道長(柄本佑)の権勢に「揺らぎ」が出て来ている。
・三条天皇(木村達成)は派閥をつくり反道長の動き
道長の次男・ 教通(姫小松柾)も取り込まれた。
道長を「関白」にしてお飾りの存在にしようとした。
・さすがの行成(渡辺大知)も反発。
「左大臣様は敦康親王様から奪いすぎです」
「左大臣様がおかしくおわします」
政治まわりではないが、
・明子(瀧内公美)は「わたしは決して許しませぬ」
明子の子・顕信(百瀬朔)が蔵人頭になるのを道長が止めた結果、出家してしまったのだ。
・清少納言(ファーストサマーウィカ)も激怒。
「ここは私が歌を歌いたくなるような場所ではございませぬ」
彰子(見上愛)に向けられた言葉だが、道長が敦康親王(片岡千之助)を蔑ろにしていることへの
非難だ。
つらい道長。
見上げる月には雲がかかっている。
こんな状況だから道長はまひろ・藤式部(吉高百合子)の所に行って「現実逃避」する。
まず『源氏物語』で紫の上が死んでしまうことを聞いてガッカリ。
光源氏と紫の上の関係は、道長とまひろの関係だからだ。
まひろがなぜ敦康親王を東宮にしなかったのかを問うと、
「おまえとの約束を果たすためだ。そのことはおまえにだけは伝わっていると信じておる」
道長はまひろにだけは自分のやっていることを理解してもらいたいんですよね。
道長にとってはまひろだけが心の支え。
まひろに拒否されたら生きていけない。
わかるよ~、男は弱いからね。
ていうか、道長、本当にまひろのことが好きなんだなぁ。
というわけで次回は「川辺の誓い」
道長が約束を果たすために苦労していることをまひろが理解して、心を通わせる話になるのだろう。
………………………………………
彰子はどんどん魅力的な人物になっている。
心が解放されて自分の思いを素直に語る。
「泣き帝と歌を交わしたかった。話したかった。笑い合いたかった」
清少納言の批判をしっかり受けとめ、どうしたらいいかを考え始める。
おそらく彰子はこんなことを考えたのだろう。
・清少納言の言うとおり、敦康親王を東宮にしなかったことは間違ってる。
・自分は父・道長の言いなりになっている。
・では道長の意のままにならないためにどうしたらいいか?
藤式部・まひろに問うと、
「仲間をお持ちなさいませ」
三条天皇がやっているように派閥を作り始めた。
「国母」彰子が誕生しつつある。
敦康親王が御簾を越えて彰子の所に入って来たシーンはドキドキした。
まさに『源氏物語』の光源氏と藤壺の女御更衣。
このままでは絶対、敦康は彰子のもとに忍んで来る。
……………………………………………
まひろの娘・賢子(南紗良)も魅力的になっている。
双寿丸(伊藤健太郎)に「姫様のツラではないな」と言われたのに屈託なく笑っている。
武者に興味を持ち、「またご飯を食べに来なさい」と言える。
双寿丸がおかわりをすると自分のご飯をあげる。
賢子には身分という意識がない。
むしろ庶民の側だ。
それは同じ年齢の頃の、若き道長とまひろの姿でもある。
やはり賢子はふたりの子だ。
その他では、双寿丸の主人・平為賢(神尾佑)が登場。
武家の時代の登場を告げる人物だ。
以前も書いたが、この作品は「雅な平安貴族社会」の終わりを告げて最終回を迎えるのだろう。
※追記
まひろの清少納言評。
「清少納言は得意げな顔をしたひどい方になってしまった」
は『紫式部日記』に書かれているらしい。
・三条天皇(木村達成)は派閥をつくり反道長の動き
道長の次男・ 教通(姫小松柾)も取り込まれた。
道長を「関白」にしてお飾りの存在にしようとした。
・さすがの行成(渡辺大知)も反発。
「左大臣様は敦康親王様から奪いすぎです」
「左大臣様がおかしくおわします」
政治まわりではないが、
・明子(瀧内公美)は「わたしは決して許しませぬ」
明子の子・顕信(百瀬朔)が蔵人頭になるのを道長が止めた結果、出家してしまったのだ。
・清少納言(ファーストサマーウィカ)も激怒。
