幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

不適切な勤労統計、厚労相が認める 経緯は「調査中」 ”意図的にデータがよく見せる? 排ガスや燃費測定方法変更と同じでは?”

2019-01-08 18:48:08 | 社会
https://news.goo.ne.jp/article/asahi/politics/ASM182S6PM18ULFA002.html 朝日新聞

 厚生労働省が公表している「毎月勤労統計」で一部の調査が本来と違う手法で行われていた問題で、根本匠厚生労働相は8日、閣議後の記者会見で不適切な調査が実施されていたことを認め、関係する部局に「事実関係を徹底的に調査するように指示を出した」と述べた。

 根本氏は不適切な調査が行われていた事実を厚労省の事務方から報告を受けたのは昨年12月20日だったと説明した。その翌日の21日には毎月勤労統計の10月分の確報が公表されているが、調査手法の誤りについては触れられていない。根本氏が問題を把握した時点から20日間にわたり公表しなかったことになる。今後、公表のあり方についても問題点を指摘されそうだ。

 いつから、どのような経緯でこうした調査が行われるようになったかについて、根本氏は「調査中」との回答を繰り返した。

感想
担当者が意図して不適切な方法などすることはほとんどありません。
あるとしたら下記です。
1)上司が従来の方法だと都合の悪いデータが出るので違う方法を指示したらほのめかした
2)上からのプレッシャーが強くて、従来だと時間がかかるので手抜きあるいは都合の良いデータにした

1)燃費のデータを違う方法で行ったに似ています。
2)は排ガスのデータ改ざんです。

民間はそれなりの社会的な責任を負担しました。
お役所は責任が森友学園や加計学園のようにあいまいになり、誰も責任を負っていません。

今回のケースは、政府が都合の悪いデータを出したくなかったので、方法を変えてあたかも良いようにしたのではないでしょうか?

もっと国民が怒らなければ!

辺野古埋め立て 首相が「あそこのサンゴは移植」と発言したが…実際は土砂投入海域の移植はゼロ ”ウソでも言った勝ち?”

2019-01-08 17:44:00 | 社会
https://news.goo.ne.jp/article/ryukyu/politics/ryukyu-20190108050000.html琉球新報
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設に伴う埋め立てに関し、安倍晋三首相は6日に放送されたNHKのテレビ番組「日曜討論」で事実を誤認して発言した。安倍首相は「土砂投入に当たって、あそこのサンゴは移植している」と述べたが、現在土砂が投入されている辺野古側の海域「埋め立て区域2―1」からサンゴは移植していない。

 埋め立て海域全体では約7万4千群体の移植が必要だが、7日までに移植が終わっているのは別海域のオキナワハマサンゴ9群体のみにとどまっている。

 沖縄防衛局は、土砂投入の海域付近にあった準絶滅危惧のヒメサンゴ1群体を当初移植する方針だった。県から移植に必要な特別採捕許可が得られなかったことから、特別な装置を用いてサンゴを囲み、移植を回避するよう工法を変更した経緯がある。

 首相の発言について玉城デニー知事は7日、ツイッターに「安倍総理…。それは誰からのレクチャーでしょうか。現実はそうなっておりません。だから私たちは問題を提起しているのです」と投稿した。

 サンゴの生態に詳しい東京経済大学の大久保奈弥准教授は「発言は事実と異なる。サンゴを移植しても生き残るのはわずかで、そもそも環境保全策にはならない」と指摘した。

 沖縄防衛局は、サンゴの移植は1メートル以上の大きさを対象とし、1メートルより小さいサンゴは移植していない。

 これまでに移植したオキナワハマサンゴ9群体はいずれも「埋め立て区域2―1」ではない場所に位置していた。

 移植に向けて沖縄防衛局が県に特別採捕許可を申請している約3万9千群体のサンゴも現在の土砂投入海域にはない。県は申請を許可していない。

 首相は「砂浜の絶滅危惧種は砂をさらって別の浜に移す」とも発言した。沖縄防衛局の事業で、貝類や甲殻類を手で採捕して移した事例はあるものの、「砂をさらって」別の浜に移す事業は実施していない。

感想
安倍首相は”きれいごと”の発言が多いですが、誤解された発言も多いです。
聞いている人は、事実と異なる発言を信じておられるかもしれません。

国民は事実を知らないと、為政者に騙されてしまいます。
ノモハン事件、インパール作戦、ガダルカナル作戦
決めた人は生き残り出世し、一方何万という兵士が亡くなりました。
それも餓死と病気で。



「幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの智恵」岸見一郎著 ”人生に意味を与える!”

2019-01-08 01:33:01 | 本の紹介
「幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの智恵」岸見一郎著

・ベルクソンの言葉
「私たちは、いったいどこから来たのか。哲学がもし、本当にこれからの非常時に重大な問題に対して何も答えられないとすれば、<中略>哲学というものは一時間の労苦にも値しないものだと言っても、まあさしつかえないことになります」(心と身体)

・アドラーは目的論を採ることで、何かを経験することが不幸の、そして幸福の原因になるのではないと考える。人は幸福に<なる>のではなく、もともと幸福で<ある>のだ。

・どうすれば幸福になれるのかを考えようとすれば、まず。「幸福とは何か」という問いを立てなければならないだろう。幸福が何かを知らなければ、どうすれば幸福になれるかもわからないからだ。

・「人生の意味はない。人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」(アドラー)

・運命の人、あるいは邂逅
 偶然、あるいは、幸運でしかなかった出会いを、その人にとって後になって意味あるもの、運命的なものにするかしないか自分次第である。

・幸福を阻むように見えることがすぐに思い浮かぶとしても、そのこと自体がすぐさまその人を不幸にするわけではない。反対に、成功したり、幸運に恵まれたからといって幸福になれるというわけでもない。

