平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

相棒15 「あとぴん~角田課長の告白」~罪と贖罪と許しの物語

2016年12月08日 | 推理・サスペンスドラマ
 罪と贖罪の物語である。
 光田廣(樋渡真司)は自分が撮った写真で、仁藤景雄(相島一之)の家族が離散してしまったことを悔やみ、自分を責めていた。
 仁藤景雄は借金返済の保険金のために自宅を放火したことで、父親が罪を被り、家族が離散し、光田廣の人生を狂わせてしまったことに苦しんでいた。

 生きるということは怖ろしい。
 自分がおこなった何気ない行為が他人の人生を狂わせる。
 罪を背負い、贖罪のために生きていかなくてはならなくなる。

 十字架を背負った光田と仁藤。
 光田は罪を償うために、大好きだった写真を封印した。
 仁藤は罪を償うために、光田と家族がふたたび一緒になれるように動いた。
 封印していた写真も撮っていいと了解した。

 やさしい人たちの物語だ。
 光田も、仁藤も、教師の“あとぴん”こと小林晴彦(柴田次郎)も、みんなやさしい。
 光田の妻も夫を許した。

 罪と贖罪と許し。
 キリスト教的なテーマですね。
 罪を感じ、何とか償おうと努力し、相手もそれを許す。

 これは光田や仁藤だけに限ったことではない。
 われわれのテーマでもある。
 人は生きていれば、多かれ少なかれ、何らかの罪を犯す。
 中には自分のしたことに罪を感じない厚顔無恥な人もいるけれど、僕は罪を感じられる人間でありたい。
 罪を見つめ、苦しみ、何とか償おうと努力する人間でありたい。
 他人を許せる人間でありたい。
 …………………

 光田は〝星空〟を撮るのが好きだった。
 しかし、賞の獲得を狙って、火事の写真を撮り、それを合成してしまったことで、罪を背負い込むことになった。
 彼が〝火事の写真〟でなく〝星空〟を撮り続けていたら、その後の人生は大きく変わっていたかもしれない。
 光田が最後に撮った写真は〝星空〟。
 罪で汚れていない青春時代の復活。
 もし殺されなければ、光田はその後、前向きな人生を送れていたかもしれない。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

逃げるは恥だが役に立つ 第9話~これからは火曜じゃなくても抱きしめてもいいですか?

2016年12月07日 | 恋愛ドラマ
「システムでつくられた関係はシステムから逃れられない」
 平匡(星野源)は<契約結婚>というシステムに限界を感じ始めたようだ。
 現在の自分の気持ちがもはや契約書の中に収まりきらないないのだ。
 だから契約書の改正(=システムの再構築)をやろうとする。
 だが、どんな文言を加えていいかわからない。

 ったく、平匡~~!
 恋愛をシステムに収めようとするから、そういうことになるんだよ。
 恋愛なんて熱くてドロドロしたもので、とても理性やルールで処理できるものではない。
 ハグだって、火曜日って括らずに、したい時にすればいいじゃん。
 理屈人間はこれだから困る。

 しかし、最後に平匡は気づいた。
「必要なのはシステムの再構築ではなくて気持ちを伝えることだったんだ」

 お、おうっ。
 そんなこと小学生、中学生でも知ってるぞ。
 AKBだって、♪ 好きならば好きだと言おう。ゴマかさず素直になろう ♪って歌ってるぞ。
 どんだけ屈折しまくってるんだ?
 ………………

 平匡が気持ちを伝えたのはこんな感じだった。

「すいません、ひとつ確認してもいいですか? もし違ったらすいません。調子に乗っているわけではなく、もしかして嫉妬してくれたんですか?」
「バカ! 決まってるじゃないですか」
 小さく笑う平匡。
「何笑っているんですか?」
「可愛いなと思って。ずっとみくりさんが僕のことを好きならいいのになって思ってました」
「ずっと?」
「ずっとです。でも、考えないようにしてました。今日、火曜日です。これからは火曜じゃなくても、みくりさんを抱きしめてもいいですか?」

