漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

古今和歌集 0199

2020-05-16 19:46:33 | 古今和歌集

あきのよは つゆこそことに さむからし くさむらごとに むしのわぶれば

秋の夜は 露こそことに 寒からし 草むらごとに 虫のわぶれば

 

よみ人知らず

 

 秋の夜は、草におりた露が特に冷たいのだろう。草むらごとに虫がせつなく鳴いていることよ。

 夜露は季節を問わず降りるけれども、秋の夜はそれがひときわ冷たいのであろうということを、草むらのそこかしこで鳴く虫の声から想像しています。「寒からし」は「寒くあるらし」を縮めた表現。「わぶ」は「侘ぶ」で、ここではつらく思う、せつなく思う、寂しく思うといった意。


古今和歌集 0198

2020-05-15 19:34:39 | 古今和歌集

あきはぎも いろづきぬれば きりぎりす わがねぬごとや よるはかなしき

秋萩も 色づきぬれば きりぎりす わが寝ぬごとや 夜はかなしき

 

よみ人知らず

 

 秋萩も色づいてきたので、私が寝られずにいるのと同じようにこおろぎも夜が悲しいのだろうか。

 「ごと」は「ごとし」の語幹。萩の葉が色づくことに秋の深まりを感じて物悲しく思う心情を、静かな夜に鳴くこおろぎに寄せて詠んでいます。


古今和歌集 0197

2020-05-14 19:47:46 | 古今和歌集

あきのよの あくるもしらず なくむしは わがごとものや かなしかるらむ

秋の夜の 明くるも知らず 鳴く虫は わがごとものや かなしかるらむ

 

藤原敏行

 

 秋の夜が明けるのも知らずに鳴く虫は、私と同じように悲しい気持ちなのだろうか。

 作者の藤原敏行(ふじわらのとしゆき)は、巻四「秋歌上」の冒頭 0169 に続いての登場。古今集に19首が入集していますが、そのうち八首が秋歌です。また、0578 の次の歌は、この 0197 ととても良く似ています。ほととぎすが登場しますから季節としては夏(収録は巻第十二「恋歌二」)ですが、同じ心情を詠んでいますね。

 

わがごとく ものやかなしき ほととぎす ときぞともなく よただなくらむ

わがごとく ものやかなしき ほととぎす 時ぞともなく 夜ただ鳴くらむ

 


古今和歌集 0196

2020-05-13 19:32:57 | 古今和歌集

きりぎりす いたくななきそ あきのよの ながきおもひは われぞまされる

きりぎりす いたくな鳴きそ 秋の夜の 長き思ひは 我ぞまされる

 

藤原忠房

 

 こおろぎよ、そんなにひどく鳴くのではない。長い秋の夜と同じように長い間のもの思いは、私の方が勝っているのだから。

 「きりぎりす」はこおろぎのことで、では今で言うきりぎりすを古語では何と言うかと言えば「はたおり」。鳴き声が機織りの音に似ているからそう呼ばれたそうです。秋の夜の静けさの中でこおろぎが盛んに鳴いている。それを聞きながら愛しい人への物思いにふける自分。「そんなに鳴くな」と禁止の表現を使っていますが、作者の心情にあるのはむしろこおろぎへの共感でしょう。詞書には「人のもとにまかれりける夜」に詠んだとありますから、その愛しい人を目の前にして詠んだものでしょうか。だとすると、実際その人のもとを訪れてはいますが、通じぬ思いを詠んだものなのかもしれませんね。(「人」は思いを寄せる異性ではなく友人との説もあるようです。)

 作者の藤原忠房(ふじわらのただふさ)は、平安時代前期の貴族にして歌人。中古三十六歌仙に名を連ねています。古今和歌集には四首が入集していますが、残りの三首は 0576091409930576 では何故か作者名が「藤原ただふさ」と平仮名表記になっています。このブログが残り三首にたどり着くのは、一日一首を継続できたとして1年先とそこからさらにまた1年先ですね。^^;;

 


古今和歌集 0195

2020-05-12 19:33:04 | 古今和歌集

あきのよの つきのひかりし あかければ くらぶのやまも こえぬべらなり

秋の夜の 月の光し あかければ くらぶの山も 越えぬべらなり

 

在原元方

 

 秋の夜の月が明るいので、暗いはずのくらぶ山も越えることができそうだ。

 0039 でもご紹介した通り、「くらぶの山」は「暗い山」の意味で歌に詠み込まれます。その暗い山も、今日の月の光があれば夜の内でも越えて行けるだろうということですから、中秋の名月の頃の月を詠んだものでしょうか。

 在原元方は古今集巻頭 0001 の作者でもありますね。