて 「こりゃ入場料が要りそうだな。何処で払うんだろ」と促されるまま 進む。

Yatai 「写真撮るだけの人はご遠慮ください。」

え?どういうこと? 私 写真だけで良いんだけど

こりゃ写真撮ると何か買わないといけないようだよ。

なのに「シャッター押しましょうか?」とスタッフがやってくる。 も~ 訳がわからん

「どういうことですか? 私写真だけで良いんですけれど。」

「写真を撮ったら台の上に上がって行ってくださいって言うことです。」 これも良くわからないけれど まぁ いいや。 何か言われたらちゃんと買いますよ なんだか知らないけれど

Gandamu2 ほら りりしいお姿でしょ?あのおなかのへんが操縦席だった。 分離して飛行機にもなっていた。

台の上に乗ってくださいって言うから乗って見上げる。 大きすぎてなんにも見えないじゃん。

Miageru

股をくぐって もう一度後ろから見上げる。

Osiri_2  人のおしりを覗く趣味は無いけれど・・・おしりしか見えない。 ジェット噴射の背中がバズーカ砲の様についている。

Usirosugata 後ろ姿も凛々しい。

一周しながら気持ちは 何十年も前に戻って アムロ行きま~す   とか  たたいたね?とかいろんな台詞が頭の中を巡り始めていた。

最後まで お金の徴収は無かったのでせめてと 大分の鶏唐揚げとマンゴージュースを頼む。 隣では 「シャー専用 冷やしカレーうどん」が 赤い彗星 シャーに引っかけてだろう 韓国のドレッシングの様な赤いたれがかかっている。

Jion ジオン軍のモビルスーツも

そういえば 私の山仲間に(と言うのも恥ずかしいほどレベルは違うけれど)ジオンさんがいる。彼女は ジオン軍が好きだったのだろうか? 前から気になっていたけれど まだ確かめていない。

ひょんな事から 降り立ったアムロレイの世界 思ったより年配の人が多く 場違いなのを気にしながらいたけれど 実物大のガンダムに出会って ラッキー

只 後から思ったこと ガンダムはどうしてこんなに大きいのだろう? 動きにくいだろうに 必要があったのだろうか?

すっくと立っている姿は凛々しいけれど もしガンダムが走ったら アシモ君の様に ちょっと滑稽にならないだろうか?