「ここは私が歌を歌いたくなるような場所ではございませぬ」
彰子(見上愛)に向けられた言葉だが、道長が敦康親王(片岡千之助)を蔑ろにしていることへの
非難だ。
つらい道長。
見上げる月には雲がかかっている。
こんな状況だから道長はまひろ・藤式部(吉高百合子)の所に行って「現実逃避」する。
まず『源氏物語』で紫の上が死んでしまうことを聞いてガッカリ。
光源氏と紫の上の関係は、道長とまひろの関係だからだ。
まひろがなぜ敦康親王を東宮にしなかったのかを問うと、
「おまえとの約束を果たすためだ。そのことはおまえにだけは伝わっていると信じておる」
道長はまひろにだけは自分のやっていることを理解してもらいたいんですよね。
道長にとってはまひろだけが心の支え。
まひろに拒否されたら生きていけない。
わかるよ~、男は弱いからね。
ていうか、道長、本当にまひろのことが好きなんだなぁ。
というわけで次回は「川辺の誓い」
道長が約束を果たすために苦労していることをまひろが理解して、心を通わせる話になるのだろう。
………………………………………
彰子はどんどん魅力的な人物になっている。
心が解放されて自分の思いを素直に語る。
「泣き帝と歌を交わしたかった。話したかった。笑い合いたかった」
清少納言の批判をしっかり受けとめ、どうしたらいいかを考え始める。
おそらく彰子はこんなことを考えたのだろう。
・清少納言の言うとおり、敦康親王を東宮にしなかったことは間違ってる。
・自分は父・道長の言いなりになっている。
・では道長の意のままにならないためにどうしたらいいか?
藤式部・まひろに問うと、
「仲間をお持ちなさいませ」
三条天皇がやっているように派閥を作り始めた。
「国母」彰子が誕生しつつある。
敦康親王が御簾を越えて彰子の所に入って来たシーンはドキドキした。
まさに『源氏物語』の光源氏と藤壺の
このままでは絶対、敦康は彰子のもとに忍んで来る。
……………………………………………
まひろの娘・賢子(南紗良)も魅力的になっている。
双寿丸(伊藤健太郎)に「姫様のツラではないな」と言われたのに屈託なく笑っている。
武者に興味を持ち、「またご飯を食べに来なさい」と言える。
双寿丸がおかわりをすると自分のご飯をあげる。
賢子には身分という意識がない。
むしろ庶民の側だ。
それは同じ年齢の頃の、若き道長とまひろの姿でもある。
やはり賢子はふたりの子だ。
その他では、双寿丸の主人・平為賢(神尾佑)が登場。
武家の時代の登場を告げる人物だ。
以前も書いたが、この作品は「雅な平安貴族社会」の終わりを告げて最終回を迎えるのだろう。
※追記
まひろの清少納言評。
「清少納言は得意げな顔をしたひどい方になってしまった」
は『紫式部日記』に書かれているらしい。
ここで改めて「道長は時に強引なことはするが闇落ちすることはない」という大石静さんによる発言の意味を考えてみたいと思います。
敦康親王ではなく敦成親王を東宮にしたことはその「強引なこと」の典型例でしょう。
>まひろがなぜ敦康親王を東宮にしなかったのかを問うと、「おまえとの約束を果たすためだ。そのことはおまえにだけは伝わっていると信じておる」
「まひろとの約束」とは「偉くなって良い政を行うこと」であり、そのために「政権安定」を図っているということなのでしょう。
これが道長側の論理であるとして、実際に彼が闇落ちしていない(彼の行動が正当である)とするならば、その基準はどこにあるのか。
その一つの鍵は前半での賢子との会話にあったように思います。
賢子は母まひろに対して―まひろには原稿を燃やしたり、「大嫌い」と言ったりと散々でしたが―以外は「怒るのは嫌い」とのこと。
そう言った賢子にまひろは道長の面影を見ていましたが、まさにこれが道長の特性。
私が記憶する限り、本作での道長は客観的には「政敵」である人物―典型的には伊周―に対して怒りや憎悪の感情を見せることはありませんでした。
