「橘咲は先生をお慕い申しておりました」
せつないですね。
現実では結ばれることのなかった咲(綾瀬はるか)。
その人が「一番美しい夕日を与えてくれた」ことのみを拠り所にして生きていく。
その人が「未来で元気に生きていてくれること」が喜び。
咲自身はそれで満足だったのでしょうが、見ている方は再会して結ばれてほしかった様な気がします。
さて仁(大沢たかお)が戻ったパラレルワールドのもうひとつ現代で出会った橘未来(中谷美紀)。
彼女は野風(中谷美紀)の子の安寿の子孫。
その安寿は野風亡き後、咲が養子として育てたらしい。
つまり橘未来は、<野風と咲の想いが込められた存在>の子孫。
野風と咲の愛は、仁に<橘未来>をもたらしたのだ。
何という愛の連なりだろう!
まさに時空を越えた愛!
歴史の修正力。
それは歴史から仁の存在を消すことは出来るが、仁に関わった人の想いを消すことは出来ない。
咲の仁に対する想いもそうだし、仁が伝えた考え方、<何よりも目の前の命を救うことが大事>も<暴力は暴力しか生まない>も<恥をさらしても生きることが是>も残った。<保険>という考え方も残った。
つまり人は思い、願えば、未来を変えられるのだ。
仁の前に<橘未来>が現れたのも、咲と野風が必死に願ったから。仁に<橘未来>という光を与えたかったから。
なので作品は最後にこうまとめる。
「この世界は、誰もが戦い、もがき苦しみ、命を落とし、勝ち取って来た、無数の奇跡で編み上げられていることを、俺は忘れないだろう。そして更なる光を与えよう。今度は俺が未来のために……この手で」
未来に光を与えるために、戦い、もがき苦しむこと。
人の生きる目的とは、こういうことかもしれませんね。
仁や龍馬(内野聖陽)、咲や野風、そしてこの作品の登場人物たちは、皆、未来に光を与えるために戦っていました。
※追記
原作があるとはいえ、作家の構成力には驚かされる。
パート1の第1話で非常階段に転がった薬のビン(ホスミシン)が最後の最後で意味を持ってくるとは!
野風が癌で亡くなることも、後に咲が安寿を育てることにつながり、見事な伏線。
※追記
脳の腫瘍摘出が無理だとわかって、仁は咲にこう語る。
「出来ないことに悩むよりも、今、出来ることをやりたい」
確かに。自分の力でどうにもならないことに悩んでいても意味がない。
仁は医者として自分が伝えられることを最期まで伝えようと思う。
そして仁友堂の仲間達に「自分の体を腑分けしてほしい」と語る。
理由は「自分が残せるのは知識」、腑分けすることで、それが仲間達の知識になり、「自分の死が意味あるものになる」から。
そう言われて戸惑う佐分利たちとは対照的に、咲は笑顔で「はい!」と答える。
咲は本当に仁先生の理解者なんですね。
※追記
もうひとつ咲。
傷の治療が終わって死地に向かう彰義隊に武士達について仁はこう感想を漏らす。
「もし、かけがえのないもの(=徳川家)がなくなってしまうのなら、一緒になくなるのが一番幸せだって……そんなふうにも思ったのかなって」
これに対して咲は「それが医者の言うことですか?」と咎める。
やはり咲は聡明だ。
※追記
医学館の医師達が彰義隊の負傷者を治療するのを見て、勝(小日向文世)は政治的にまずいからやめろと言う。
それに対して多紀(相島一之)は、「医者は医の道を歩むのみ。治まらぬものを治めるのが政の道であろう」
すると政治家・勝は返す。
「好きな様にやりやがれ! 馬鹿医者!」
この言葉を現在の菅首相や政府にそのまま伝えたいですね。
「問題になるからこれをするな」ではなくて、「問題になっても俺が収めるからやれ」と言えるような政治家。
これがリーダーシップ、政治家の役割です。
※追記
仁先生が戻ったパラレルワールドの現代の病院。
そこには<東洋内科>の看板。
本道(和の医術)と蘭学が幕末に力を合わせた結果、現代に生まれたんですね。
こういうディティルも楽しい。
せつないですね。
現実では結ばれることのなかった咲(綾瀬はるか)。
その人が「一番美しい夕日を与えてくれた」ことのみを拠り所にして生きていく。
その人が「未来で元気に生きていてくれること」が喜び。
咲自身はそれで満足だったのでしょうが、見ている方は再会して結ばれてほしかった様な気がします。
さて仁(大沢たかお)が戻ったパラレルワールドのもうひとつ現代で出会った橘未来(中谷美紀)。
彼女は野風(中谷美紀)の子の安寿の子孫。
その安寿は野風亡き後、咲が養子として育てたらしい。
つまり橘未来は、<野風と咲の想いが込められた存在>の子孫。
野風と咲の愛は、仁に<橘未来>をもたらしたのだ。
何という愛の連なりだろう!
