幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

阿川佐和子さん「サワコの朝 ヤマザキマリさん」 ”波乱万丈の人生!”

2019-01-19 08:22:08 | 生き方/考え方
漫画家。映画にもなった「テルマエ・ロマエ」
900万部の大ヒット
めぼしい遺跡があると世界のどこでも行く。クレタ島の壺。フォロ・ロマーノ遺跡の遺跡に寝そべって。
家族はイタリアにいる。日本とイタリアを行ったり来たり。温泉が大好き。
「すてーぶ・ジョブズ」なども。
着眼点がユニーク。イタリアと日本はどちらもお風呂につかる共通点がある。

テーブルの土台はコリント式、至る所に影響を受けている。
1曲目、兼高かおる「八十日間世界一周」。世界を旅してみたいと思った曲。4歳くらいから。
本当に憧れていた。小学校の作文に「金高かおるになりたい」と書いていた。
父は幼少の時に亡くなり、母がヴィオラ奏者として札幌交響楽団に仕事を得たので北海道に行った。子ども時代にバイオリンをやらされていたが好きでなかった。チラシに余白を見つけると絵を描いていた。

ヨーロッパにいる音楽家にプレゼントを届けに行くときに、私は行けないからと、娘の私14歳に一人で代わりに行かされた。絵を仕事にすることは先生からも厳しいよと言われていた。絵描きになると母が言ったら、「フランダースの犬」の絵本を買ってきて読めと。

14歳一人旅。最初に行った時、目的地は東京から北京までの距離があった。何とかして目的地に行った。ルーブル美術館に行って来いと。パリに行こうとブリッセルでうろうろしていたら老人に逢った。どこへ行ってきたと尋ねられて言ったら、「おまえはイタリアにいっていない」。「日本に着いたら、おまえの母親から日本に着いたら手紙を出せ」と言われて出した。そうしたら母親とお爺さんがメル友になった。17歳の時、「私をイタリアに寄こせ」と言ってきた。母親も「もういくしかない」と言った。そこで高校中退して行った。イタリアの美術学校に11年行った。

そこで詩人と恋に落ちた。一緒になったら生活するのが大変。アルバイトをして生活を支えるようになった。電気も水道も止められている。ローソク生活。詩人が詩集を出したいというので、協力した。教養がすごかった。この人の子どもを産むのがよいと思った。子どもが産まれたら別れた。別れた方が8割楽になると思った。大変な苦労すると少しぐらいの苦労は平気になる。友だちがなぜ文章を書かないのかと言われた。それで漫画を描くようにした。その後すぐに結婚した。イタリアの爺さんの孫だった。その孫がローマ皇帝の名前を全員言えるほどで古代ローマの話をずっとしていた。子どもとも仲良くなった。その孫は私より14歳下で娘はさらに13歳下だった。

なんでも面白いと思える考え方がある。ローマは水道に対する考え方が確立していた。古代ローマは水の文化。
ポルトガルに暮らしていた時に、ローマ人が日本の銭湯に突然現れるとのアイデアが浮かんだ。ローマ時代の遺跡が残っている。浴槽なども残っている。天井から水滴が垂れないような設計ができていたり。それを漫画で描いてみた。
古代ローマと日本には共通点がないが、どちらもお風呂に浸かる。今のイタリアはお風呂に入る習慣はなくなっている。
古代ローマ人が駐在していた地域にはお風呂があった。ハンガリーとか。古代ローマ人は戦地に行くとお風呂を作っていた。今はお風呂を泡だらけにしている。古代ローマ人は外で洗っていた。古代ローマ人はお風呂で大事な話をしていた。

2曲目は山下拓郎さん「RIDE ON TIME」。CMが水を背景に。
今描いている漫画「オリンピア・キュクロス」。
古代ギリシャ人が今のオリンピックを見たら驚くだろうと。古代の人が今に来ると、今の人が学ぶことがある。タイムスリップにすることで。古代史をもっと知って欲しい。

感想
映画「テルマエ・ロマエ」は知っていましたが、漫画も映画も見ていなかったので、作者を知りませんでした。

人生、安全を優先するよりもやりたいことにチャレンジしていき、自ら道を切り開いていくことなのでしょう。
どこでどのような出会いがあるか分からないものだと聞いていて思いました。

いろいろな出会いがあったからこそ、いろいろな経験を生かして人生を歩むことなんだと教えられました。