★病床六尺。小さな床の中で闘っていた子規(香川照之)。
真之(本木雅弘)は大きな世界で闘っていたが、子規のような闘い方もある。
「わしは死なんぞ。痛い、痛いと畳の上をのたうちまわっても俳句を作る」
あっぱれ!!
子規は見事に生き切った。
それだけであっぱれ!!
子規には、世界を舞台に活躍する真之に対して様々な想いがあっただろう。
自分も真之のように広い世界を見てまわりたい。
しかし、それが出来ない体となって、病床六尺に生きる自分を受け入れた。
俳句の革新という自分独自の闘いを展開した。
人が生きるとは<自分独自の闘い>をするということだろう。
それはどんな闘いでもいい。世間の物差しや他人との比較に合わせることはない。
そして、もうひとつ大切なことは<生き切ること>。
子規逝くや十七日の月明に
★今回の恋愛エピソードは、真之をめぐる律(菅野美穂)、稲生季子(石原さとみ)の三角関係。
前回の広瀬といい、入れて来ますね、恋愛話を。
「淳さんにもああいう人がいるのかと思って安心した」と語る律は強がり?
また桃が上手い小道具になっている。
律が持ち帰らず、置いていった桃。
これは深読みすれば意味深。「わたしもいるのよ。忘れないで」という意思表示か?
現代ドラマだと、律と季子を鉢合わせさせてすったもんださせる所だが、この辺は明治のドラマ。
桃を置いて置いて黙って帰る。
この方が律のキャラクターを描けているし、抑制がきいていて文学っぽい。
★好古(阿部寛)と袁世凱(薜勇)のやりとりもなかなか。
酒の飲み比べをし、「日本人には負けない」「清国人には負けん」とお互いの本音を言い合いながら、しっかり信頼関係を作っている。
菅首相に見習ってほしいと思うと共に、最近の大河ドラマでこういう描写はなかったなと思う。
最近の大河はどうも薄っぺらで、簡単にお互いが納得してしまう。
「龍馬伝」では牢で武市と容堂が酒を飲む同様のシーンがあったが、どうにも軽かった。
微妙な部分なんですけどね。
おそらく「坂の上の雲」の脚本家さんは酒を酌み交わすとはどういうことかをわかっているのだろう。
★そして最後に乃木希典と児玉源太郎が登場。
子規が去り、後半の主役達が登場という感じですね。
ここでも村人達と酒を飲むシーンがあったが、実に風格がある。
これから軍に入っていく若者に酒を与えるというだけの行為なのだが、それだけで見入ってしまう。
眼福というか、いいものを見せてもらったなという感じがある。
いいものを見せてもらったといえば、作品に出て来る建物もそう。
乃木の大きな茅葺きの家、横須賀鎮守府の建物、共立女子専門学校の校舎……、いずれも現在は民家園や観光スポット、博物館の模型でしか見ることが出来ないものだが、どこか既視感がある。
映画「三丁目の夕日」の街並みにも既視感を感じたが、これはわれわれのDNAに組み込まれているのかもしれない。
こういうふうに目を愉しませるのもドラマの見方のひとつだろう。
※追記
真之たちの来ている軍服もなかなか。
子規のお墓参りをしていた時の黒いフロックコートもカッコイイ。
かと言って軍隊や戦争を賛美するつもりはないが、世の女性に軍服好きが多いように、軍服には人を魅了するものがある。
ちなみに男子学生の詰め襟は陸軍から、女子学生のセーラー服は海軍の軍服から来たらしい。
また唐沢俊一氏に拠れば、女子の制服にセーラー服が採用された理由は「男子が陸軍だから、女子は海軍でいいか」みたいな安易なノリだったとか。
真之(本木雅弘)は大きな世界で闘っていたが、子規のような闘い方もある。
「わしは死なんぞ。痛い、痛いと畳の上をのたうちまわっても俳句を作る」
あっぱれ!!
子規は見事に生き切った。
それだけであっぱれ!!
子規には、世界を舞台に活躍する真之に対して様々な想いがあっただろう。
自分も真之のように広い世界を見てまわりたい。
しかし、それが出来ない体となって、病床六尺に生きる自分を受け入れた。
俳句の革新という自分独自の闘いを展開した。
人が生きるとは<自分独自の闘い>をするということだろう。
それはどんな闘いでもいい。世間の物差しや他人との比較に合わせることはない。
そして、もうひとつ大切なことは<生き切ること>。
子規逝くや十七日の月明に
★今回の恋愛エピソードは、真之をめぐる律(菅野美穂)、稲生季子(石原さとみ)の三角関係。
前回の広瀬といい、入れて来ますね、恋愛話を。
「淳さんにもああいう人がいるのかと思って安心した」と語る律は強がり?
また桃が上手い小道具になっている。
律が持ち帰らず、置いていった桃。
これは深読みすれば意味深。「わたしもいるのよ。忘れないで」という意思表示か?
現代ドラマだと、律と季子を鉢合わせさせてすったもんださせる所だが、この辺は明治のドラマ。
桃を置いて置いて黙って帰る。
この方が律のキャラクターを描けているし、抑制がきいていて文学っぽい。
★好古(阿部寛)と袁世凱(薜勇)のやりとりもなかなか。
酒の飲み比べをし、「日本人には負けない」「清国人には負けん」とお互いの本音を言い合いながら、しっかり信頼関係を作っている。
菅首相に見習ってほしいと思うと共に、最近の大河ドラマでこういう描写はなかったなと思う。
最近の大河はどうも薄っぺらで、簡単にお互いが納得してしまう。
「龍馬伝」では牢で武市と容堂が酒を飲む同様のシーンがあったが、どうにも軽かった。
微妙な部分なんですけどね。
おそらく「坂の上の雲」の脚本家さんは酒を酌み交わすとはどういうことかをわかっているのだろう。
★そして最後に乃木希典と児玉源太郎が登場。
子規が去り、後半の主役達が登場という感じですね。
ここでも村人達と酒を飲むシーンがあったが、実に風格がある。
これから軍に入っていく若者に酒を与えるというだけの行為なのだが、それだけで見入ってしまう。
眼福というか、いいものを見せてもらったなという感じがある。
いいものを見せてもらったといえば、作品に出て来る建物もそう。
乃木の大きな茅葺きの家、横須賀鎮守府の建物、共立女子専門学校の校舎……、いずれも現在は民家園や観光スポット、博物館の模型でしか見ることが出来ないものだが、どこか既視感がある。
映画「三丁目の夕日」の街並みにも既視感を感じたが、これはわれわれのDNAに組み込まれているのかもしれない。
こういうふうに目を愉しませるのもドラマの見方のひとつだろう。
※追記
真之たちの来ている軍服もなかなか。
子規のお墓参りをしていた時の黒いフロックコートもカッコイイ。
かと言って軍隊や戦争を賛美するつもりはないが、世の女性に軍服好きが多いように、軍服には人を魅了するものがある。
ちなみに男子学生の詰め襟は陸軍から、女子学生のセーラー服は海軍の軍服から来たらしい。
また唐沢俊一氏に拠れば、女子の制服にセーラー服が採用された理由は「男子が陸軍だから、女子は海軍でいいか」みたいな安易なノリだったとか。