幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

立川談四楼 安倍首相と昭恵夫人をチクリ ”怒りを代弁!”

2020-04-18 19:33:03 | 新型コロナウイルス
https://news.yahoo.co.jp/articles/2557f95af767f24fe021ecbf34e543c8fdd15d2c 東京スポーツ4/18(土)

「ロイター通信が『世界一間抜けなファーストレディー』として昭恵夫人の50人旅行を報じ、その夫である安倍さんの新型コロナへの対応を『臆病でナメクジのように遅い』と痛烈に皮肉ったんだってさ」と紹介すると「何という比喩の巧さだろう。遅いと言えばカメだが、その上をゆくナメクジに喩えたんだ。勉強になるなあ」とチクリ。

 直前の投稿では「麻生さん、何だいその『手を挙げた人に10万円』てのは。一律だろうがよ、何で申告しなきゃならねんだ。あんたから施しを受けるわけじゃねえぞ」とバッサリ。「財源がなきゃ非常時なんだから札を刷れよ。ゴマをスルように刷りゃいいんだ。じゃんじゃん刷れ。そして日本中にばら撒け。分かったか、このヒョットコ野郎!」と痛烈に批判した。

 さらに「『このまんまじゃあんたも私も終わるぞ』と公明の山口代表は、連立離脱も口にしつつ怒鳴ったってね。安倍さんは言葉の意味が理解できないから、怒鳴られて初めて大変だと思ったんだね。それが一律給付10万円の経緯と聞くが、山口代表は1発殴りゃよかったんだ。20万円になるチャンスだったのに惜しい」ともツイートしている。

感想
私たちは世界が日本をどうみているか?
胃の中の蛙になっているのではないでしょうか?

世界がPCR検査を徹底して、感染者の隔離、重症化リスクのある人の早期治療で死亡率を下げているというのに、日本は検査を抑制しています。
怖いのが世界の常識なのに、政府の意向なのか、一部の専門家も検査増やすのはよくないと発言し、日本の感染者と死亡者を増やしていることを推進していることです。

日本がせめて韓国がやりだしたときに同じように検査を徹底していれば、遅れてもドイツと同じように検査を徹底していれば収束に向かっていました。
オリンピックあるために検査を抑制し、結果それば感染を広げています。


阿川佐和子さん「サワコの朝 風吹ジュンさん」 ”樹木希林さんとの出逢い”

2020-04-18 12:17:07 | 生き方/考え方
うっかり見逃してしまいました。
下記にお話が掲載されています。
コピペは出来ませんので、下記のサイトをご覧ください。
https://www.mbs.jp/mbs-column/sawako/archive/2020/04/15/020248.shtml

樹木希林さんは多くの人に大切な思いやりを与え続けられ、その気持ちは遺された人にしっかりと引き継がれています。

阿川佐和子さん「サワコの朝 久住有生さん」 ”守破離”

2020-04-18 12:12:55 | 生き方/考え方
左官職人。高校卒業してから30年
金閣寺のお茶室(20002年)平成の院
東京国立博物館本館らう運治(2008年)
芝浦小学校、等級ブラ座渋谷5Fと7Fなども。
1972年生まれ。
シンガポール、フランスの建物も。
左官一家の長男。
高校生になってケーキやさんで3年間アルバイトしてケーキやさんになろうと思っていた。

新しい造るものが多いので、サンプルを作っている。お客さんによって要望が違うので。
見本について説明。

気に入らないと最初からやり直す。お客さんは納得していても。
家を建て直しする場合でも丁寧な仕事をしたものはその部分を残したいと思う場合がある。

思い出に残る曲 oasis「Wonderwall」
故郷淡路の大震災の時、壁を直して回った。朝から晩まで直していた。
その時、この曲を聴いて落ち着くなと思った。

20代の時、ヘルニアや腱鞘炎で壊れていた。
でも直さないといけないと思った。
その時直したのが経験になった。前に壁を塗った人のやり方が剥がすとわかるので勉強になった。

コテは10種類程度であるが、1,000種類持っている。それがないと仕事ができない。
材料は淡路島のが好き。慣れ親しんでいる。
ホームセンターには水を入れたらすぐ使えるものが売っている。プロでも使っている。
僕らはいろんなところから土を購入して調合している。

小さいときからパネルに土を縫って剥がすをしないとご飯食べさせてもらえなかった。
夏休みにも手伝いさせられた。しっくいの片抜きしたり。
修業は怖かった。嫌だけどやらないといけない。
反抗して2回家出した。
左官屋にはなりたくなかった。
中学に入ってバイトした。
甘いものが好きで、特にケーキが好きだった。
高校3年間ケーキ屋でアルバイトした。
ケーキを平らに塗るのは得意だった。
一緒にバイトした仲間より、クリーム塗るなどの仕事も任せてもらった。
塗ることでは同じだった。
父にケーキの学校に行きたいと言ったら反対された。
だったら、ヨーロッパに行って、良い建築物の建物を見てこいとお金を出してくれた。
スペインのサクラダファミリアなどはまだ建設している。
海外の建物を見て、左官も良いかなと思った。
でもやっぱりケーキ屋になりたいと言ったら、父は「ケーキは食べたらなくなるけど、左官の造ったものは残る」と言われて、なるほどと思った。その時左官屋になろうと思った。

仕事終わってから帰って練習しても3時間しかない。だったら寝る時間を削るしかない。
寝る時間を削って練習した。
海外からも仕事を貰っている。海外の場合は現地で見本を造る。海外の材料を使って造る。

修復作業も多い。先人の知恵を学ぶ。壁を外して先人のやっているのを知ることができる。
50年度のことを考えて塗っているだなんと感じる。
人が触ってピカピカになる。それを思って造っている。
古くていいものはすぐにはできない。長く人がかかわった物がある。

若い人に伝えるなら、「気持ちを乗せる」ことを言いたい。ただの腕自慢だけではだめ。
サーフィンは壁しか見えていなかったので、もう少し視野を広げた方が良いと思って20代後半から始めた。サーフィンから始めたが、そこから学んだことが多く、壁に行かされている。
トライアスロンをやりだしてから体力が身についた。親方なのでだんだん体力が亡くなっていたが若い人同じように今も壁を塗ることができる。
全てが壁につながっている。

感想
世阿弥の「花伝書」の”守破離”が出てきました。
久住さんは小さいときは父親に強制的に練習させられました。
嫌だったそうです。
でもそれがまさに、“守”になり、さらに左官屋になってからも練習に励まれました。
そして今は“離”として久住さん独自の世界を創られているのだと思いました。
道を究めると可能性は無限なんだと感じました。