・三木清
「良心の義務と幸福の要求とを対立的に考えるのは近代的リゴリズム((厳格主義)である)(人生ノート)

・三木清
「幸福の要求が今日の良心として復権されねばならぬ」

・フランクル
「幸福は目標ではなく、結果にすぎない。幸福は追求するものではない。幸福になろうとすれば失敗するというものである」(それでも人生にイエスと言う)

・アドラー
「あらゆる悩みは対人関係の悩みだ」

・対人関係の中に入っていかなければ誰からも傷つけられることはない。しかし他方、幸福や生きる喜びも、対人関係の中でした得ることはできない。誰とも関わらなければ悩みはないが、その代わりに喜びもない。

・幸福を他の何かのために犠牲にする必要はないし、自分の幸福よりも優先しなければならないものはないことを述べた。

・多くの場合、怒りは他者を支配するために創り出される。

・人は過去に経験した出来事や、まわりから影響を受けるだけの存在ではない。自由意志で自分の人生を決めていくことができる存在である。間違うことがあっても自分の人生を選び決められると考えることで、人間の尊厳を取り戻すことができるのである。

・人は一人で生きているのではなく、他の人々の間で生きている。人は、一人では「人間」になることはできない。

・「われわれのまわりには他者が存在する。そして、われわれは他者と結びついて生きている」(アドラー)

・「私は自分に価値があると思う時にだけ、勇気を持てる」(アドラー)

・自分で決めることを自分で決める。

・結末が自分にだけ降りかかり、自分しか責任を取れないことは、他の人に代わることができない。自分の課題には自分が取り組む以外になく、他者が代わることはできないのだ。

・他者からどう思われるかを気にしている限り、自分を評価する他者に依存することをやめられない。他者からの評価を待たず、自分で自分の価値を認められること、決められることこそ自立である。

・よいコミュニケーションというのは、コミュニケーションが上手であることではない。この人と一緒にいれば楽しいと思えれば十分だ。

・花を咲かせたいのであれば、水をやらなければならない。花に水をやることが、花を育てる時の責任である。ただ相手から愛されること3を待っているだけでは愛は成立せず、あるいは、傷つくことを恐れて対人関係の中にはっていなければ、幸福になることはできない。相思相愛の恋愛に憧れる人は多いが、恋愛は育んでいくものである。

・エーリッヒ・フロムは「配慮」を愛の一つの要素としてあげている。
「もしある女性が花を好きだといっても、彼女が花に水をやることを忘れるのを見てしまったら、私たちは花にたいする彼女の「愛」を信じることはできないだろう。愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかけることである。この積極的な配慮のないところに愛はない」(愛するということ)

・自分ができることはできる限り自力でする。しかし、他社が援助を求めてくればできるだけの援助をする。皆がそんなふうに思うようになれば、きっと生きやすくなるだろう。

・どう思われるかを気にするのは、当然、どう思われてもいいからではなく、よく思われたいからである。人からよく思われたい、人から嫌われたくないと思う人は、自分がいいたいこと、したいことがあっても、いわないし、しない。自分では行動の指針を決められず、確固たる方向を見捉えた自分の人生を生きることができない。

・自分で人生の決断をしないで、他者、例えば親が喜ぶ人生を選んだとすれば、自分の人生なのに他者の人生を生きるのに等しくなる。そうなってしまえば、自分の人生を生きないという、現実から遊離した状態で人生を生きるという悲惨なことになってしまう。

・人間には「したいこと」、「するべきこと」、「できること」の三つしかない。このうち、できるのは「できること」だけである。

・不完全である勇気

・「自分に価値があると思う時にだけ、勇気を持てる」
「勇気」には二つの意味がある。
 ・課題に取り組む勇気
 ・対人関係に入っていく勇気

・自分に価値があると思えるためには、二つの方法がある。
 ・自分の短所を長所に置き換えることである。
 ・私の行動が共同体にとって有益である時だけだ。

・人間をものと見る誤り
 ・人を何かものを生産する機会のように見なすことだ。
 ・人間に自由意志を認めない考え方である。

・信頼するとは目下起こっていることや、これから起きることについて道なことがある時、その知られていないことを主観で補うことである。

・誰でも何でもできる
「困難は克服できない障害ではなく、それに立ち向かい征服する課題である」

・私が長くカウンセリングをしてきた中で、どんな相談であれ来談者に伝えなけれならないのは、未来を考えずに、「今ここ」を生きることである。

・幸福は幸運とは違うということ、人は何かの出来事によって幸福になるのでも、不幸になるのでもないということ。すでに人は今ここで幸福である。
振り回されない心 

感想
幸福を得るには考え方と行動を変えることのようです。
今幸福に感じている人は、今の考え方と行動が良いのでしょう。

全ての悩みは人間関係である。
その距離感が、人間関係が苦手な人は難しいのでしょう。
やまあらしのジレンマという言葉があります。
失敗しながら人間関係を学んでいくのでしょう。

https://www.men-joy.jp/archives/379855
”やまあらしのジレンマ”
という言葉があります。
ヤマアラシのジレンマとは、ドイツの哲学者アルトゥル・ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer)の寓話から生まれた言葉です。
その寓話とは……
冷たい冬のある日、ヤマアラシの一群が、 お互いの体温で凍えることを防ぐために、ピッタリとくっつきあいました。けれども、お互いの針のような毛があたって痛く、また離れます。それを繰り返しているうちに、ヤマアラシたちは適当な距離を見つけていきました。
この寓話から、他者との適度な心理的距離を探ろうとする心理的な葛藤を表現する言葉として、“ヤマアラシのジレンマ”という言葉が生まれたのです。