まさに時空を越えた愛!
歴史の修正力。
それは歴史から仁の存在を消すことは出来るが、仁に関わった人の想いを消すことは出来ない。
咲の仁に対する想いもそうだし、仁が伝えた考え方、<何よりも目の前の命を救うことが大事>も<暴力は暴力しか生まない>も<恥をさらしても生きることが是>も残った。<保険>という考え方も残った。
つまり人は思い、願えば、未来を変えられるのだ。
仁の前に<橘未来>が現れたのも、咲と野風が必死に願ったから。仁に<橘未来>という光を与えたかったから。
なので作品は最後にこうまとめる。
「この世界は、誰もが戦い、もがき苦しみ、命を落とし、勝ち取って来た、無数の奇跡で編み上げられていることを、俺は忘れないだろう。そして更なる光を与えよう。今度は俺が未来のために……この手で」
未来に光を与えるために、戦い、もがき苦しむこと。
人の生きる目的とは、こういうことかもしれませんね。
仁や龍馬(内野聖陽)、咲や野風、そしてこの作品の登場人物たちは、皆、未来に光を与えるために戦っていました。
※追記
原作があるとはいえ、作家の構成力には驚かされる。
パート1の第1話で非常階段に転がった薬のビン(ホスミシン)が最後の最後で意味を持ってくるとは!
野風が癌で亡くなることも、後に咲が安寿を育てることにつながり、見事な伏線。
※追記
脳の腫瘍摘出が無理だとわかって、仁は咲にこう語る。
「出来ないことに悩むよりも、今、出来ることをやりたい」
確かに。自分の力でどうにもならないことに悩んでいても意味がない。
仁は医者として自分が伝えられることを最期まで伝えようと思う。
そして仁友堂の仲間達に「自分の体を腑分けしてほしい」と語る。
理由は「自分が残せるのは知識」、腑分けすることで、それが仲間達の知識になり、「自分の死が意味あるものになる」から。
そう言われて戸惑う佐分利たちとは対照的に、咲は笑顔で「はい!」と答える。
咲は本当に仁先生の理解者なんですね。
※追記
もうひとつ咲。
傷の治療が終わって死地に向かう彰義隊に武士達について仁はこう感想を漏らす。
「もし、かけがえのないもの(=徳川家)がなくなってしまうのなら、一緒になくなるのが一番幸せだって……そんなふうにも思ったのかなって」
これに対して咲は「それが医者の言うことですか?」と咎める。
やはり咲は聡明だ。
※追記
医学館の医師達が彰義隊の負傷者を治療するのを見て、勝(小日向文世)は政治的にまずいからやめろと言う。
それに対して多紀(相島一之)は、「医者は医の道を歩むのみ。治まらぬものを治めるのが政の道であろう」
すると政治家・勝は返す。
「好きな様にやりやがれ! 馬鹿医者!」
この言葉を現在の菅首相や政府にそのまま伝えたいですね。
「問題になるからこれをするな」ではなくて、「問題になっても俺が収めるからやれ」と言えるような政治家。
これがリーダーシップ、政治家の役割です。
※追記
仁先生が戻ったパラレルワールドの現代の病院。
そこには<東洋内科>の看板。
本道(和の医術)と蘭学が幕末に力を合わせた結果、現代に生まれたんですね。
こういうディティルも楽しい。
私も同感でした。
咲と仁とが結ばれることをもってハッピーエンドというのであれば、原作は手品のような仕掛けでこれを実現しています。
原作未読のコウジさんのため、ネタバレはしませんのでご自分でお読みください。
本作には「手品」はなく-わざわざ後輩の野口研修医に解説させてまでタイムスリップの論理構造を厳密に分析しています-、タイムスリップについては原作よりも論理的に筋の通った結末となっています。
しかしながら最初見たときには「ハッピーエンド」感に不満がありました。
>見ている方は再会して結ばれてほしかった様な気がします。
やはり私も切ないものを感じざるを得ませんでしたから。
私は仁が橘医院を訪れて橘未来と出会ってから後の展開に絞って何度も録画を見直しました。
そして、以前仁と咲との会話を立ち聞きした野風の思いを確認した時のように、橘未来の視点に立って、彼女が目の前に突然現れた見知らぬ男性(仁)が、咲の手紙の宛名人である「○○先生」その人であることを確信するまでのプロセスを、未来と仁との会話、そして未来の目の表情の変化などを細かく見ながら再確認しました。
結論として、やはり「ある意味でのハッピーエンド」だった、と納得しました。
