漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

古今和歌集 0352

2020-10-16 19:59:18 | 古今和歌集

はるくれば やどにまづさく うめのはな きみがちとせの かざしとぞみる

春くれば 宿にまづ咲く 梅の花 君がちとせの かざしとぞ見る

 

紀貫之

 

 春が来るとわが家の庭に真っ先に咲く梅の花は、あなた様の千歳の齢の挿頭(かざし)でありましょう。

 髪に挿すかんざしは、もともとは植物の生命力が身体に移り宿ることを願うものだったとのこと。長寿の祝宴に呼ばれた貫之が、当人の背後に立てられた屏風にこの歌を書きつけて詠んだと、詞書にあります。美しい絵が描かれた屏風に自ら直接書きつけたというのですから、貫之は書にも優れ、美しい仮名文字を書く人物だったのでしょう。藤原定家が「其の手跡の躰を知らしめんがために、形の如く之を写し留むるなり」として正確に書き写したという土佐日記の最後の部分で、現代の私たちはその筆跡を知ることができます。

 

国宝(指定番号00013) 前田育徳会  藤原定家臨模  臨  紀貫之筆  土佐日記

 


古今和歌集 0351

2020-10-15 19:27:47 | 古今和歌集

いたづらに すぐすつきひは おもほへで はなみてくらす はるぞすくなき

いたづらに 過ぐす月日は 思ほへで 花見てくらす 春ぞすくなき

 

藤原興風

 

 普段、無駄に過ごしている月日は惜しいとも思えないのに、花を見て暮らす春の日だけは、そんな日が少ないことが惜しまれてならないものよ。

 主君の后の五十歳を祝うという詞書の記載とは裏腹に、あまり「祝賀」の感じを受けない歌。むしろ残り少ない余生を嘆いているようにも見えますが、あるいは后を春の花に喩えて、その美しさを賛美しているということでしょうか。

 


古今和歌集 0350

2020-10-14 19:28:46 | 古今和歌集

かめのをの やまのいはねを とめておつる たきのしらたま ちよのかずかも

亀の尾の 山のいはねを とめて落つる 滝の白玉 千代の数かも

 

紀惟岳

 

 亀の尾の山の岩を這って落ちる滝の白玉は、あなたの千代の長寿の数ですね。

 滝の飛沫(しぶき)が岩を伝って流れ落ちる、その白玉の数ほどの長寿を、という祝賀の歌。
 作者の紀惟岳(きのこれおか)は、生没年も含めて詳細不明の人物で、古今集への入集はこの一首のみです。


古今和歌集 0349

2020-10-13 19:58:15 | 古今和歌集

さくらばな ちりかひくもれ おいらくの こむといふなる みちまがふがに

桜花 散りかひくもれ 老いらくの 来むといふなる 道まがふがに

 

在原業平

 

 桜花よ、散り乱れてあたりを曇らせておくれ。老いがやって来るという道をまぎらせてしまうように。

 詞書には、「堀河の大臣の四十歳の賀、九条の家にてしける時によめる」とあります。「堀河の大臣」とは藤原基経のことで、当時摂政右大臣の地位にありました。


古今和歌集 0348

2020-10-12 19:49:01 | 古今和歌集

ちはやぶる かみやきりけむ つくからに ちとせのさかも こえぬべらなり

ちはやぶる 神やきりけむ つくからに 千歳の坂も 越えぬべらなり

 

僧正遍昭

 

 この杖は、神様がお切りになられたのでしょうか。この杖を突いて歩けばずっと永らえて、千歳の坂をも越えられるように思います。

 詞書には、光孝天皇が親王の時代に叔母の80歳の祝いに銅製の杖を贈ったのを見て、その叔母になり代わって詠んだ歌とあります。この杖を使えば、80歳どころか千歳の坂でも越えられる、というわけですね。