幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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「アベノマスク」、米でも失笑 冗談かと疑う声をメディアが紹介 ”日本が、そんな首相を選んだ国民が笑われている!”

2020-04-03 16:26:20 | 新型コロナウイルス
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200403-00000054-kyodonews-int KYODO 4/3(金)
 【ニューヨーク共同】安倍晋三首相が各世帯に布マスクを2枚ずつ配布すると表明したことを巡り、米メディアは2日、日本で「アベノマスク」とやゆされていることを紹介した。新型コロナウイルス対策としては不十分だと失笑を買い、安倍氏の支持者からも「エープリルフールの冗談ではないのか」といぶかる見方が出ていると伝えた。

 ブルームバーグ通信は「アベノミクスからアベノマスクへ」と題した記事で、多人数の世帯には2枚では足りないとの声を紹介。「マスク配布の計画は物笑いの種になっている」と伝えた。

 CNNテレビ電子版も「さえない政策だと多くの人々が感じている」と指摘した。

感想
マスク2枚を世帯に配布すると聞いて、「えっ、冗談でしょう!」と思いました。
誰が考えてもおかしな政策を、税金200億円かけてやることでしょうか?

ひょっとして布マスクの生産を依頼した先の繊維会社は、また安倍首相のお友だちが寄付者なのか?と勘ぐってしまいました。
ぜひ、国会で繊維会社名を出して、その会社から安倍首相や側近者に寄付がされていないかどうか確認して欲しいものです。

日本は笑いものです。
やっていることは小中校休校という効果のないことで国民に犠牲を強いて、税金3,000億円で休業補償を。
効果がなかったから今になってからさらに増えています。
韓国は減らしてきたというのに。

韓国と日本の違いは、PCR検査をするかしないか。
他の国はほとんどが検査をしています。
日本は検査をしていないので感染者が広げています。
またリスク高い高齢者や持病ある人の発見が遅れて重症化、手遅れになっています。
志村けんさんもその典型かもしれません。

また死亡者が少ないと言っていますが、肺炎で毎日300人亡くなっており、その中にきっと多くの感染者がいると思います。
東京都もそのリスクがあるとのことで、肺炎で亡くなった人は、「新型コロナウイルスで亡くなった人と同じ対応をすること」と通達をだしています。

今からでも遅くはないのでPCR検査を徹底されることです。
医療崩壊するからと言っていますが、検査を徹底してやらなかったから医療崩壊のリスクが生じようとしているのです。
海外から失笑されるようなことをしている安倍首相、それを選んだ自民党と公明党、それを選んだ国民に問題があるからでしょう。


竹俣紅がフジテレビアナウンサーに内定、棋士から「華麗なる転身」のワケ ”道の選択が難しい”

2020-04-03 10:22:48 | 生き方/考え方
https://news.goo.ne.jp/article/dailyshincho/entertainment/dailyshincho-609562.html 2020/02/24(デイリー新潮)
 天に二物どころか三物も与えられているのか。“美人過ぎる女流棋士”と称された竹俣紅(たけまたべに)“元”女流初段(21)が、来春採用のフジテレビアナウンサーに内定したと報じられた。華麗なる転身の裏にはどんな読みがあったのか。
 竹俣は2012年10月、渋谷教育学園渋谷中学校2年生の時に女流プロ入りした。が、一昨年末、日本将棋連盟に退会届を提出して棋界と決別している。
 観戦記者によれば、
「局アナへの転身は、正解だと思います。彼女の学歴と美貌を考えれば、当然の決断でしょう」
 目下、竹俣は早稲田大学政経学部の学生で、数多のテレビ番組に出演しているのはご存じの通り。観戦記者が続ける。
「女流棋士の対局料は、1万円に満たない時もあります。彼女の対局数は年間10局程度でしたから、本業の年収は100万円にも満たなかったはずです」
 一方、フジテレビ社員の平均年収は1千万円超だが、アナウンサーは早くして平均を超えるとか。
「経済的な問題ではなく、活躍の場を求めて転身を決断したのだと思います」
 こう語るのは現役棋士だ。
「彼女の先祖は、藩政改革を断行した米沢藩主・上杉鷹山(ようざん)の家老だった竹俣当綱(たけのまたまさつな)。東京・渋谷区内の一軒家に住む裕福な家のお嬢さんですから、経済的には何の不自由もありません」
 数年前、竹俣は本誌(「週刊新潮」)の取材に“当綱の家系で、父親が山形の県花・紅花から名付けた”と語っていた。
「ここ数年、竹俣さんの棋力は頭打ちで負けが込んでいました。後輩棋士も勢いがあり、彼女は“将棋界に居場所を見つけるのが難しい”と、限界を感じたのでしょう」(同)
 彼女が指した一手は妙手となるか、それとも……。
「週刊新潮」2020年2月20日号 掲載