「ずっと貴方を待っていた気がします」
「変な意味ではない」と断ってはいるものの、やはりこれは初対面の相手に対する最大の愛情表現であり、彼女が仁に手渡した咲のラブレターは同時に未来の思いを伝えるものでもあったと思います。
>野風と咲の愛は、仁に<橘未来>をもたらしたのだ。
橘未来には咲が、そして血筋の上での先祖である野風が一体化して重ね合わされて-「乗り移って」と言ってもよい-いたと言えるでしょう。
橘未来のカルテも一時停止画で読みました(遅まきながら完全デジタル対応にしてよかったと思います)。
34歳にして予備校のバイトで食いつなぐ大学非常勤講師。彼女をして安定した臨床医ではなく不遇な研究者の道に進ませた「医学史」への「原点」は、先祖咲の「○○先生」への想いを綴った手紙でした。ここからすでに未来には咲が「乗り移って」いたと言えます。
おっしゃるとおり、安寿をこの世に送り出すために必死になって力を合わせた「江戸女性連合」(=咲+野風)の想いが、橘姓のもとに新たに生まれてきた未来に重なって仁に届いた、まさに150年越しの「愛の奇跡」だったと思います。
ちなみに公式HPによれば、大沢さんはスタッフに「咲の手紙」の内容を事前に自分に知らせないようにと求め、本番で初めて読んだとのこと。
ですから、手紙を読むシーンでの大沢さんの涙は「南方仁」その人が乗り移った本物の涙だったそうです。
すばらしい解説に、ドラマの感動がまた深まりました!!
また最終回を見返したくなりました。
かなりなドラマ・映画通な方のようですね♪
これからも、読ませていただきたいと思います。
まだ仕事が残ってるのでw
短いですが、感想をお伝えしたくてコメントいたしました。
また、コメントされてた「橘未来」さんのお話にも感激しました♪
お久しぶりです
このドラマが秀作たる要素は多々ありますが
その時代に生きる人の気持ちを最大限に見せているところを評価したいです
現代人の視点を排除して 当時の人の心情をきめ細かく描写しているのが
今年の大河ドラマとの大きな違いだと思いました
咲の手紙の簡潔な一言には 恋愛ドラマに優る恋の重みがありました
いつもありがとうございます。
さて、原作です。
原作を読んでみます。
TEPOさんが書いていらっしゃる仁先生と咲が結ばれる<手品の様な仕掛け>にすごく興味津々です。
後、ドラマで省略されたエピソードも。
それにしても静止画像にして確認されるとはさすがですね。
しかもカルテから。
僕などは、橘未来の名前以外、目に入りませんでした。
それと、TEPOさんのずっと主張されてきた「江戸女性連合」(=咲+野風)。
これが最終回で俄然意味を持ってきましたね。
「江戸女性連合」で力を合わせたから、橘未来が存在し、仁に光を与えることが出来た。
もし野風が生むことを諦めたり、咲が安寿を育てなければ、橘未来は存在しなかったわけですから。
まして咲はこの時、仁のことを○○先生としか認識していないわけで、安寿を養子にして育てることは、おそらく咲の無意識が行った行為。
龍馬が仁の意識の中に宿ったのも、友を思う強い想いから。
人間の想いとは本当に強いものがありますね。
そして、人の切実な想いは現実では報われなくても、未来でかなえられる。
咲や野風は現実では仁への想いをかなえられなかったわけですが、未来で実現した。
これも人が生きていく上での<救い>であると思いました。
なので、われわれも<光>や<誰もが笑って暮らせる未来>を希求すべきなのでしょうね。←少し青くさいですが。
最後に大沢さんのエピソード、ありがとうございます。
すごいですね、役者さんはこうやって役と向き合い、最高の演技をしようとしているんですね。
コメントありがとうございます。
お褒めいただいて恐縮しております。
いいドラマ、内容のあるドラマというのは、向き合って格闘していくと、様々なことを教えてくれますね。
「JIN」は深くて、まさにそういう作品でした。
震災などもあり、現在のユーザーはきっと<深いもの>を求めているんでしょうね。
<安易なもの>はたちまち見抜いてしまう。
物作りをする人はそこを忘れてはいけないと思います。
いつもありがとうございます。
>現代人の視点を排除して 当時の人の心情をきめ細かく描写しているのが、今年の大河ドラマとの大きな違いだと思いました。
まさにそのとおりですね。