このガンダム これから日本各地を回るそうですよ~  皆さんの目で確認してくださいね。 

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おまけの飯山

2010-09-08 12:25:01 | 旅行記

タクシー料金惜しくてと言うわけでもないのだけれど 落ち着かなくて大急ぎで回った阿弥陀堂だよりのロケ地探し。

ほぼ終わったものの 時間が余る。 タクシーの時間も余る。

「北竜湖は近いですか?」観光協会でもらった地図から歩いて20分ぐらいと知ってはいましたが 池の気配がありません。 「あ すぐだよ」と北竜湖に行ってみる。

Tizu 北竜湖はその形がハートの形をしていると言うことで 恋愛成就の湖と言われているんだって

もう わたしにはそんなめんどくさいことは関係ないけれど そんな綺麗な形をしているなら見てみたい。

一周2.2キロ 高低差41メートル 散策時間1時間 ちょうどてごろな散歩道? 因みに 小菅神社の奥社から回ると2時間かかるのだと

修験者の道なので杉並木を歩くらしいのだけれど

Sugi ハートの形がよく見えるのかと思ったら な~んにも

文句言う筋合いでは無いけれど 

水は綺麗ですが

Sisetu 立派な宿泊施設がある。 あの文化学園の所有するものなんだって

後からわかったけれど リフトがあるって書いてある。

しまった これに乗ったら北竜湖の全容が見えたに違いない。

そそくさと北竜湖を後にする。

「たぶんおれっちしか知らないと思うけれど 炭焼き窯があるんだ。 水にこだわっていて とっておきの水でコーヒー淹れて・・・・」「すてきですね」

話しはそこで終わった。 きっと連れて行きたかったのだろうけれど 場所がわからなかったので うっかりお願いとは言えない。 でもちょっと気になる。

車は」 野沢温泉の方から回ってくれた。 「こっちの方が遠いけれど 時間で回っているから同じ道じゃない方が良いだろうと思って。」

で大急ぎの 贅沢歩きは 予定より一時間も早く駅に着いた。 ありがとう 

電車が来るまで1時間半もある。

Nobotoke

あぢぃ~ どうするか? と言っても駅でじっと待つのも暑くてかなわん

と言うわけで 千曲川まで歩いて行ってみる。

Dote 目の前に土手があるのに くらくらして目眩がしそう。

Hizasi やっと土手に着いた。

この辺も映画には何度も出てきた。 今は夏の日差し一杯で静まりかえっている。

Tikumagawa 河川敷までちょっとあるけれど 千曲川。

精霊流しもここであった。 水遊びシーンもあった気がする。

千曲川って言うと 小諸なる古城のほとり・・・を思っちゃうけれど こちらにも流れているんだね。

Ryousen 色づきかけた稲田の向こうに信越トレイルの稜線が見える。 次回はあの稜線歩きに挑戦だよ。

Dousojin 信州では相対道祖神が あちこちで見られるけれど 戸狩野沢温泉の駅にある道祖神は木だった。 はじめてみる 珍しいものだった。

時間の止まったような優しい土地で なんだかばたばたしてしまった飯山訪問 今度はゆっくり来たいな。

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阿弥陀堂だよりのロケ地を歩く  小菅集落

2010-09-05 11:53:02 | 旅行記

神戸の大銀杏の後は 大通りまで出ます。 隣の集落小菅は尾根の向こうです。

集落の入り口に大きな鳥居が・・・「仁王門?」「いやいや 仁王門はもっと奥です。」 パンフレットを見ていたからとはいえ仁王門と鳥居と間違うなんて。。。。あほや  で写真も取り損ね

今思えば 鳥居は神社の入り口だから小菅神社のものだよね? 二の門と書いてあった。

Nioumon 運転手さんお勧めの仁王門はだいぶん登ったところにあった。仁王門は何処のお寺の門なんだ?

小菅山元隆寺の西門だという。中世に飯綱 戸隠と並んで北信三大霊場として栄えたとある。 この門の位置は変わっていない。お寺は残っていない。 後から行く杉並木に護摩壇が残るだけだそうだけれど往時は庭は池泉回遊式庭園を持ち大書院や大広間を持ち茅萱の立派な御殿だったそうです。梅鉢積みと呼ばれる広報で白の石垣専門の石工たちが積んだ立派なお寺は広い上に部屋数が多くてなかなか奥座敷に着けなかった と言われるから どのくらい大きかったのか想像ができる。

Suginamiki 集落の一番奥に小菅神社の奥社へ行く坂道があり 元隆寺への参道は右手に・・・ 車を待たせていたのと ちょっと覗いた感じ何もなさそうだったので 行かなかったけれど 左に見える石垣がそれだろうか? 惜しいことをした。

狭い道を上っていくと小菅神社の里宮があった。 ここで運転手さんに待ってもらって 神社を見てくることにする。

Kousugejinjya 創建680年ぐらいと言われるこの神社は 役行者が岩窟の中に八所権現を祀る宮殿を建てたのが始まりと言うから相当なもの。

修験者の霊場として栄え最盛期には37の僧坊があり、僧侶や修験者 楽人など300人を越えたとのこと

雪深い山里に これだけの神社と 先ほどのお寺。

この里に人々の信仰深さも伺える。 

Kosugejinjya2 映画はここでも 撮られた。 雪の降る日 里に残る行事「鬼剣舞」の舞が奉納される。 映画では田村高広演じる幸田先生から真剣を託され孝夫さんが鬼剣舞を踊るというもの。

みんなが見守る中での鬼剣舞は 鬼気迫る迫力があり 息を止めて見入りました。

Koudou 参道の脇に小さな道があり登ってみると 大きな建物が建っています。

小菅神社のものだと思っていましたがよく考えると どう見てもお寺のもの。 はて?

講堂とあります。 僧侶たちが学問を刷るための場所らしいです。 これは元隆寺のもの?幾たびかの戦乱で焼かれて 残っているのは先ほどの護摩壇とここだけ? 川中島の戦いでもその戦禍を受けたらしい。 何とか残っているのは飯山城主が修復したから。

おかげで今でも風雪に耐え 優しい表情で建っている。明治時代には小学校として利用されたこともあるそうで 本当の意味の講堂の役割を果たしていたんだね。集落の人々が大事に守っていらっしゃいます。

鬼剣舞 松子(火祭りの一種)など古くからのお祭りはまだ ずっと続いています。

さて車に戻らなきゃ・・と思ったられれ? 誰もいない。 見ると小菅神社の階段を大慌てで息を切らせて降りてくる。 私が思ったより遅くて慌てたのだそうな。 乗り逃げはしないよ。

