漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

古今和歌集 0423

2020-12-26 19:09:12 | 古今和歌集

くべきほど ときすぎぬれや まちわびて なくなるこゑの ひとをとよむる

来べきほど 時すぎぬれや 待ちわびて 鳴くなる声の 人をとよむる

 

藤原敏行

 

 来るはずの時がすぎてしまっていたからだろうか。ようやくやってきたほととぎすの鳴く声に、それを待ちわびていた人々がどよめいていることよ。

 「くべきほど ときすぎぬれや」ということで、隠し題は「ホトトギス」。歌の解釈より先に隠し題を探してしまうのが「物名歌あるある」ですね ^^;;
 無事に隠し題をみつけて、さあ解釈をと改めて歌を見ると、これはなかなかに難物です。一読して、「来るはず」なのは何で、「待ちわびて」は誰が何を待っているのか? 素直に読むと来るはずのほととぎすを人々が待っているのだろうと思えて上記の解釈もそのラインで書きましたが、「来べきほどとき過ぎぬ」は、そのまま読めば来るはずの時が過ぎてしまったのにまだ来ないという意味のはずで、後段の「鳴くなる声の人をとよむる」(鳴き声に人々がざわめく=ほととぎすはすでに来て鳴いている)と矛盾します。矛盾をなくすためにかなり言葉を補った解釈にしましたが、古来、「来るはず」なのはほととぎすの妻で、「待ちわびて」いるのはほととぎすが自分の妻を、との解釈もなされているようです。恋しい妻を待って鳴いているほととぎすの切なく悲しい声に人々がどよめいている、ということですね。こちらの方が、句そのものからの解釈としては自然だと思います。

 


古今和歌集 0422

2020-12-25 19:45:34 | 古今和歌集

こころから はなのしづくに そほちつつ うくひずとのみ とりのなくらむ

心から 花のしづくに そほちつつ 憂く干ずとのみ 鳥のなくらむ

 

藤原敏行

 

 自分から好んで花の雫に濡れているのに、どうしてあの鳥はつらい、乾かないと鳴いているのだろうか。

 ここから 0468 までの47首で、巻第十「物名」が構成されています。デジタル大辞泉によれば、物名歌とは

「和歌・連歌・俳諧で、歌や句の意味とは関係なく物の名を詠み込んだもの。古今集の「心から花のしづくにそぼちつつうくひずとのみ鳥のなくらむ」にみえる「うくひず(憂(う)く干(ひ)ず)」に「うぐいす」を詠み込んだ類。隠し題。」

とあり、この歌が例として記載されています。本歌では第四句に「うくひす」がそのまま出てきていますが、物名歌としては隠し題がわかりづらい方が良いとされ、複数の句にまたがって詠み込まれた歌が多いです。歌そのものの情趣や込められた心情等とは関係がなく、また物名を入れ込むために多少無理な表現をとっているものもあって、戯れの言葉遊びの色彩が強いですが、日本語という柔軟性の高い言語ならではの技法でしょう。歌の表題を見ずに読んで、隠し題を探すのも面白いですよ。 ^^

 


古今和歌集 0421

2020-12-24 19:42:00 | 古今和歌集

たむけには つづりのそでも きるべきに もみぢにあける かみやかへさむ

手向けには つづりの袖も きるべきに 紅葉に飽ける 神や返さむ

 

素性法師

 

 手向けには、私のこの粗末な着物を切ってでも幣としてささげるべきでしょうけれど、美しい紅葉を堪能している神様は、いらないと言って返してこられるでしょうか。

 一つ前 0420 の道真の歌を受けての詠歌。幣を用意できなかったので手向山の美しい紅葉を幣としましょうという道真歌に対して、紅葉を堪能した神には、もはや私の粗末な着物などを幣としてささげたところで返されるのが関の山でしょう、と返した訳ですね。

 

 さて、0406 から始まった巻第九「羇旅歌」もこれでお仕舞い。次の 0422 からは巻第十「物名」となります。言葉遊びの類ですが、個人的にはとても好きな分野です。どうぞ引き続きお付き合いください。

 


古今和歌集 0420

2020-12-23 19:14:31 | 古今和歌集

このたびは ぬさもとりあへず たむけやま もみぢのにしき かみのまにまに

このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに

 

菅原朝臣

 

 今回の旅は、幣を用意することもできませんでした。代わりに手向山の紅葉を幣として手向けますので、神の御心のままにお納めください。

 「たび」は「度」と「旅」の掛詞で、この一節だけで「この度の旅」という意味になります。「とりあへず」は現代語の感覚でさらっと読んでしまうと「一旦、仮に」の意味かと思ってしまいますが、ここは「取る」+「あふ」+「ず(否定)」で、「完全に捧げることができない」の意。「手向山」は神に手向けをする山の意で固有名詞ではありません。
 ・・・などと長々と書く必要もないほど知られた歌ですね。0272 でも紹介した通り、百人一首(第24番)にも採録された、歌人道真を代表する名歌です。

 


古今和歌集 0419

2020-12-22 19:35:34 | 古今和歌集

ひととせに ひとたびきます きみまてば やどかすひとも あらじとぞおもふ

一年に 一度来ます 君待てば 宿貸す人も あらじとぞ思ふ

 

紀有常

 

 一年に一度だけいらっしゃる人を待っているのだから、その人をおいて他に宿を貸す相手もいないだろうと思う。

 「天の川にやってきたのだから、今夜は織姫に宿を借りよう」という 0418 に対し、織姫は一年に一度だけやってくる彦星を待っているのだから、彦星以外の人に宿を貸すことはないよ、という返しです。旅路での戯れのやり取りですが、機智に富んだ当意即妙の返しと言うべきでしょうか。

 作者の紀有常(き の ありつね)は平安時代前期の貴族にして歌人。勅撰歌人として古今集にこの一首、新古今和歌集に一首が入集しています。