感想
どの道を選択するか。
そのとき、過去の体験や学びを生かして、未来のために今よりより選択をすることなのでしょう。
そしてその選択した道を一生懸命歩むことなのでしょう。
そのための努力も必要ですが。

2つを迷って迷って結論着かない場合があります。
その時はどちらを選んでも正解なのでしょう。
またどちらを選んでも後悔あると思います。
大切なことは選んだ道を精一杯努めることなのだと思います。

ダン・ジャンセン選手の悲劇を乗り越えて 本番で力を発揮する "悲劇を悲劇で終わらせない”

2020-04-03 09:54:54 | 生き方/考え方

 スケートのダン・ジャンセン選手は4度の
オリンピックを経験しました。


 しかし長き間に渡って、スピードスケート短距離界のトップ選手であり、世界選手権で優勝しながら、 オリンピックの魔物に魅入られて、オリンピックのメダルだけには縁がありませんでした。


最初のオリンピックでは出場する数日前にお姉さんの突然の死亡が伝えられました。悲劇もかさなっていました。


3度目のオリンピック終了後、メンタルトレーニングを受けました。その結果、4度目のオリンピックで、メンタルトレーニングの成果が出て、金メダルを取ることができました。 彼を指導したメンタルトレーナーの本には以下のアドバイスがありました。


結果を想像しない。今やることだけを考えて実行する。」


スタートラインに立ったら、どのようなポウズを取るか、そしてピストルがなったらどう足をだすかだけを考える。まっすぐの滑りは、どうするか。コーナーの滑りはどうするかだけを考える。


ある本に呼吸法をやるだけでも落ち着くとありました。


緊張した時に呼吸に集中する。時間をかけて吐くことに集中し、そして吸う。


頭は同時に二つのことを考えられないので、呼吸法に注意がいっていると、余計なことを考えないとありました。


別の本にも緊張を解く方法が紹介されていました。


10円玉を立てることをやるそうです。それに集中していると、緊張していたことを忘れてしますそうです。


前に大勢の前で話をしていて、頭の中が真っ白になり、言葉が出て来ませんでした。そこで「今頭の中が真っ白になり、言葉が出て来ませんが・・・」と話したところ、言葉が出て来ました。不思議なものです。


緊張しないように思えば思うほど緊張します。寝なければいけないと思えば思うほど目が覚めて寝られません。緊張するのが当然、緊張しながらやればよい。寝られなくても身体を横たえているだけでも疲れが取れるからよい。と思うと、緊張が和らいだり、知らない間に寝ていることがあります。


悟りについての話がある本に紹介されていました。


あるお坊さんが悟りを悟ったと茶屋のおばあさんに言いました。おばあさんは、若い妖艶な女性に言って、そのお坊さんに抱き付かせました。お坊さんは何の反応も起こさずに、私はそのような誘惑にも何も反応しませんとおばあさんに言いました。おばあさんは「かつっ!」と発し、「ありのままに、自然にする。感情や身体の変化が起きるのは自然。その感情や身体の変化があってもそれを受けとめるだけである。何の反応もしないのは、感情やや身体の変化を抑えよとしている」と諭しました。


