昨日の日曜日、長野の善光寺様にお詣りに行ってきました。
4月5日~5月31日まで、七年に一度の御開帳です。
姉や妹に1泊で行かないかと誘われたのですが、仕事で分からない。と返事してました。
1泊は無理だから日帰りにすると言って、私だけ日帰りで行く事にしたのですが、
娘たちに聞いたら、一緒に行きたい。とのことで、孫と一緒に出かけました。
主人は出張で行かれなかったのですが、孫と行く事になって羨ましがってました。
主人の代わりにしっかりとお詣りしてきました。
ホームに着いたら、こまちと、はやぶさが連結して入ってきて私たちの目の前に止まりました。
前回は東海道新幹線乗り場の、その先のホームでチラッと見て、こんな新幹線があるんだとビックリしてたのですが、
それが目の前に止まったので、孫も大喜びです。
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写真撮るの大変ったのです。
次々に新幹線をバックに写真撮る人が沢山いて、私は、入ってきてすぐに撮れたのでラッキーでした。
3台が並んでいて、これも見ていて楽しかったです。
奥に並んでいるのも凄いと思ったけど、グリーンと赤の姿はやはりビックリしました。
流線型が凄いですよね。
これは、やまびこかしらね。よくわからないですが、反対側ホームに入ってきたものです。
これも恰好いいですね~。
「かがやき」これに乗りました。
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今回は孫に新幹線、かがやきに乗せてあげたかったのです。
9:32分発、10:56分着で、長野に着いて参道の近くで食事して
お堂に向かって歩いていきましたが、日曜日で、お天気だったので人、人、人で大変した。
仁王門
山門
本堂と回向柱です。
回向柱は、太くて立派な柱で、お詣りする人が、次々に触って撫でていきました。
私たちも触らせてもらいました。
七年お祀りする回向柱
この事が書かれていたので載せました。
(善光寺の回向柱は御開帳のシンボルであり、”善の綱”によって御本尊の御分身である
「前立本尊」とつながっています。
その回向柱に触れることによって、御仏のご慈悲を受け極楽往生ができると伝えられてます。
また、この回向柱は「卒塔婆」を表し、先祖の追善供養にもつながります。
そして、家内安全、商売繁盛、学業成就など、願いごとを叶えてくださるお守りです。)
と書かれてます。
この回向柱に降れたあと闇の中を進む「お戒壇めぐり」に向かったのですが、
本堂の回りをグルッと並んで1時間も並びました。
やっと順番が来て、真っ暗な中を、手探りで壁をつたって歩きましたが、孫が怖がるかと思ったけど
恐がりもせず、ちゃんと一緒に行けて錠前を触りました。
「極楽の錠前」と言われていて、
(暗闇の回廊を壁づたいに歩き、ご本尊の真下にある「極楽の錠前」を探します。
その錠前に触れると、ご本尊と結縁されて極楽往生が約束されると言うものです。)と書かれてます。
それから今度はご本尊様をお詣りするのに、3~40分、本堂の中を列を作って歩いて
「前立ご本尊様」を拝みました。
大変な人でした。
この回向柱は、七年前の柱で、一番右がそのまた七年前の柱、真ん中が、その前の柱のようです。
「牛に引かれて善光寺詣り」と言われますが、
昔、親戚が善光寺様のすぐ裏に住んでいて、妹と夏休みに長いこと遊びに行った事があります。
その頃、インドのネール首相から善光寺様に、白い牛が送られたきてたので、
妹と、毎日、その牛を見に行ったことがあります。
善光寺様って、甲斐善光寺とかもあって、家の近くの駅に置いてあった、パンフレッドを見ると
「武田信玄公が、川中島の合戦の折り、信濃善光寺の消失を恐れ、
御本尊善光寺如来をはじめ、諸仏寺宝類を奉還したことに始まります。と書かれてます。
数年前にNHKで、「天地人」と言う大河ドラマが放映されましたが、
今、丁度、火坂雅志さんが書かれた、この本を読んでいて、善光寺様の事がでてきます。
その前に「天と地と」と言う海音寺 潮五郎さんが書かれた本を読んで、
これにも、上杉謙信と武田信玄が争った時の善光寺様の事が書かれてあって面白かったです。
私、こういう歴史もの全然知らないんです。
でも読んで上杉謙信とその弟子にあたる直江兼続のファンになりました。
この時点で、3時半を回っていて喉も乾いて、ソフトクリームを全員で食べました。
帰りは17:02分発、18:28分、東京着でした。
東京駅で夕飯を食べて解散しました。
お詣りが目的だったので、他は全く見ることもできなかったですが、お詣りできてホッとしました。