幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

全盲の女性、音楽祭の席「無理やり」最後列案内 ”事前の対応は?”

2019-01-09 11:17:22 | 社会
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190108-00050006-yom-soci 読売新聞1/8(火)

 名古屋市中区で昨年7月に開かれたクラシックコンサートで、購入した席から離れた端の席に無理やり移動させられ、精神的苦痛を受けたとして、市内の視覚障害者の女性(78)が、コンサートを共催した市とCBCテレビ(名古屋市中区)を相手取り、慰謝料など約165万円を求める訴訟を名古屋地裁に起こした。提訴は昨年12月13日付で、今月31日に第1回口頭弁論が開かれる。

 訴状などによると、女性は中区の日本特殊陶業市民会館であった「名古屋国際音楽祭」のチケットを4000円で購入。当日、会場入り口で男性スタッフに車いすに乗せられ、購入した後列中央の席ではなく最後列の端に案内された。何度も抗議したのに聞き入れられず、仕方なく端の席で鑑賞したという。

 女性は全盲で白杖(はくじょう)を使っていたが、スタッフの肘につかまれば座席まで歩けたと主張。本人の意向を無視して移動させたのは、障害者の権利を侵害する違法行為だと訴えている。

 市とCBCは昨年11月の3者協議で女性に謝罪したが、女性は読売新聞の取材に「協議の中で、私が納得して席に座ったと言われたことに憤りを感じる」と話した。一方、CBCは転倒防止などのための対応だったとしたうえで、「話し合いによる解決に努めてきたが、訴訟になり残念」としている。市は「適切に対応する」とした。

感想
チケットの席を本人の承諾なしに強制的に変更させられたようです。
契約の不履行になります。

コンサートを何度か開催しましたが、チケット申し込み時に視覚障碍者の方にはガイドヘルパーさんの有無や、最寄り駅からコンサート会場、コンサート会場から最寄り駅までのガイド方法についても確認していました。
かつ受付で視覚障碍者の方が来られたら、席まで案内する係(ガイドヘルプ経験者)を準備していました。
席はできるだけ階段を避けるように用意していました。

今回のケースは事前に情報があったのかどうか。
もしなくて、当日だと、「安全のために」との主催者側の主張になりますが、その場合でも
・本人の了解
・取られた席よりもよい席
は基本です。

車椅子の方には、コンサート会場には車椅子用の席もあるばあいもあり、そこをご案内したりしていました。

どちらにせよ。主催者側のその場での対応不備があり、お客様に不愉快な思いをさせてしまったことは事実のようです。


「ハウ・キャナイ・ヘルプ?助け合うときに起こること」ラム・ダス&P・ゴーマン共著 ”自分の人生を豊かに彩を添える!”

2019-01-09 02:06:46 | 本の紹介
・ガンディーの墓に刻まれている言葉
「かつて出会った中で一番貧しい人を思い浮かべて、あなたの次にとる行動がその人の役に立つかどうか考えなさい」

・道徳経
大道廃れて、仁義あり
智慧出でて、大偽あり
六親和せずして、孝慈あり
国家昏乱して、忠臣あり

・人への奉仕の大部分は、自分自身への疑いや、要求や、抵抗と直面することなのだ。

・道元禅師
道を学ぶとは自己を学ぶこと
自己を学ぶとは自己を忘れること
自己を忘れるとは万物のあり方によって証されること
万物のあり方によって証されるとは、自己と他者の隔たりを取り去ること

・最近のトランスパーソナル心理学、人間性心理学、ゲシュタルト・セラピー、ユングから派生したセラピーのアプローチは、自己の開放や、より拡大されたアイデンティティ感覚の探求を奨励しています。

・信頼しながら率先して行動するほど、自分たちが貸そうとする力の、幅と可能性が大きく広がります。自分たちを超えた援助の源を、もっと信頼するなら、ますます忍耐強くなるかもしれません。

・もしわたしたちの片腕がドアにはさまったら、自然にもう一方の腕を使ってそれをはずしてやろうとします。助けるということは秤にかけ、熟考したすえに起こるものではありません、助けることは、そのもともとの自然発生的な表現を阻む障壁がくずれ落ちることから起こるのです。

・すべてが失敗に終わり、やれることをやりつくしてしまっても、私たちにはまだ互いに差し出せる、この本質的な確信があります。

・W・H・オーデン
いにしえの師たちは
苦しみについて
決して間違っていなかった
ものを食べたり、窓を開けたり
ただぼんやりと道を歩いている間に
いかに苦しみが起こるか
なんとよく人間の状態を理解していたことか

・哲学者グルジェフ
もし私たちが牢獄から逃れたければ、まず自分が牢獄にいることを知らなければならない。その認識なくしてはどんな脱出も不可能だ。つまり役割が必然だ、便利だ、自分ができる最高のことだと感じているかぎり、その他のことに注意を向けられないようなのです。

・「援助の牢獄」の壁を突破するのに、方法や仕掛けは必要ありません。私たちにできることは、自分自身の人間性を十分受け入れることです。私たちはそのためのスペースを作ることができます。そうすると助け合う行為の豊かさと相互作用が、役割によって作り出された障害を溶かしていくのです。

・私たちは助ける人として、明らかに何の見返りもない援助には取り組みません。人を思いやることでどれくらいの見返りがあるのか、私たちは知っています。それは単に、物質的な褒美とか誉め言葉、あるいは自分が役立っているという感じだけではありません。それよりはるかに本質的な何かが生じうるのです。

