フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

保土ヶ谷から権太坂、境木辺りの歴史跡を見てきました。

2009-01-29 20:56:28 | 日記
1月29日 木曜日 曇り時々小雨

朝からお日様の姿は見えませんでした。
天気予報は「曇りのち雨」と言っています。

今日は保土ヶ谷駅から歴史をたどって歩く会に参加することにしていました。
保土ヶ谷は旧東海道の「保土ヶ谷の宿」として浮世絵にも描かれています。
この頃は整理されて歴史の跡に標識が建てられています。

一番驚いた所は「投げ込み塚の碑」でした。
道中旅の途中で行き倒れた人や牛馬を葬った場所があったのだそうです。
後に、お骨は平戸の東福寺に葬られ、供養のために碑だけを建てたのだそうです。

今の時代と違いますからそんな所も有ったのでしょうね。
それに「投げ込み塚の碑」は何時も車で走っているところだったのです。
通りから少し入っているからでしょうか本当に気が付きませんでした。反省です。

それにその近くに「境木地蔵尊」が有ることは知っていましたが、
そのお地蔵様の事もですがその場所が武蔵国(保土ヶ谷宿)と相模国(戸塚宿)の境であり、
此処に木の杭が立てられていたとか、それで「境木」という地名になったとか、勉強しました。

保土ヶ谷駅までわたしの家からあるいて40分も有れば行き着けるところですし、
境木まではもっと近いのです。この辺りを歩いて歴史を振り返ってみたくなりました。

萩原代官屋敷跡も行きましたが屋敷は有りませんでした。
「おしらす」だった所は今はお庭になっていました。
竹林の竹や木や松ぼっくりなどを使った工芸品を作るアトリエが庭の一部にあり、
見学させて頂きました。

「旅籠本金子屋敷」は格子戸や通用門が当時の雰囲気を伝えてくれました。
ただ第一京浜の拡張工事が進んでいますから、「どうなるのですか?」と伺いましたら、
「明日調査の方やって来てそれから決まると思います」と言うお返事でした。
現在の建物は明治2年だそうです。取り壊されてしまうのでしょうか・・・。

10時に集合して正味4時間ぐらい歩いたのでしょうね。
お弁当はわたしの家の直ぐ近く、児童公園で戴きました。
それから子ども植物園を抜けて井土ヶ谷駅に向かうのですが、
途中、わたしは家の近くでお別れさせて頂きました。勝手をさせて頂きました。

帰宅してうがいと手洗いをしたら、なんとどっと体調が悪くなってしまい、
ベットに横になるしかない状態になってしまいました。
このぐらいの歩きで疲れるとは、何とも情け無い。どうしたのでしょう、残念です。
コメント
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