4月13日 水曜日 晴れ
先月の読書会の日はにわか雨が降ったりして嫌なお天気でしたが、今日は暖かく気持ちの良い日でした。
今月は半藤一利著「山本五十六」を読みました。この手の本に苦手な人が多かったようです。
内容の想像が出来る400ページの一冊を、読み始めるには結構勇気がいったようです。
先月の読書会のあとすぐにあの大地震が発生したのです。
山本五十六という人がどのような形で人生を閉じたのか、誰もが知っています。
第二次世界大戦と山本五十六ですから、読み始めるまでがとても気が重かったようです。
読み始めてだんだんストーリーに入っていきますとおもしろみが出てきたとか。
それに地震と津波と原発という、今までにない大きな事件が起きていたのです。
原発に対しての政府や東電の発表が、戦時中の戦況発表と似ているという意見が有りました。
原発の状況を正確に報道せず、少しランクを軽く報道していたと言います。
確かに原発の状況報道にその気配は伺えた様な気がします。
今と戦時中の報道の仕方に共通性を感じてから、この本が読みやすくなったと言います。納得です。
山本五十六はアメリカとの対戦はなんとか阻止しようと思って居た人物なのです。
それなのに、状況からアメリカとの対戦が避けられなくなり、更にその戦いの中心になる羽目に・・・。
戦争が山本五十六の人生を丸ごと飲み込んで仕舞ったような気がします。
戦後、主が亡くなってから愛人との事が公表され、話題を呼びました。
その時書かれたラブレターの一部分が巻末に掲載されています。
あの歳であの時代にあのような手紙を書いている事に驚きました。普通の人間くささを感じました。
でもこのラブレターに対して、あの戦争中にあのような手紙を書く事は女々しいと言う意見もありました。
それと、山本五十六は短歌を作っていたようです。手帳にびっしり書かれていたようです。
現在、このような場面で短歌を作ったり出来るような人はいないでしょうね。
短歌がこの時代の人の身近にあったとしても、なかなかそれが出来る人は少なかったと思うのです。
文章より、短歌に詠み込んだほうが、その思いが強いような気がするのはわたしだけでしょうか・・・。
人との別れ、苦しいとき、恋しいと思う時など短歌に心を入れることが出来たらどんなに良いか・・・。
短歌に託した作者の心の全てを、誰もが同じような解釈をしない、そう思います。
たった31文字に、いろいろな言葉を使って書いた文章は負けるような気がするのです。
たったの31文字に自分の思いを封じ込めるのですから、その威圧感は強いはずです。
読書会が終わろうとする頃、「一人ではこの本は絶対読まなかった」と言う言葉が有りました。
テーマ本として決められたので仕方なく読み始め、読み進む内に吸い込まれていったといいます。
このたぐいの本が好きな人、エッセイが好きな人、小説が好きな人と様々です。
同じ本をメンバー全員で読みますと個々の受け止め方があるのは当たり前です。
いつまで続けられるか解りませんが、出来る限りこの読書会は続けていきたいと思っています。
先月の読書会の日はにわか雨が降ったりして嫌なお天気でしたが、今日は暖かく気持ちの良い日でした。
今月は半藤一利著「山本五十六」を読みました。この手の本に苦手な人が多かったようです。
内容の想像が出来る400ページの一冊を、読み始めるには結構勇気がいったようです。
先月の読書会のあとすぐにあの大地震が発生したのです。
山本五十六という人がどのような形で人生を閉じたのか、誰もが知っています。
第二次世界大戦と山本五十六ですから、読み始めるまでがとても気が重かったようです。
読み始めてだんだんストーリーに入っていきますとおもしろみが出てきたとか。
それに地震と津波と原発という、今までにない大きな事件が起きていたのです。
原発に対しての政府や東電の発表が、戦時中の戦況発表と似ているという意見が有りました。
原発の状況を正確に報道せず、少しランクを軽く報道していたと言います。
確かに原発の状況報道にその気配は伺えた様な気がします。
今と戦時中の報道の仕方に共通性を感じてから、この本が読みやすくなったと言います。納得です。
山本五十六はアメリカとの対戦はなんとか阻止しようと思って居た人物なのです。
それなのに、状況からアメリカとの対戦が避けられなくなり、更にその戦いの中心になる羽目に・・・。
戦争が山本五十六の人生を丸ごと飲み込んで仕舞ったような気がします。
戦後、主が亡くなってから愛人との事が公表され、話題を呼びました。
その時書かれたラブレターの一部分が巻末に掲載されています。
あの歳であの時代にあのような手紙を書いている事に驚きました。普通の人間くささを感じました。
でもこのラブレターに対して、あの戦争中にあのような手紙を書く事は女々しいと言う意見もありました。
それと、山本五十六は短歌を作っていたようです。手帳にびっしり書かれていたようです。
現在、このような場面で短歌を作ったり出来るような人はいないでしょうね。
短歌がこの時代の人の身近にあったとしても、なかなかそれが出来る人は少なかったと思うのです。
文章より、短歌に詠み込んだほうが、その思いが強いような気がするのはわたしだけでしょうか・・・。
人との別れ、苦しいとき、恋しいと思う時など短歌に心を入れることが出来たらどんなに良いか・・・。
短歌に託した作者の心の全てを、誰もが同じような解釈をしない、そう思います。
たった31文字に、いろいろな言葉を使って書いた文章は負けるような気がするのです。
たったの31文字に自分の思いを封じ込めるのですから、その威圧感は強いはずです。
読書会が終わろうとする頃、「一人ではこの本は絶対読まなかった」と言う言葉が有りました。
テーマ本として決められたので仕方なく読み始め、読み進む内に吸い込まれていったといいます。
このたぐいの本が好きな人、エッセイが好きな人、小説が好きな人と様々です。
同じ本をメンバー全員で読みますと個々の受け止め方があるのは当たり前です。
いつまで続けられるか解りませんが、出来る限りこの読書会は続けていきたいと思っています。