咲は幕末の武家の娘ですが、江は考え方が完全に現代の女性。
時代物の登場人物は、時代の制約を受けて悩んだり、苦しんだりすべきだと思います。
それが結果として、ドラマの面白さにも繋がる。
橘の家の敷居をまたげない咲、自分の感情をあらわに出来ない咲。これが逆に新鮮でしたから。
「江」が現代女性なのは、作家の創作意図なのか、単に勉強していないだけなのかはわかりませんが、作品として外している感じは否めません。
それと手紙、よかったですね。
「星のこえ」という、何百万光年の宇宙から愛する人にメールを送るというアニメーションがありましたが、手紙は<時を越える手段>のひとつですよね。
確かに 手紙は良かったです
「お慕い申しておりました」には ちょっとウルっときましたよ
メールもビデオレターも同じく自分の気持ちの伝達手段として大切な役割を果たすと思います
それと母親の栄さんが 私は好きでしたよ
麻生祐未さんのハマリ役だったと思います
あの時代の武家の奥方ならば あの気丈さと毅然たる態度は『さもありなん』と思わせました
「私が行けば 咲が死期を悟るから会いに行かぬ」とは見事でした
どの役者も 自分の役を見事に演じ切っていたのが このドラマを見ごたえのあるものにしたのは間違いないと思いました
(ミスキャストや捨てキャラが ほとんど居ませんでした)
脚本や演出の良さについては 私には分りません
「歴史の修正力」とか「パラレルワールド」は理解できないので適当にスルーしました
麻生祐未さんの栄も<武家の母>でしたよね。
家を守るという強い意思と共に、子供への愛情もある。
母として恭太郎には死んでほしくないが、武士として立派に死なせたいとも思う。
この対立・葛藤。
まさに武家の母です。
あと、すごいのはmegumiさんも書いていらっしゃる突き放す愛情。
「私が行けば咲が死期を悟るから会いに行かぬ」
こういうのが、上手いキャラクター描写なんですよね。
「パラレルワールド」
実は僕もこれはよくわかりません。
脳内で作られた理論でしかないで、どうも実感がわかなくて。
CSでUFOに関するドキュメンタリーを見たのですが、何でも強力な磁場が発生すると、時空が歪み、タイムトリップが可能になるとか。
わからないと言えば、無から有が生じたビッグバンの理論も、宇宙は拡大して、いずれは縮まり無に返るという理論も???
でもわからないなりに、僕はこれらのことをもっと考えてみたいと思っています。
歴史の修正力ではありませんが、何か大いなる意思の様なものも感じますし。
(a)橘未来自身について
(a1)普通4代前の先祖についてあれほど詳しくはない。彼女は「橘咲」を専門的な研究対象としていた。自分の先祖なので主要な一次史料は自家に伝わっている。明治初期の希少な女医でありながら注目されてこなかった咲に光を当てる研究業績により、「東都大学医学部非常勤講師」として医学史の世界で不遇ながらも一定の地歩を得ていた。
(a2)咲の手紙が未来の医学史研究の原点だった。未来は手紙に記されている咲の消えた思い人「○○先生」のことが気になり、○○先生の痕跡を求めて「橘咲とその周辺」を徹底的に調べたのであろう。そのことが結果として(a1)につながった。
(a3)龍馬の写真の不自然な構図はその「痕跡」の一つ。未来は「本当は隣にいた誰か」が○○先生なのではないか、と推察していた。
(a4)咲の手紙から、○○先生が関係者の記憶もろとも消え去ったのは、咲が生涯に一度感染症で死線をさまよって回復した時点でのことであったことを未来は知っていた。
(b)橘未来と仁との出会いについて
(b1)未来は橘咲について話を聞かせてほしい、という仁をあっさり「どうぞ」と招じ入れた。普通は相手の身元や背景、なぜ咲について知りたいのか、などを聞くもの。「橘咲」が名指されていることに何かを予感したのかもしれない。しかし、一般に専門家は自分の専門に深い関心を示す人物を歓迎する。この段階では、未来は仁のことを自分がこれまで知らなかった橘咲研究者くらいに思っていたかもしれない。
(b2)「咲さん生きていたんですか!」という嬉しそうな驚きの反応。断じて研究者のものではない異様な発言は未来にとって最初の揺さぶり。未来の勘がよければ、「生きていた」という言葉を(a4)の咲の生命の危機と結び付けていたかもしれない。
(b3)年老いた咲の写真をいとおしげに見る仁。