 恋愛を動かすのは外部要因なんですね。
 今回は、第二の女が現れて(勘違いだけど)、みくりが嫉妬したことで、このシーンになった。
 次回は平匡のリストラか。
 この危機がふたりの絆をさらに強くするんでしょうね。

 恋愛ドラマは障害物があればあるほど盛り上がる。
『冬のソナタ』では<恋のライバル><親の反対><ライバルの意地悪><交通事故><記憶喪失><病気>などが、恋人たちの障害物になっていた。←さすが韓流!
 一方、この作品の障害物は<平匡とみくりがつくっている心の壁>。
 これは新しい。
 新しい恋愛ドラマだ。
 しかし、<ふたりの心の壁>が解決した今、障害はリストラという外部に求められるようになった。
 この点では、今後は普通の作品になってしまうのだろうか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勇者ヨシヒコと導かれし七人 第9話~少女マンガの世界! 恋愛はアメとムチと壁ドン! 

2016年12月06日 | その他ドラマ
 第9話は少女マンガのパロディ。
 どうして少女マンガのヒロインは不良っぽい男に惹かれるのだろう?
 王子様のような繊細な男より不良っぽい男を必ず選ぶ!(笑)

 香西そのか(川栄李奈)もそうだった。
 王子様のアルフレッド(小関裕太)でなく、キャラ変してドSになったヨシヒコ(山田孝之)を選んだ。

 その心の動きはこうだ。
 学校再建のためにアイドルグループを作った、そのか。
 そんな彼女にヨシヒコは言う。
「よくもまあ、こんなツラでアイドルやるなんて言ったもんだな」
 出ました、ドS攻撃!
 言葉のムチでビシビシたたく。
 しかし、甘い言葉のアメも忘れない。
「俺はバイトでアーティストに楽曲を提供している(←そんな高校生いるか?・笑)、お前らのグループに楽曲を提供してやろうか?」
 この提案にやさしさを感じる、そのか。
 だが、ヨシヒコはもう一度ドS攻撃。
「楽曲を提供する代わりに俺の犬になれ」(笑)
「三べんまわってワンと言え」(笑)
「お手をしてフリスビーキャッチしろ」(笑)
 これに従ってしまう、そのか。
 そう、人には支配されたい願望があるのだ。
 恋愛の本質は〝身も心も相手に捧げる〟ってことだから、SとMは親和性がある。
 もちろん、その過程には支配されまいとする反抗がある。
「ヨシヒコ君の言いなりなんかならないんだから!」
 と反発すると、ヨシヒコは、
「じゃあ、首輪つけとかないとな」
 と言って首にネックレスを掛け、壁ドン!
「これでご主人様から離れられないな」(笑)
 アメとムチと壁ドン!
 俺様ヨシヒコ!
 これで支配は完了する。
 これに最後のスパイスを加えると、支配は恋愛に変わる。
 そのかを守るために戦ってボロボロになるヨシヒコ。
 これで、そのかは覚るのだ。
<今までして来たドS行為はすべてあたしを手に入れるためのもの!
 彼は不器用だから、こんな形でしか気持ちを表現できないのよ!>

 ……えっとですね。
 このやり方は、男がイケメンで、少女マンガの世界だから成立するのであって、絶対に現実でやってはいけません!
 現実でやったら、たちまち袋叩き!
 勘違い野郎で、キモいと言われ、警察に通報される!

