大坂城に戻る千成瓢箪。
動揺する兵たち。
これがいくさの潮目を変えた。
もともとがギリギリの戦いで兵士たちの心は張り詰めていたから、これが切れた時は一気に崩れる。
たったひとつの判断ミスや偶然がいくさの勝敗を分けるんですね。
どんなに優れた作戦を立てていても、それは起こる。
このことは人生でも同じ。
自分の思い描いたとおりに生きられる人などいない。
思うとおりにいかないのが人生。
そんな壁にぶつかって、時に人は絶望してしまうのだけれど、幸村(堺雅人)はこう諭す。
「望みを捨てぬ者に道は開ける」
死ぬことが運命だと絶望している淀(竹内結子)には、
「世の中に誇り高い死などありません。おかみ様には誇り高く生きてほしい」
大切なのは、
いかに死ぬかではなく、
いかに生きるかなのだ。
『真田丸』の登場人物たちは、皆、精いっぱい自分を生きている。
真田家の人たちにスポットを当てれば、
作兵衛(藤本隆宏)も、内記(中原丈雄)も、佐助(藤井隆)も、三十郎(迫田孝也)もそうだ。
作兵衛は大坂城の畑で死んだ。
最期の言葉は「梅、すえ……」
畑と愛した娘たち──これが作兵衛という人の人生だった。
内記は死ぬ時、昌幸(草刈正雄)の位牌。
昌幸の思いを継ぐこと──これが内記の人生だった。
佐助は走りまわった人生だった。
だから、最後に「疲れたろう?」と問われて、
「体が痛うございます」
大切なのはこれだと思う。
死ぬまで、自分の体を使い切ること。
僕はこの佐助のシーンが好きだ。
三十郎は幸村と敵として相まみえることになって不本意だっただろう。
「源次郎様~~~っ!!」
と悲痛な叫び。
人は時として矛盾を抱えながらも生きていく。
そんな人間にとって、自分を精いっぱい生きている人はまぶしくて、うらやましい存在に違いない。
自分に誇りを持てないのかもしれない。
上杉景勝(遠藤憲一)も同じだ。
しかし、それは自分が引き受けた生き方で、少しも恥じることはない。
自分の矛盾に悩み、苦しむだけで十分に美しい。
与左衛門は憎しみの中で生きてきた。
その憎しみは最期まで浄化されることなく、幸村内通の策略に荷担し、料理部屋に火をつけた。
凄まじい憎しみだ。
憎しみは生きるエネルギーになるのだろうけど、しんどいだろうな。
負ける豊臣を目にして、与左衛門は救われたのだろうか?
…………………
さて、幸村が〝生きた証〟とは何だったのだろう?
内記が言った〝義を貫き徳川家康と渡り合った日の本一の強者〟という名声か?
でも、これは他人が決めるもの。
幸村自身もしっくりきていないようだ。
一方、幸村は戦う理由として家康(内野聖陽)にこう叫んだ。
「わが父のため、わが友のため、わが愛する者のために!」
これが幸村が出したひとつの結論だろう。
幸村の生き様としては、この言葉が一番ふさわしい。
昌幸を始めとして、石田三成、大谷刑部、秀吉、後藤又兵衛、作兵衛ら家臣たち、皆が幸村の背中を押している。
愛する者の中には、淀や秀頼、豊臣家も入っているだろう。
この生き様こそが、幸村の生きた証なのだ。
視聴者はエンディングの回想を見ることで、これを実感する。
そして、幸村が見出した、もうひとつの〝生きた証〟。
最期に幸村は、仲むつまじい娘のすえ夫婦を思い浮かべた。
娘すえを残せたこと。
これも幸村の生きた証のひとつと言えよう。
…………………
最後に信之。
『真田丸』の最後のせりふは、信之の「参るぞ」だった。
短いが、深いせりふだ。
六文銭の音で、信之は幸村の死を覚った。
望んでいなかった弟の死。
しかし、信之には現実があり、真田家や領民たちがいる。
信之はそれらのために生きていかなくてはならないし、歩みを止めることはできない。
信之にはまだ長い旅があるのだ。
そんな思いのこもった「参るぞ」だった。
