「機動戦士ガンダムSEED」(テレビシリーズ48話)
「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」(テレビシリーズ50話)
「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」(劇場映画)
3作品を貫くテーマは『どうしたら戦争をなくすことができるのか?』
以下、おおまかなネタバレあり。
「機動戦士ガンダムSEED」
この作品が描いたのは「憎しみの連鎖を止めよう」だった。
やられたから報復する。
地球連合とプラント(ザフト)はこの論理で戦いを繰り返す。
この背景には「普通の人間」と「遺伝子改良された人間=コーディネイター」の差別・対立がある。
両者の戦いはどんどんエスカレートしていき、強力な武器を使い合い、
相手を絶滅させる段階にまで至る。
ここに登場する、どちらにも属さない主人公たちの第三勢力!
「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」
ギルバート・デュランダル (CV 池田秀一)がやろうとしたのは
「戦争をつくりだしている勢力を滅ぼすこと」だった。
つまり倒すべきは、戦争に拠って兵器を売って金儲けしている勢力=軍産複合体だ。
追い詰められた軍産複合体は最終兵器レクイエムを使おうとするが阻止される。
だが戦いはここで終わらなかった。
「人類から戦争をなくす」ためにデュランダル は『デスティニープラン』の施行を宣言する。
『デスティニープラン』
「人々の人生すべてを遺伝子によって決定する管理社会制度」だ。
人には欲があり、結果として争い、間違いを犯す。
遺伝子的に定められた役割を果たしていれば人は満足し平穏に暮らすことができる。
果たしてそんな理論が成り立つかどうかは疑問だが、
たとえば動植物は遺伝に従って生きていて、生きるために他の種をエサにするが、
少なくとも同族で争うことはない。
デュランダルは人間にも同じ理論が成り立つ、と考えている。
この理論は伊藤計劃氏のSF小説『ハーモニー』でも同じようなことが描かれている。
さて、ここで出て来る課題は「人間の自由」だ。
夢を持ち、遺伝子で決定されない誰かを愛し、失敗したり成功したりして、泣いたり笑ったりする。
これこそが「人間」であり「自由」ではないか?
このテーマは劇場映画「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」で引き継がれる。
主人公たちがどのように葛藤し、どのような結論を出すかは実際に作品を観て確認してほしいが、
僕としてはもう少し新しい見解を提示してほしかった。
なぜなら僕は人類という種にほとんど期待していないから。
現状の人類の意識や思考には限界があり、現状維持では争いや戦争はなくならない。
キラ・ヤマト(CV保志総一朗)、ラクス・クライン(CV田中理恵)らは今後も戦いを繰り広げていくだろう。
かと言って「管理社会」がいいわけではないんですけどね。
でも管理され去勢されて、お前はこう生きろと言われた方がずっと楽。
自由は不安だから、孤独でつらい。
不安を解消するためにいろいろなことをやらかす。
管理社会か? 自由社会か?
これはSF小説がずっと描いて来たテーマ。
というより「人類の永遠のテーマ」。
さて、皆さんはどう考えられるだろう?
この点で、ファーストガンダムの「人類の覚醒=ニュータイプの誕生」という切り口は新しかった。
「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」(テレビシリーズ50話)
「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」(劇場映画)
3作品を貫くテーマは『どうしたら戦争をなくすことができるのか?』
以下、おおまかなネタバレあり。
「機動戦士ガンダムSEED」
この作品が描いたのは「憎しみの連鎖を止めよう」だった。
やられたから報復する。
地球連合とプラント(ザフト)はこの論理で戦いを繰り返す。
この背景には「普通の人間」と「遺伝子改良された人間=コーディネイター」の差別・対立がある。
両者の戦いはどんどんエスカレートしていき、強力な武器を使い合い、
相手を絶滅させる段階にまで至る。
ここに登場する、どちらにも属さない主人公たちの第三勢力!
「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」
ギルバート・デュランダル (CV 池田秀一)がやろうとしたのは
「戦争をつくりだしている勢力を滅ぼすこと」だった。
つまり倒すべきは、戦争に拠って兵器を売って金儲けしている勢力=軍産複合体だ。
追い詰められた軍産複合体は最終兵器レクイエムを使おうとするが阻止される。
だが戦いはここで終わらなかった。
「人類から戦争をなくす」ためにデュランダル は『デスティニープラン』の施行を宣言する。
『デスティニープラン』
「人々の人生すべてを遺伝子によって決定する管理社会制度」だ。
人には欲があり、結果として争い、間違いを犯す。
遺伝子的に定められた役割を果たしていれば人は満足し平穏に暮らすことができる。
果たしてそんな理論が成り立つかどうかは疑問だが、
たとえば動植物は遺伝に従って生きていて、生きるために他の種をエサにするが、
少なくとも同族で争うことはない。
デュランダルは人間にも同じ理論が成り立つ、と考えている。
この理論は伊藤計劃氏のSF小説『ハーモニー』でも同じようなことが描かれている。
さて、ここで出て来る課題は「人間の自由」だ。
夢を持ち、遺伝子で決定されない誰かを愛し、失敗したり成功したりして、泣いたり笑ったりする。
これこそが「人間」であり「自由」ではないか?
このテーマは劇場映画「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」で引き継がれる。
主人公たちがどのように葛藤し、どのような結論を出すかは実際に作品を観て確認してほしいが、
僕としてはもう少し新しい見解を提示してほしかった。
なぜなら僕は人類という種にほとんど期待していないから。
現状の人類の意識や思考には限界があり、現状維持では争いや戦争はなくならない。
キラ・ヤマト(CV保志総一朗)、ラクス・クライン(CV田中理恵)らは今後も戦いを繰り広げていくだろう。
かと言って「管理社会」がいいわけではないんですけどね。
でも管理され去勢されて、お前はこう生きろと言われた方がずっと楽。
自由は不安だから、孤独でつらい。
不安を解消するためにいろいろなことをやらかす。
管理社会か? 自由社会か?
これはSF小説がずっと描いて来たテーマ。
というより「人類の永遠のテーマ」。
さて、皆さんはどう考えられるだろう?
この点で、ファーストガンダムの「人類の覚醒=ニュータイプの誕生」という切り口は新しかった。