フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

母の急逝で

2011-03-07 22:41:35 | 日記
3月7日  月曜日 雨のち雪のち雨

昨夜、弟家族が大阪から駆けつけてきました。
母の急死でとっても驚き、顔だけ見てすぐ帰っていきました。みんな仕事が有りますから・・・。
彼らがやって来る前から片づけをし始めるのは、気の毒でしたから彼らが帰ってから始めました。

大阪から上り車線を走ってきたそうですが、かなり渋滞していたのだそうです。時間がかかりました。
大きなお腹をして来月出産と言う一番若い母の孫も一緒にやって来ました。
母の曾孫が何人になるのか、数えるのも大変です。

女の子の孫が10人、男の子が2人の都合12人の孫がいたのです。
その子達が全員結婚して子供が生まれています。ほとんどの孫は2人の子どもを育てています。
毎年お年玉の袋に名前を書くのが母にとっては大仕事でした。昨年は丸2日もかけていました。

名前を忘れ、更にどの字を書いたのかを忘れ、その度に「○○ちゃん」とわたしの名前は大安売り。
母に呼ばれる度に、駆け寄っては文字を書いて教えるのです。お陰でわたしの仕事は常に中断です。

そんなことをいろいろ思い出しながら大阪の彼らが帰った後、片づけをして遂に一睡もせず仕舞い。
この歳で徹夜は流石に応えました。
アリナミンを飲みながら気を張りつめているからでしょうか、頑張れました。

葬儀の打ち合わせは他の兄弟にお任せして、わたしは家に帰り休みました。
ベットに入っても興奮状態で駄目でしたが、炬燵で横になっていましたら少し眠ったようです。
弟からの電話で目覚めました。通夜と告別式の日程が決まったようです。11,12日でするとか。

母の冷蔵庫からの物と、保温にしてありましたご飯でを全粥にして夕食にしました。
まだしばらくは母の食べ残しだけで食事は賄えそうです。
わたしだけでは大変なので、次女にもお裾分け?しました。彼女の家族に助っ人をお願いしました。

この頃の母は、決まった物を何時も食べていました。慣れた物しか食べられなくなっていました。
茶碗蒸しも買ったものの方を喜びます。
何を言ってももう母はいないのです。言いようもない寂しさを感じています。
コメント
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