動揺する兵たち。
これがいくさの潮目を変えた。
もともとがギリギリの戦いで兵士たちの心は張り詰めていたから、これが切れた時は一気に崩れる。
たったひとつの判断ミスや偶然がいくさの勝敗を分けるんですね。
どんなに優れた作戦を立てていても、それは起こる。
このことは人生でも同じ。
自分の思い描いたとおりに生きられる人などいない。
思うとおりにいかないのが人生。
そんな壁にぶつかって、時に人は絶望してしまうのだけれど、幸村(堺雅人)はこう諭す。
「望みを捨てぬ者に道は開ける」
死ぬことが運命だと絶望している淀(竹内結子)には、
「世の中に誇り高い死などありません。おかみ様には誇り高く生きてほしい」
大切なのは、
いかに死ぬかではなく、
いかに生きるかなのだ。
『真田丸』の登場人物たちは、皆、精いっぱい自分を生きている。
真田家の人たちにスポットを当てれば、
作兵衛(藤本隆宏)も、内記(中原丈雄)も、佐助(藤井隆)も、三十郎(迫田孝也)もそうだ。
作兵衛は大坂城の畑で死んだ。
最期の言葉は「梅、すえ……」
畑と愛した娘たち──これが作兵衛という人の人生だった。
内記は死ぬ時、昌幸(草刈正雄)の位牌。
昌幸の思いを継ぐこと──これが内記の人生だった。
佐助は走りまわった人生だった。
だから、最後に「疲れたろう?」と問われて、
「体が痛うございます」
大切なのはこれだと思う。
死ぬまで、自分の体を使い切ること。
僕はこの佐助のシーンが好きだ。
三十郎は幸村と敵として相まみえることになって不本意だっただろう。
「源次郎様~~~っ!!」
と悲痛な叫び。
人は時として矛盾を抱えながらも生きていく。
そんな人間にとって、自分を精いっぱい生きている人はまぶしくて、うらやましい存在に違いない。
自分に誇りを持てないのかもしれない。
上杉景勝(遠藤憲一)も同じだ。
しかし、それは自分が引き受けた生き方で、少しも恥じることはない。
自分の矛盾に悩み、苦しむだけで十分に美しい。
与左衛門は憎しみの中で生きてきた。
その憎しみは最期まで浄化されることなく、幸村内通の策略に荷担し、料理部屋に火をつけた。
凄まじい憎しみだ。
憎しみは生きるエネルギーになるのだろうけど、しんどいだろうな。
負ける豊臣を目にして、与左衛門は救われたのだろうか?
…………………
さて、幸村が〝生きた証〟とは何だったのだろう?
内記が言った〝義を貫き徳川家康と渡り合った日の本一の強者〟という名声か?
でも、これは他人が決めるもの。
幸村自身もしっくりきていないようだ。
一方、幸村は戦う理由として家康(内野聖陽)にこう叫んだ。
「わが父のため、わが友のため、わが愛する者のために!」
これが幸村が出したひとつの結論だろう。
幸村の生き様としては、この言葉が一番ふさわしい。
昌幸を始めとして、石田三成、大谷刑部、秀吉、後藤又兵衛、作兵衛ら家臣たち、皆が幸村の背中を押している。
愛する者の中には、淀や秀頼、豊臣家も入っているだろう。
この生き様こそが、幸村の生きた証なのだ。
視聴者はエンディングの回想を見ることで、これを実感する。
そして、幸村が見出した、もうひとつの〝生きた証〟。
最期に幸村は、仲むつまじい娘のすえ夫婦を思い浮かべた。
娘すえを残せたこと。
これも幸村の生きた証のひとつと言えよう。
…………………
最後に信之。
『真田丸』の最後のせりふは、信之の「参るぞ」だった。
短いが、深いせりふだ。
六文銭の音で、信之は幸村の死を覚った。
望んでいなかった弟の死。
しかし、信之には現実があり、真田家や領民たちがいる。
信之はそれらのために生きていかなくてはならないし、歩みを止めることはできない。
信之にはまだ長い旅があるのだ。
そんな思いのこもった「参るぞ」だった。