・奉仕は一方通行でないと理解するとき、私たちが自己イメージの牢獄から脱出するのを助けるために、自分たちの助けている人々が、たえず手掛かりを差し出してくれていることに気づきはじめます。何がうまくいって、何がうまくいかないかを知らせてくれるだけでなく、彼らは私たち自身のモデルそのものについて問いかけ、私たちを助けているのです。彼らは私たちに鋭く迫ります。私たちを見透かしているのかもしれません。もし私たちがそれを受けとれば、それは至福になります。自分のことを少々愚かに思うかもしれませんが、最終的に、私たちは感謝します。

・植芝盛平
勝つということは、自分自身の中の心の不和に勝つということを意味します・・・ではどうやって自分のゆがんだ精神をまっすぐにし、心を浄化し、自然のすべての活動と調和することができるのでしょうか。まず、神の心を自分のものにすべきなのです。それ宇宙のあらゆる空間、あらゆる時間における大いなる愛の偏在を意味します。「愛に不和はない。愛に敵はいない」

・努力がいつも私たちを燃えつきさせるとは限りません。努力する中で、自分の心がどこにあるのかによって、私たちは燃えつきるのです。

・賢者は何もしない。しかし為されぬままに残されるものもない。(老子)

・奉仕の道では、目覚めへ向かう旅を行く私たちを助けてくれるフィードバックを、つねに与えられるのです。

・人を助けるために私たちは自分自身に働きかけるのです。そして自分自身に働きかけるための手段として、私たちは人を助けるのです。

・良寛
我が衣はこの浮き世で、苦しむ人すべてを覆うほど大きい

感想
自分の幸せを追求しても、幸せになれないことを多くの賢者が残しています。
この簡単な真理がなかなか実感し実践することが難しいです。

図書館で席を立つとき、椅子が出しっぱなしになっています。
通行の邪魔にならないように、椅子をテーブルまで戻す、このことをされない方が多いです。

エレベーターでもボタンの近くの人がさっさと先に出られます。
ボタンを押して他の方が出られるのを待ってから降りられてもよいのですが・・・。
数秒のことなのです。
ちょっとした日常の行為なのですが。
そういう行為は天に貯金をすると賢者が言っています。


強姦冤罪事件、国賠請求を棄却 大阪地裁 ”裁判官が逆の立場でも納得されるでしょうか?”

2019-01-09 01:58:00 | 社会
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190108-00000031-mai-soci 毎日新聞1/8(火)

 強姦(ごうかん)罪などで服役中に被害者の証言がうそと分かり、再審無罪が確定した大阪市内の男性(75)と妻が、不十分な捜査や裁判所の誤判で精神的な損害を受けたとして、国と大阪府に計約1億4000万円の国家賠償を求めた訴訟で、大阪地裁は8日、請求を棄却した。大島雅弘裁判長は「通常要求される捜査を怠ったとまでは言えない」と判断した。男性側は控訴する方針。

 判決などによると、男性は2008年、10代だった同居の親族女性に性的暴行をしたとして逮捕、起訴された。一貫して否認したが、大阪地裁は09年、被害を申告した女性や目撃者の証言の信用性を認めて懲役12年を言い渡し、11年に最高裁で刑が確定した。

 しかし、男性が服役中に「証言はうそだった」と、この女性が弁護士に告白。14年に男性が裁判をやり直す再審を請求し、大阪地裁が15年に無罪を言い渡した。

 今回の国賠訴訟では、男性側が「大阪府警や大阪地検が無罪を示す証拠の捜査を怠った」と主張。捜査時の医師の診察では性的被害を示唆する診断書が出た。ところが、女性が家族と受診した別の医師は被害を否定しており、女性の告白後の再捜査でそのカルテが見つかった。

 判決は、さらに捜査すれば女性の証言の信用性が揺らいだ可能性を認める一方、証言と矛盾しない診断書があった点を重視。「証言は具体的で信用できた」として、捜査や裁判所の判断に違法性はなかったと結論付けた。

 男性は逮捕から6年余り拘束され、仕事も失った。判決後の記者会見で「警察や検察、裁判所は自分たちの間違いを認めない。なぜ有罪になったか反省しなければ、また冤罪(えんざい)の被害者が生まれる」と憤った。【戸上文恵】


https://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/ASM184FS0M18PTIL019.html追記

「友人も仕事も失った、戻れない」強姦冤罪の男性の失望(朝日新聞)

 強姦(ごうかん)罪などで服役中に被害証言がうそだったとわかり、再審で無罪となった男性(75)と妻が国と大阪府に計約1億4千万円の国家賠償を求めた訴訟の判決が8日、大阪地裁であり、大島雅弘裁判長は男性側の請求を棄却した。男性側は控訴する方針。
 「(検事は)やや性急な感を免れないが、通常要求される捜査を怠ったというのは困難」「(うその告白を)うかがい知ることができる証拠は(裁判所に)提出されていない」
 判決は国側主張にほぼ沿う認定で、男性(75)の訴えを退けた。6年余り拘束された男性は判決後の記者会見で「何も反省しておらず、許せない」と失望をあらわにした。再審無罪が確定して約2800万円の刑事補償も受けたが、「汚名を着せられて多くの友人も仕事も失い、元に戻れるわけがない」と訴えた。男性側代理人の後藤貞人弁護士は「検察が無罪の可能性を検証せずに起訴しても過失はないとする、ひどい判決だ」と批判した。

感想
もし、裁判官が逆の立場だったり、家族だったら、この判決を納得されるでしょうか?
疑わしきは罰せず。
今回、疑わしいのを罰したのです。

警察や検察も逆の立場だったり、家族だったらどうでしょうか?

当然、過ちはあります。
誤った判決でその人の人生を大きく変えてしまったのですから、それ相当の補償があってしかるべきではないでしょうか。

追記
過ちは犯します。
大切なことは過ちを認めることです。
そうしないと、過ちを防ぐ対策につながりません。
そうでないと同じ過ちを繰り返します。