平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「夜明け前」① 島崎藤村~和宮降嫁、水戸天狗党の敗走。木曽路にも幕末の嵐が押し寄せて来た。

2023年03月22日 | 小説
 木曽路はすべて山の中である。
 ある所は岨(そば)づたいに行く崖の道であり、ある所は数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、ある所は山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。


 この有名な書き出しで始まる島崎藤村の『夜明け前』。
 文庫本4巻にわたる幕末・明治の壮大な歴史小説である。

 主人公は木曽路・馬籠の宿の本陣・問屋(といや)・庄屋を務める青山半蔵。
 半蔵は「国学」を学んでいる。
 国学の根本は暗い中世の否定だ。
 つまり中世以来この国の道徳の権威として君臨している儒教、仏の道を教える仏教の否定である。
 平田篤胤ら国学者は、儒教や仏教の影響を受けない古代人の心に立ち帰って、心ゆたかにこの世を見直せと主張した。
 これが政治的に行き着く所は帝を中心にした国の形成──つまり王政復古、武家社会の否定である。

 だから半蔵は徳川の世に批判的だ。
 黒船がやって来て、不平等な通商条約を結び、
 日本国内の金銀が不当に海外に流出していることにも憤っている。
 その憤りを半蔵はこんな短歌で表現する。
『あめりかのどるを御国(みくに)のしろかねに、ひとしき品と定めしや誰』

 半蔵は、幕末の若者が皆そうであったように『尊皇攘夷』思想の持ち主なのだ。
 しかし、半蔵には本陣の家業があるため、尊皇攘夷運動に関わることが出来ない。
 半蔵は嘆く。
「こんな山の中にばかり引き込んでいると何だか俺は気でも違いそうだ。
 みんな、のんきなことを言ってるが、そんな時世(じせい)じゃない」

 そんな木曽路の半蔵にも時代の波は押し寄せて来る。

 和宮降嫁。
 将軍・家茂に嫁ぐ和宮は中山道、木曽路を通って江戸に入った。
 その通行は前代未聞の規模で、とんでもない人足と馬が駆り出された。
 帝を崇拝する半蔵はもちろん麻の裃(かみしも)をつけ、袴の股立(ももだち)を取って奔走した。

 水戸天狗党の敗走。
 天狗党は尊皇攘夷のために筑波山で戦った志士たちである。
 天狗党の中には尊皇攘夷の指導者だった藤田東湖の息子・小四郎もいる。
 しかし幕府の討伐軍に敗れた。
 敗れて木曽路にやって来た。
 だが彼らは惨めな敗走軍などではなく、
 水戸斉昭を表す『従二位大納言』の旗を奉じた、整然とした軍隊だった。
 そこには戦闘員ばかりでなく兵糧方、賄い方もいた。
 敗れた天狗党を接待することは危険なことだったが、
 半蔵は本陣の幕を張ってに自分の屋敷に迎え入れた。
 藤田小四郎は感謝して半蔵にこんな言葉を送った。
『大丈夫、まさに雄飛すべし、いずくんぞ雌伏せんや』
 だが結局、水戸天狗党は雄飛かなわず、越前・敦賀でとらえられ斬首された。
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 見事な歴史小説である。
 大河ドラマ『蒼天を衝け』の渋沢栄一もそうだったが、
『尊皇攘夷』に燃える当時の若者の苦悩や葛藤がよくわかる。
 水戸天狗党の敗走軍が『従二位大納言』の旗を奉じた立派な軍隊だったなんてディティルは第一級の歴史資料である。

 とはいえ、ここまではまだ『夜明け前』の前編。
 大政奉還を経て、半蔵がいよいよ御一新(明治維新)を迎える。
 半蔵が待望した『帝を中心にした世』の始まりである。
 しかし半蔵は明治の世に裏切られ、さらなる苦悩に襲われる。

 それは次回で。

コメント
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