(b4)(a4)で恭太郎が奇跡的に拾った薬による咲の治癒。仁は「日本昔話みたい」な荒唐無稽さには委細かまわず、薬を持ってきた人物はいなかったか、橘咲に深くかかわった医者はいなかったか、と質問してくる。これらの質問は「消えた○○先生の謎」の核心に迫るものである。未来は「恭太郎の晩年の回顧録には…」「仁友堂の佐分利祐輔とか、山田純庵とかとは…」とあくまでも「歴史家」として答えているが、おそらくこの時点で未来は眼前の人物が○○先生ではないかと考え始めている。彼女は○○先生の消滅、奇跡的なホスミシンの発見などの事実を知っているので、眼前に○○先生その人が出現するタイムスリップ程度のことには違和感はない。
(b5)咲と仁友堂の人々が写った写真を食い入るように改める仁を見つめる未来の眼差しにはすでに熱いものがある。
(b6)再び「恭太郎さんが?!」という親しげな物言い。現代人のものではない。
(b7)龍馬の写真に関連して未来は仁に(a3)をぶつけてみる。「確かに、言われてみればそうですね」と仁は取り繕うが、懐かしさと寂しさとが入り混じった仁の表情を未来は見逃さない。
(b8)「この子は?」「咲の娘です」。一瞬曇る仁の表情に慌てて「あっ、でも養女ですよ」とfollowを入れる。もはや未来は眼前の男性を完全に「咲の思い人」として気遣っている。
(b9)写真を裏返して「安寿……」とつぶやき絶句する仁。
(b10)「咲はずっと独りだったようですよ」。
何回見ても、ありったけの優しさのこもった未来のこの台詞には涙がこみ上げてきます。未来自身の目も潤んでいました。
(b11)「あの、揚げ出し豆腐はお好きですか?」。これはダメ押しの本人確認。そして
(b12)「ずっと貴方を待っていた気がします」。
(a1)(a2)に記したとおり、未来は34歳になるまで「○○先生」の跡を追い続けてきました。すでに彼女はある意味で○○先生に恋していた、と言ってもよいでしょう。このことが咲と野風との意志-祈り-によるものであったことは言うまでもありません。
本作は喪失感の大きい結末でした。おそらく私自身を含め原作既読者の方がより大きな衝撃を受けたと思います。完全ハッピーエンドを期待していたと思いますので。咲と仁との件は言うに及ばず、たとえば直前に「藪の自覚」をめぐりあれほど濃密なやりとりのあった佐分利先生をはじめとする仁友堂の仲間たちの記憶から仁が消えてしまったことだけとっても切ない限りです。
そうした中、(b12)は「橘咲は先生をお慕い申しておりました」という咲の手紙の結びと並んで、否、それ以上の慰めでした。中谷さんは友永未来、野風、そして橘未来という3役を演じられましたが、友永未来、野風との比較では私は圧倒的に咲派でした-もっとも、江戸女性連合の絆と安寿の出産などで野風さんに対する私の好感度は尻上りに上昇していましたが。しかし、たった一度だけの登場にもかかわらず、私は橘未来には特に(b10)(b12)から咲に優るとも劣らぬ思い入れを得ることができました。私が「ある意味でのハッピーエンド」を感じられたのはそのためであるように思います。
仁と橘未来のやりとりの分析、頭が下がります。
細かく見ていらっしゃいますね。
まさに、せりふとせりふの行間を読んでいる感じ。
橘未来は、目の前に現れた仁を○○先生だと感じ、咲と関わったことを理解したんですね。
タイムスリップということも受け入れることが出来た。
おそらく未来は、咲の手紙を読み込んだのでしょう。
そして、TEPOさんが書かれているとおり、咲の手紙が医学史の道を歩むようになった転機となり、やがて無意識に恋するようになった。
素晴らしい読み込みです。
人には、一冊の本が人生を変えてしまうことがあるように、一通の手紙が変えてしまうことがあるんですね。
あるいは咲の「お慕い申しておりました」という想いが、未来に乗り移ったのか?
いずれにしても、人の想いの強さ、素晴らしさみたいなものを感じます。
今回の終わり方は、やはりハッピーエンドなんでしょうね。
少しほろ苦いハッピーエンド。
でも、21世紀の未来で仁に幸せになってほしいという咲の気持ちを考えると妥当だった気がします。
しかも、相手の女性は<橘未来>という名前。
咲は十分に満足しているでしょうね。
これらの点で、僕も見事なハッピーエンドだったと思います。