 でも、この〝アメとムチと壁ドン〟が少女マンガの世界で成立しているのが面白い。
 人には、心がブンブン振りまわされる〝非日常願望〟があり、犬のように〝支配されたい願望〟がある。
 日常は退屈であり、個人の心は不安定だから、人はこうしたものに身を委ねたいと思ってしまう。
 これにシンデレラ願望が加われば、完ぺき。

『ヨシヒコ』はパロディ作品でおちゃらけているけど、各エピソードのテーマは結構深いんだよな~。
 ヨシヒコが最後に自我が肥大しすぎてモンスターになってしまうのも、すごい暗示。
 正攻法でないパロディだから表現できることがある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真田丸 第48回「引鉄」~いくさが始まる時は誰も止めることができない

2016年12月05日 | 大河ドラマ・時代劇
「いくさが始まる時は誰も止めることができない」
 幸村(堺雅人)の言葉だが、これが戦争の歴史だ。
 太平洋戦争だって、国民が鬱屈し、「鬼畜米英を倒せ」と熱狂して始まった。
 こうなると、いくら平和を叫んでも、その声はかき消されるだけ。
 だから火が燃え広がらないうちに消しておかなくてはならない。
 現在も一部の好戦的な人たちが「中国と戦争だ」と叫んでいるけど、彼らが主流派になりませんように。

 戦争への流れは、負の連鎖で加速する。
・大野治房が家臣の不満を抑えるために金蔵を開けて分け与える。
・これに牢人たちが不満を漏らし、幸村は牢人たちにも金を配る判断。
・しかし、これが裏目に。
 いくさで功名をあげたい牢人たちは武器を買い始めた。
・これに徳川が反応。
 豊臣はいくさの準備をしていると、いくさの口実を与えてしまった。

 こうなると、幸村がいくらがんばっても抑えられない。
 幸村の戦略は、茶臼山と岡山の間に空堀を掘り、これを出城として戦い、勝利して、四国への国替えという有利な講話に持ち込むことだが、これには時間が要る。
 だから牢人たちの家族を呼んだり、夢を語らせたりして、ガス抜きをする。
 家族という〝日常〟や夢という〝未来への希望〟があれば、人は好戦的にならないからだ。
 人々は地道に日常を生きるようになる。
 しかし、「引鉄」は引かれてしまった。
 今回のサブタイトル「引鉄」には、幸村の馬上筒と戦争の引き金というふたつの意味が込められている。
 ………………

 ラストは兄弟の物語。
 信之(大泉洋)は幸村の手紙を読んで、
「俺にはわかる。弟は死ぬ気じゃ」
「止められるのはわししかおらぬ。大坂へ参る」
 離れていて言葉を交わさなくても、理解し合い、通じ合っているふたり。
 僕も幸村には〝特攻隊〟になって欲しくないな。
 このあたりどのように描かれるのだろう。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勇者ヨシヒコと導かれし七人 第7話~踊るか? 戦うか? クライマックスのダンスバトルの歌詞が深い!

2016年12月02日 | その他ドラマ
 少し前のエピソードになるが、ヨシヒコ 第7話のミュージカル編が面白かった。
 全編ミュージカルで、『ベルばら』や『ライオンキング』などのパロディが入っているのだ。
 やるな、ヨシヒコ。

 そんな中、クライマックスで繰り広げられたダンスバトルのミュージカルシーンの歌詞がなかなか深い。
 ミュジコの村の人たちは歌う。
♪ さぁ渡せ そのオーブを
 そのまばゆく気高い光は
 我が村を守りし宝物だ
 魔物をはねのけ 歌と踊りで包み込む
 レオパルド様が手にすれば
 夢の扉が開かれる
 もう誰にも 邪魔できない
 だから今、ダンシング! ♪

 一方、ヨシヒコ(山田孝之)たちは、これに対して、
♪ よく見ろよ この世界を
 魔王がつくりし深い闇は
 人々を苦しめる悪しき呪い
 魔物がはびこる 毒と痛みで葬られ
 勇者の救いが消え去れば
 夢の扉は開かれぬ
 この冒険 邪魔させない
 だから今、ファイティング! ♪

〝ダンシング〟と〝ファイティング〟
 過酷で悪がはびこる現実を前にした時、皆さんはどちらを選ぶだろうか?
 踊って歌って、現実から目を背けて楽しく過ごすか?
 戦って、現実を変えようとするか?
 歌詞はこのテーマをさらに拡げる。