 


不安が一杯な時は、何か集中できる、遊べる、忘れられることをやることが精神を休ませることにもなるようです。


悲劇をそのままにしていると悲劇のままです。
その悲劇から何か学ぶことをして、次に生かしていくことなのでしょう。
そうしないとまた同じ悲劇を繰り返します。
悲劇を生かしていくと新しい体験や出逢い、学びがあると信じて進みたいです。

「戦争は女の顔をしていない」スヴェトラーナ・アレタシエーヴィチ著 三浦みどり訳 ”戦争は女性も巻き込まれる(ソ連)”

2020-04-03 03:02:08 | 社会
ソ連の従軍女性たちは十五歳から三十歳で出征していった人たちで、他国の看護婦や軍医というだけでなく、実際に人を殺す兵員であった。ところが戦争で男以上の苦しみを体験した彼女たちを、次の戦いが待ち受けていた。従軍手帳を隠し、支援を受けるに必要な戦傷の記録を捨てて、戦争体験をひた隠しにしなければならなかったのだ。「戦地に行って男の中で何をしてきたやら」と戦地経験のない女性たちからは侮辱され、男たちも軍隊での同僚だった女性たちを守らなかった。

・「これは出版しちゃだめよ、あなたにだけ話すのさ・・・」

・「進軍していくだろ・・・ドイツに入って最初の村々・・・俺たちは若く、元気だった。女なしの暮らしを四年間もしたあと。地下の酒蔵には酒がいっぱい。つまみもある。そこでドイツ娘たちを捕まえることにした。十人で一人の女性を暴行した。女は足りなかった。村の住民はソ連軍の進軍を恐れ逃亡していた。そこで少女たちを捕まえようとした。十一-十二歳の少女たち・・・泣き出したりしたら、殴りつけ、口に何かつっこんで黙らせた。痛がっても、こちらは愉快でしょうがない。今はどうしてあんなことに加わることができたのか分からない・・・教養のある家庭で育った自分が? でも、あれは自分なんだ。
 ただ、唯一恐れていたのは、味方の女の子たちがこれを知ってしまうことだった。わが軍の勧募兵たちが。彼女たちに対しては恥ずかしいかった・・・」

・初めての時は怖かった・・・とっても・・・。
私たちは腹這いになって見張る。ほらドイツの奴が塹壕から身を乗り出した。私は引き金を引き、そいつは倒れた。私は全身が震えて自分の骨がガタガタ鳴るのが聞こえる。泣き出してしまった。標的で訓練していた時には何でもなかったのに人を撃ち殺しちゃった! 私が! 私と関係ない人を殺したんだ! この人のことを全く何も知らないのに、殺しちゃった。

・私たちには聞こえるんです。その若者が懇願しているのが。誓っています。「銃殺しないでくれ」と哀願しています。「家では母が一人っきりなんだ」と。泣き出します。そして、額に一発。ピストルで。見せしめの銃殺-ちょっとでもびくついた者は誰でもこういうことになるという。ただの一分でも。ほんの一分でも・・・。

・戦争が終わったとき私には三つの願いがありました。
第一はもう二度と匍匐行進しないということ。トロリーバスに乗って行けばいいんです。
第二は白パンを買ってまるまる全部食べること。
第三は白い寝床でぐっすり寝ること。そして糊のきいたシール。白いシーツ・・・。

感想
戦争で行うことは殺人です。
戦争では敵国の人を殺すことは殺人罪ではなく国家のためになります。
戦争をしてはいけないのです。
戦争になる前に阻止しないと戦争になるとどうしようもありません。

戦争体験の人のメッセージは重要です。
そういう人がだんだん亡くなって逝き、その話を聴く機会がなくなっています。
私たちは戦争体験が書かれた本を読み継ぐ必要があります。