フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

今更、わたしの高校時代

2013-04-21 19:49:30 | 想い出
4月21日 日曜日 雨のち曇り
冷たい雨が朝から降って居ました。まとまった雨は久し振りです。
いつもでしたら嫌な雨と思うのでしょうが、藤の木のことを思いますと良いお湿りになりました。
ホースで水をまいても、自然の雨水の方が良いに決まっています。

今日は昨日より体調は楽でした。自己流の体操を毎朝するのですが、昨日は休みましたし、
今朝も体全体を動かさずに軽く腕の運動するだけにしました。もう一日我慢する事にしました。

ぼんやりしながら、この春から高校生になった孫息子の事を考えて居ました。
彼の学校では英語の時間は日本語を使って居ない、と2,3日前、娘から聞いたのです。
もう半世紀以上前のことですが、わたしの高校もそうだったのです。想い出してもぞっとします。

中学の英語の教師は、まさに「ジャパニーズ・イングリッシュ」、その言葉通りでしたから、
流暢な英語を話す高校の先生の発音には全くついて行かれなかったのです。
クラス全員が理解出来ていたのかどうかは解りませんが、わたしは理解出来ませんでした。
生徒も英語で質問をして、それにたいして先生は違う表現の文章に直して答えてくださるのです。

困ったわたしは、遅まきながらお茶の水のアテネ・フランセの英会話のクラスに通いました。
イギリス人の先生が、面白おかしく日本語を英語で説明し、個人的にも話しかけて下さいましたが、
学校の授業の英語を理解するのは大変で、生まれて初めて英英辞典を使って頑張ったものです。

ただ保健室から転校要請があったわたしですし、良い成績を欲しいとも思いませんから適当でした。
英語の教師が担任でしたし、頑張りすぎて転校するのは最悪ですから落第しなければ良し、でした。

いまは懐かしく良い想い出になって居ますが、数学にも苦労しました。
前後と廊下側の側面と3面の黒板があり、一度に15人が黒板に回答を一斉に書くのです。
生徒の書いた回答を使って説明がありましたが、1問1問先生が説明をするより時間短縮です。
どうかすると、回答を書く順番が2度も廻ってくることもありましたから、予習が大変でした。

幾何の問題で、どうしても解けずに徹夜をしてしまったこともありました。
体調も気になりましたが、黒板の前で立ち往生するのも嫌でしたから頑張ったのでしょうね。
卒業して大分年数が過ぎた頃、友人達が「アンチョコ」という回答書を持っていたというのです。
ショックでした。そのような物が有る事も知りませんでした。困ったときはそれを見たそうです。

わたしの高校生活のスタートは大変でしたが、孫息子は英語も数学も困らずにいるようなのです。
この年になって可笑しいのですが、そんな孫息子が羨ましくちょっとねたましい・・・。
小さい頃から娘は孫息子達を英会話のお教室に通わせていました。娘と孫の努力の賜です。

今までわたしは、何をするにも体調と相談しながらずっと生きて来ました。
孫息子にはわたしの様にならない事を願うだけです。思いっきり運動でも勉学でもして欲しいです。
覚えても覚えても直ぐ忘れてしまう昨今、それでも挑戦しなければ最悪状態になるだけですしね・・・。
コメント
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