「もうひとりくらい行っとく?」笑
鎌倉殿の13人は能力や実績ではなく、北条、比企の派閥の論理で選ばれたのか!
ある者はそんな能力がないと言いつつおだてられると引き受け、ある者は俺も入れろと強引にねじ込み、ある者は声をかけられなかったことを嘆き……。
みんな実に人間っぽい。
根底にあるのは、愚かな人間に対する愛情なんですね。
これが三谷幸喜さんの『人間喜劇』。
本編終了後の紀行に拠れば、『吾妻鏡』では13人の補佐役がいたことが書かれているようだが、13人がどのような理由で選ばれたかは書かれていない。
作家はまさに行間を読むわけだが、三谷幸喜流解釈はこれだった。
………………………………………
頼家(金子大地)の人柄は第三者の口からさまざまに語られた。
「経験が少ないから何をどうすればいいかわかっていない」
「助けてくれ、と言えない人」
「いつも頼朝様と比べられて苦しんでいる」
「面倒なことから逃げる人」
都の公家志向でもあり、蹴鞠を推奨。
これで頼家が板東武者ではないことを表現している。
そして後半。
義時(小栗旬)の言葉を完全にひっくり返した。
前日、義時は頼家にこう諭した。
「御家人をお信じ下さい」
「人数が多くて逆によかったかもしれません。
少ない者たちに力が集まれば、よからぬことが起こりますから」
しかし翌日、補佐役が13人になってしまったことが面白くない頼家は別の5人の補佐役を用意して──
「わしは御家人を信じない。信じられるのはこの者たちだけだ!」
「これからは切磋琢磨して新しい鎌倉を作ろうではないか!」
13人対して宣戦布告!
頼家、これは完全に悪手だ。
武力や所領など、鎌倉で実際に力を持っているのは13人。
5人はその下の若者に過ぎない。
5人に対する頼家の人物評価も「蹴鞠が上手いから」とか、そんな理由。
・高すぎるプライド
・他者への不信
・自分の能力に対する過信とその裏返しの劣等感
頼家、マイナス要素が多過ぎる。
頼朝(大泉洋)は、プライドは高かったが味方をつくるためにへりくだることを知っていた。
御家人を信用していなかったが、義時や政子(小池栄子)がいた。
そして頼朝は大局を見て判断する政治能力はとてつもなく高かった。
まあ、頼家の人間不信は「権力者の孤独」に起因するんだろうな。
梶原景時(中村獅童)や義時など、まわりの人間はさまざまな助言をしてくるが、すべての言葉が自分を騙しているようで誰も信じることが出来ない。
義時の苦労は今後も続きそうである。
鎌倉殿の13人は能力や実績ではなく、北条、比企の派閥の論理で選ばれたのか!
ある者はそんな能力がないと言いつつおだてられると引き受け、ある者は俺も入れろと強引にねじ込み、ある者は声をかけられなかったことを嘆き……。
みんな実に人間っぽい。
根底にあるのは、愚かな人間に対する愛情なんですね。
これが三谷幸喜さんの『人間喜劇』。
本編終了後の紀行に拠れば、『吾妻鏡』では13人の補佐役がいたことが書かれているようだが、13人がどのような理由で選ばれたかは書かれていない。
作家はまさに行間を読むわけだが、三谷幸喜流解釈はこれだった。
………………………………………
頼家(金子大地)の人柄は第三者の口からさまざまに語られた。
「経験が少ないから何をどうすればいいかわかっていない」
「助けてくれ、と言えない人」
「いつも頼朝様と比べられて苦しんでいる」
「面倒なことから逃げる人」
都の公家志向でもあり、蹴鞠を推奨。
これで頼家が板東武者ではないことを表現している。
そして後半。
義時(小栗旬)の言葉を完全にひっくり返した。
前日、義時は頼家にこう諭した。
「御家人をお信じ下さい」
「人数が多くて逆によかったかもしれません。
少ない者たちに力が集まれば、よからぬことが起こりますから」
しかし翌日、補佐役が13人になってしまったことが面白くない頼家は別の5人の補佐役を用意して──
「わしは御家人を信じない。信じられるのはこの者たちだけだ!」
「これからは切磋琢磨して新しい鎌倉を作ろうではないか!」
13人対して宣戦布告!
頼家、これは完全に悪手だ。
武力や所領など、鎌倉で実際に力を持っているのは13人。
5人はその下の若者に過ぎない。
5人に対する頼家の人物評価も「蹴鞠が上手いから」とか、そんな理由。
・高すぎるプライド
・他者への不信
・自分の能力に対する過信とその裏返しの劣等感
頼家、マイナス要素が多過ぎる。
頼朝(大泉洋)は、プライドは高かったが味方をつくるためにへりくだることを知っていた。
御家人を信用していなかったが、義時や政子(小池栄子)がいた。
そして頼朝は大局を見て判断する政治能力はとてつもなく高かった。
まあ、頼家の人間不信は「権力者の孤独」に起因するんだろうな。
梶原景時(中村獅童)や義時など、まわりの人間はさまざまな助言をしてくるが、すべての言葉が自分を騙しているようで誰も信じることが出来ない。
義時の苦労は今後も続きそうである。