いのちだに こころにかなふ ものならば なにかわかれの かなしからまし
命だに 心にかなふ ものならば なにか別れの かなしからまし
白女
命さえ思うままになるものならば、どうして別れが悲しいことなどありましょうか。
別れは悲しいけれど、命さえ永らえればまた会うこともできると歌うことで、逆に命にまで匹敵するほどの別れの悲しみを詠んでいます。
作者の白女(しろめ)は摂津国の遊女。古今集への入集はこの一首のみです。
いのちだに こころにかなふ ものならば なにかわかれの かなしからまし
命だに 心にかなふ ものならば なにか別れの かなしからまし
白女
命さえ思うままになるものならば、どうして別れが悲しいことなどありましょうか。
別れは悲しいけれど、命さえ永らえればまた会うこともできると歌うことで、逆に命にまで匹敵するほどの別れの悲しみを詠んでいます。
作者の白女(しろめ)は摂津国の遊女。古今集への入集はこの一首のみです。
あきぎりの ともにたちいでて わかれなば はれぬおもひに こひやわたらむ
秋霧の ともに立ち出でて 別れなば 晴れぬ思ひに 恋やわたらむ
平元規
秋霧が立つのとともにあなたが出発して別れ別れになってしまったならば、霧が晴れないのと同じように晴れない心で、あなたを恋しく思い続けることになるのでしょう。
「たち」は霧が「立つ」と旅に「発つ」、「はれぬ」は霧が「晴れぬ」と思いが「晴れぬ」の掛詞になっています。
作者の平元規(たいら の もとのり)は平安時代前期の貴族にして歌人。古今集への入集はこの一首のみです。
もろともに なきてとどめよ きりぎりす あきのわかれは をしくやはあらぬ
もろともに なきてとどめよ きりぎりす 秋の別れは 惜しくやはあらぬ
藤原兼茂
一緒に鳴いて、旅立つ人をとどめておくれ、こおろぎよ。秋の別れは、名残惜しいものだから。
掛詞と言えるかどうかわかりませんが、「なきて」は別れを惜しんで作者を含む人が「泣く」のに合わせて、こおろぎに一緒に「鳴」いてほしいとの意。それでなくとも物悲しさを伴う秋という季節に別れが重なって、一層寂しさがつのります。
作者の藤原兼茂(ふじわら の かねもち)は平安時代前期の貴族にして歌人。名前は「かねもり」とも読むようです。古今集には、このあとの 0389 と本歌、計二首が入集しています。
おとはやま こたかくなきて ほととぎす きみがわかれを をしむべらなり
音羽山 木高く鳴きて ほととぎす 君が別れを 惜しむべらなり
紀貫之
音羽山では、ほととぎすが高い木の上で鳴いていて、あなたとの別れを惜しんでいるかのようだ。
0380 で、シンプルでストレートな表現が貫之歌のひとつの特徴と書きましたが、本歌はこれまた極めてシンプルな詠歌。手持ちの書籍でも、解説欄の記載がごく短いです ^^;