平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

天地人 第36回「史上最大の密約」

2009年09月07日 | 大河ドラマ・時代劇
★家康(松方弘樹)が明確な敵になって面白くなってきた。
 前回も書いたが、対立図式がしっかりしている。
 その結果、せりふが立って来た。
 たとえば家康が兼続(妻夫木聡)のことを世の中を乱す者として責めた時の景勝(北村一輝)のせりふ。
 「お控えあれ。そのような者はわが家中におりませぬ」
 そんな景勝に対し家康が責めると、今度が兼続が反論。
 景勝、兼続の主従の関係もわかってなかなかの見応え。

 兼続と三成(小栗旬)の友情もなかなか。
 三成は家康に言われた<人望がないこと>に悩んでいた。ウジウジとわらじを編んで(なかなか可愛い)。
 そんな三成に兼続は「お前のことは俺がわかってる」と理解を示し、有事の際の戦略まで説いた。
 歴史事実として正しいかどうかは別として、これが作者の描きたかった主人公像なのだろう。
 やはり明確な敵、外圧は友情を作るんですね。
 平和な日常では固い絆はなかなか出来ない。

★このように家康が明確な敵になることでドラマになってきた「天地人」。
 まあ<正義対悪>という図式は単純すぎて物足りないが。
 こんなことは仮面ライダーや戦隊ものでもやっている。(いや、これら子供番組の方が正義や悪についてつきつめて考えているかもしれない)。

 酸いも甘いも知っている大人の鑑賞に耐えるにはこの<正義対悪>の図式はいささか物足りない。
 大人は正義と悪は表裏一体であることを知っている。
 「いいは悪い。悪いはいい」とシェイクスピアが「オセロ」で魔女たちに語らせたように。
 たとえば今回のことを家康の立場で考えてみればいい。
 兼続や三成、豊臣勢力は世を乱すもと。
 家康ならそう考えるであろうし、過去の大河ドラマでもそう描かれてきた作品は多々あった。
 結局、正義とか悪とかいうものは立場によって違ってくる相対的なものなんですね。
 僕なんかは後の三百年の平和と浮世絵など西洋人が驚愕する独自の文化を創った徳川の時代を支持する方ですし。
 そうすると家康が正義。

 結局、正義と悪とは相対的。絶対的な正義とか悪はない。
 だから自分が正義、正しいと言っている人には気をつけた方がいい。
 「これが正しいんじゃないかと思うんですけど」と言うくらいの人の方が信用できる。

 だいぶ話が逸れてしまったが、家康支持派としては感情移入しづらいなぁと思いつつ今後を見ていきます。



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4 コメント

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「天体戦士サンレレッド」 (TEPO)
2009-09-07 23:50:27
>これら子供番組の方が正義や悪についてつきつめて考えているかもしれない。

おっしゃるとおり、子供番組ではなるべく正義と悪との両義性が生じないようになるべく「純粋な悪役」を描く工夫をしているでしょうね。しかし、その点までをも相対化してしまう「戦隊もの」のパロディがあるのをご存じですか。
「天体戦士サンレレッド」なるアニメで、結構あざとく勝とうとする「レッド」や、レッドに負けて屋台で愚痴る、ほとんど善良な小市民のような「怪人」たちが登場しているようです。我が家の子供たちにも結構受けています。

歴史を家康側から見る視点が多い中で三成側から見た視点を描く本作は、反対側の立場からものごとを見る練習のような意味はあると思います。
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見たい! (コウジ)
2009-09-08 11:20:48
TEPOさん

いつもありがとうございます。
「サンレレッド」、ぜひ見てみたいです。
>善良な小市民のような「怪人」たちというのがいいですね。

TEPOさんのお子さんが受けているというのもいいですね。
きっと将来、頭のやわらかい柔軟な大人になると思います。

そうですね。
三成側から見て<反対側から物事を見る練習>にしたいと思います!

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関ヶ原の黒幕は兼続だった? (Tommy)
2009-09-08 20:08:41
こんにちは。お言葉に甘えてまたおじゃまします。

松方さんの大げさなほどの演技で、「家康はイヤな奴」という印象はできあがりました。そして言葉で兼続は「天下をおのれ一人のものにしている」「私利私欲で横暴な振る舞い」と非難しています。
でも何が「私利私欲」なのか、さっぱりわかりませんでした。
前田利長らに無実の罪をきせて、恭順させ人質をとったことなら、秀吉が秀次とその一党を死に追いやったことよりマシでしょう。奥方たちを上洛させた秀吉とどう違うのか。
譲り受けた大坂城の一角に天守を建てたことなら、諸大名の負担で伏見城を建てさせた秀吉の所行はどうなのか。
他の大老に相談せずに独断専行していることは、五大老制には反していますが、そもそも秀吉は独裁でした。
秀吉の築いた豊臣政権を「善」として家康を「悪」とするには、説得力がなさすぎです。

兼続と三成は「戦のない世」をしきりに口にしますが、秀吉が戦をしかけた朝鮮出兵には反対したのは最初だけ。景勝も兼続も自分たち帰国したら残った者のことは気にもしていません。秀吉没後に朝鮮からの引き上げを決めたのも、上洛しなかった景勝を除いたメンバー。大老の役目よりも自国の整備を優先させました。
そして今回のドラマでは兼続は明らかに挙兵を扇動しています。御館の乱を引き起こした責任は自分にあると泣いていたのに、実はまったく反省していなかったのですね。再び戦乱の世を招く者が悪なら、兼続こそ悪に見えました。
そうして運命の関ヶ原敗戦後に大阪の陣では豊臣家に弓引く上杉の行動を、どうやって「義」に反しないものと説明するのか。いっそ楽しみですらあります。

あくまでも、このドラマの姿勢に対しての意見です。兼続が「天下万民のため」などと言わず、「大事なのは主家の上杉」を貫いているのなら、主君のために泥を被ってでも奮闘する兼続に共感できるのですが……。

長々とすみませんでした。
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同感です (コウジ)
2009-09-09 08:25:46
Tommyさん

コメントいただきありがとうございます。
同感です。
僕も朝鮮出兵のことはずっと引っかかっていたので。
あそこでもっと反対の意思表示をしておかなくては行動の一貫性がありませんよね。
おっしゃるとおり<上杉家のため>と言えば一貫している。

<民のため><平和のため>というのはどうもいかがわしい怪しい言葉で。

家康と秀吉に関しても<権力欲>というくくりで理解すればいいんですよね。
どちらも同じ。

そろそろ<民のため><平和のため>という行動原理は見直した方がいいのかもしれません。

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