くべきほど ときすぎぬれや まちわびて なくなるこゑの ひとをとよむる
来べきほど 時すぎぬれや 待ちわびて 鳴くなる声の 人をとよむる
藤原敏行
来るはずの時がすぎてしまっていたからだろうか。ようやくやってきたほととぎすの鳴く声に、それを待ちわびていた人々がどよめいていることよ。
「くべきほど ときすぎぬれや」ということで、隠し題は「ホトトギス」。歌の解釈より先に隠し題を探してしまうのが「物名歌あるある」ですね ^^;;
無事に隠し題をみつけて、さあ解釈をと改めて歌を見ると、これはなかなかに難物です。一読して、「来るはず」なのは何で、「待ちわびて」は誰が何を待っているのか? 素直に読むと来るはずのほととぎすを人々が待っているのだろうと思えて上記の解釈もそのラインで書きましたが、「来べきほどとき過ぎぬ」は、そのまま読めば来るはずの時が過ぎてしまったのにまだ来ないという意味のはずで、後段の「鳴くなる声の人をとよむる」(鳴き声に人々がざわめく=ほととぎすはすでに来て鳴いている)と矛盾します。矛盾をなくすためにかなり言葉を補った解釈にしましたが、古来、「来るはず」なのはほととぎすの妻で、「待ちわびて」いるのはほととぎすが自分の妻を、との解釈もなされているようです。恋しい妻を待って鳴いているほととぎすの切なく悲しい声に人々がどよめいている、ということですね。こちらの方が、句そのものからの解釈としては自然だと思います。