無論「政敵」側からの敵対的動きに対しては対応しますが、「専守防衛」と言ったところ。
感情によってではなく、意志によって動いている、と表現しても良いかもしれません。
敦康親王の排除は徹底していて冷酷に映りますが、道長としては「藤壺比例式」を警戒してのことでしょう。
道長とは対照的に伊周は怨念の中に闇落ちしている姿で描かれていました。
最近言及している公式ガイドブックを元にしたネタバレ予想情報に、清少納言が敦康親王の使いとして彰子のもとに椿餅を持参することは示されていました。
私としては彼女がどのような態度で登場するのかに関心がありましたが、前回の予告で「ここは私が歌を歌いたくなるような場所ではございませぬ」との台詞が紹介されていたことから予想した通り、敵対的な態度に終始していました。
彰子は敦康親王に好意的ないわば「味方」なのだから、政治的には清少納言は少なくともうわべだけでも好意的な態度をとるべきなのですが、伊周が半ば乗り移ったかのように闇落ちしていました。
こうして、かつては仲が良かったまひろとききょうとの関係は、『紫式部日記』に書かれている通りの清少納言評に着地してしまった訳です。
しかしながら、「専守防衛」とは言っても勝ち続けていると恨みをもった「敵」も増えてきて、道長も辛くなってきています。
次なる「敵」は三条天皇で、道長と明子との子顕信が犠牲になった模様。
明子は「帝との力争いにこの子(顕信)を巻き込んだ」と言っていましたが、明子の息子たちは最初から巻き込まれているようなもの。
嫡流と張り合おうとして不満をもつ傍流(妾の子)は、常に切り崩しと分断の起点として一族の弱点であり、かつて一条天皇も幼少時の頼道(倫子の子)を差し置いて幼少時の頼宗(明子の子)の舞を評価することによって道長を牽制しようとしていました。
嫡流と傍流という点に関して模範的な生き方をしていたのは道綱かもしれません。
いかにも「無能」な雰囲気を振りまきながら、分に安んじて公卿として平穏な生活を享受している道綱は、実は一番賢いのかもしれません。
道綱の母寧子も夫兼家に道隆の出世をひたすらねだっていましたが、嫡流との差が明確だったから幸いだったのかもしれません。
明子は「妾」としての地位に安んじられないほど出自が高かったことがむしろ災いしたのかもしれません。
詳細に観察してみると、定子や敦康親王自身は結構「分に安んじて」いるのに、周囲(一時の一条天皇、伊周、清少納言など)が感情に流されている観があります。
今回、顕信自身が「蔵人頭」への執着を口にしていましたが、実は明子の思いに流されているような気がしました。
出家した後の顕信には心境の変化があるかもしれません。
いつもありがとうございます。
おっしゃるとおり、道長は闇落ちしていないんですよね。
・良い政治をするためには権力が必要。
・とはいえ、放っておけば、私利私欲な人物、邪悪な人物が力を持つようになる。
・だから権力維持のために「専守防衛」をおこなう。
しかし、第三者が見れば道長は専横政治をおこなっているように見える。
理解されない孤独。
敦康親王の排除は、彰子との関係を危惧したから、というのが面白いですね。
敦康は伊周のように権力を求めていません。
これが脚本・大石静さんの引き出しの多さですよね。
皆が政敵・権力志向だと物語が単調になってしまいます。
「怒るのが嫌い」な賢子は道長と同じ。
気がつきませんでした。
確かに道長は怒らないんですよね。
若き頃、伊周と弓くらべをした時は腹を立てていましたが、後になって反省していました。
寧子と明子の違いも気がつきませんでした。
明子も顕信も、もう少し待っていれば、道綱のように出世できたのに……。
分に応じて自分らしく生きる。
これが、この作品のテーマと読み取ることができそうです。
そして、まひろとの約束を守るために、分に応じていないことをやって苦労しているのが道長なのでしょうね。