Sekihi はて? なんやろ? 不思議な石碑だ。

Okusha さらに登っていくとどん付きが奥社への参道になる。

いかにも古びた古道の趣がある参道。

観光パンフレットには所要時間60分とある。

「そんなにはかからないよ おれっちが行ったときは30分ぐらいだったか」

と言われたけれど 往復のことを考えると今行くことは難しいのであきらめる。

Isidatami 下の駐車場で待ってもらうことにして 残りの小菅集落を歩いてみる。

Hana4 それにしても暑い。

青空に負けじと咲く花に余計に暑さを感じてしまう。

Kannondou この観音堂も 元隆寺の一部だった。京都の若王寺の荘園を背景として栄えていた。川中島の合戦の際に焼けて後に上杉氏によって再建された。観音様は信濃三十三番観音霊場の十九番札所になっていて信仰を集めているようだ。

私が行ったときには工事中で入りにくく困っていたけれど 奥の方から回ると近くまで行けることがわかり 行ってみる。

Konnondou2 広いお庭に(工事中だったけれど)こじんまりとして美しい観音堂だった。

小菅地区簡単に一回り。 集落の雰囲気はまさに阿弥陀堂の世界で 心がゆったりできる場所だった。それにしても来るまでこないと駄目。

気になって気になってなかなか思うように回れない。

畑には何でも植えてあります。 ナス、キュウリ、トマト、カボチャ、スイカ・・・

そのときからだがほしがるものを好きなように食べてきました。質素なものを食べていたのが長寿につながったのだとしたら、それはお金が無かったからできたのです。貧乏はありがたいことです。

と言っていたおうめさん。 タクシーで横着に回った私を見たら あきれて悲しむかしら?

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阿弥陀堂だよりのロケ地 神戸の大銀杏

2010-09-05 00:45:50 | 旅行記

火の見櫓までさらに歩いてみたけれど 特筆すること無し。 本当は中村の集落まで歩いて行くと それなりに見所一杯あったのだろうけれど 途中で神戸の方へ進路をとった。

Nakamura 運転手さんとはすっかり意気投合して。。。金銭契約さえなければ友達と遊んでいるような気分。

気があったのには訳がある。 彼は昔うちの方のある大手企業に就職していたこと どうして飯山に帰ってきたか知らないけれど 昔話に花が咲いた。

また とても勉強熱心だったこと。 いろんなエピソードや 飯山の話を 次から次へと話してくれて飽きなかったこと

そんなわけで まだまだふたりのドライブは続く。

Goudonooicyou 神戸(ごうど)の大銀杏

どのくらい大きいかというと

Ooicyou わかるかなぁ? 銀杏のあんよが ちょっぴり見えるだけ。枝はずいぶん払われているのに地面につきそうな勢い。

この大銀杏の前を 孝夫さんと美智子さんが子供たちと遊んでいる。 夕焼け小焼けを歌いながらさよならをするのもこの場所だった。診療所に向かう通勤路だったり 阿弥陀堂へ行く道だったり・・・

棚田の真ん中にできた広場。 とても小さな空間だけれど 今ではもう見られなくなった 本来の子供たちの姿があった。

Miki どうよ! このたくましいあんよ。乳根もあるよ。 この木雌だと思っていた。いかにもどっしりしてお母さんみたいでしょ?

雄なんだって。 それについて私譲らなかったけれど これは運転手さんに軍配が上がった。私反対に覚えていたな。

Miki2 雄で目通り幹回り13メートル 樹高36メートル

現在日本一と言われる岩手県の銀杏と大差が無いそうだ。 今でも元気いっぱいでまだまだ大きくなりそうで いつまでも棚田の守り人としていてほしいものだ。

乳根を探してふたりで 木下に頭を突っ込む。日差しが遮られて ここなら雨が降っても濡れないかもしれない。 

Ohaka 墓参りのシーンで使われた。 信州には黒い墓石が多いので気になっていた。運転手さんに聞いたら 趣味と経費の問題だろ?と。 そうかなぁ???

春 夏 秋 冬

はっきりしてきた山と里との境が少しづつ消えてゆき、一年がめぐります。

人の一生と同じなのだと、この年にしてしみじみと気づきました。

お盆になると亡くなった人たちが阿弥陀堂にたくさんやってきます。迎え火をたいてお迎えし、眠くなるまで話しをします。

話しているうちに 自分がこの世のものなのか、あの世のものなのかわからなくなります。もう少し若かった頃はこんな事は無かったのです。

怖くはありません。 夢のようで。このまま 醒めなければいいと思ったりします

(阿弥陀堂だよりより)

Kousinduka

大銀杏から 風切峠を越えて隣の小菅集落に行けるようです。 地図では道が破線なのと ここまで来たので やっぱり車で行くことにします。

支尾根を一つ越える感じでしょうか?

コメント (2)
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