♪ 怖いことには上手く目を背けて
他人事には気持ち入れずに
 無意味な慈悲を持たぬ者だけが
 得をする世の中
 招待しよう 楽しいパーティー
 歌い踊れば忘れられるさ ♪

♪ 終わる世界に挑むこの力で
 魔王の野望 打ち砕くのだ
 七つの玉を持つ勇者だけが
 助けうる世界だ
 戦う時だ 気持ち合わせて
 悪が滅ぼせぬ時は無いのさ ♪

 このダンスバトル、最終的にはヨシヒコたちの主張が勝って、
♪ 目を覚ませ 自分とこの世界を変えるのだ ♪
 という結論になるのだが、
 どちらも正しい身の処し方だと思う。
 つらい時には逃げればいいし、気力がある時は戦えばいい。

 どうした、ヨシヒコ?
 何かすごく深いテーマを扱ってるぞ(笑)

 ダンスバトルの動画はこちら。
 勇者ヨシヒコと導かれし七人 第7話 挿入歌(ダンスバトル)(YouTube)

 ………………

 それと、画期的な動画を見つけた!
 ヨシヒコが今、話題の『逃げ恥』の恋ダンスを踊っている!
 この動画をつくった人、お見事!
 大爆笑の動画です。

 【恋ダンス】勇者ヨシヒコ 曲ありVer(YouTube)


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相棒15 「100%の女」~100%で生きるなんて必要なんですかね~

2016年12月01日 | 推理・サスペンスドラマ
 殺人事件の謎解きがメインではなく、担当の女検事をドラマにした所が面白い。
 女検事・倉田映子(鶴田真由)は100%の女。
 何事も100%でないと安心できない。
 だから犯行の立証において弁護側が絶対に見過ごすような綻びも気になってしまう。
 今回の外交官殺しに関しても、犯人は明確で、裁判で勝つことは9割方決まっているのに、残りの1割のことが気になって、目撃者に証言の変更を誘導してしまった。
 だが、この誘導は検事としてはあるまじきこと。
 おまけに、ここには映子の個人的な事情も絡んでいた。
 100%にこだわる映子は、検事として100%でなかったことを恥じて検事を辞める。

 100%完ぺきであること。
 これってハードですよね。
 右京さん(水谷豊)が言ったように<法律に携わる者にとっては理想>で、実現されれば冤罪がなくなるんでしょうけど、実に窮屈。
 人間、少しはバグがあった方がいい。
 それが人間らしさだ。
 実際、100%の女・倉田映子にも過去の事件のトラウマというバグがあった。
 ………………………

 正義についても言及があった。
 法務省の日下部(榎木孝明)は、右京の捜査によって有能な映子が検事を辞めたことについて、こう問いかけた。
「これから先、彼女がやろうとしていた大きな正義を失うことの方が大きな損失だと思わないのか?」
 これに対して右京は、
「お言葉ですが、法を破って正義を全うできるとは思えません」

 この対立は『相棒』ではたびたび語られている。
 人類を救う画期的な薬をつくった研究者も罪を犯したことで、右京は逮捕してしまった。
 右京にとっては<大義のために犯した罪が見逃されること>はあってはならないことなのだ。
 ドストエフスキーの『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフは、
「自分が法律家になればたくさんの人を救える。そのためには大学に復帰する金が要る。だから社会の癌である金貸しの老婆を殺して金を奪ってもいい」
 という理屈で老婆殺しをおこなったが、同じテーマが『相棒』でも展開されている。
 ………………………

 最後は伊丹(川原和久)。
 右京から事情を聞くと、やばい案件にも関わらず、
「聞いたからには令状をとるしかねえな」
 口を閉ざす容疑者には、
「われわれもプロなんでね、調べる方法はいくらでもあるんですよ」
 刑事だね~、イタミンは!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする