フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

所在ない日の日記 続編

2011-03-15 22:26:20 | 日記
3月15日 火曜日 曇り

火曜日です。午前中は一瓶窯で仕事をして午後からリコーダーアンサンブルの練習日でした。
地震と母のことで疲れてしまっていますので、リコーダーの練習はお断りしました。
深く息を吸ったり吐いたりすることが出来ないのです。息苦しくて深い呼吸が出来無くなっています。

一瓶窯へは行ってきました。このような時やはり趣味と仕事が根本的に違うことを感じます。
余震が有るという予報が有りますし、体調的に良いとは言えませんから車は使わずバスにしました。
その判断は正しかったようです。ガソリンを入れる車が一車線ふさいでいました。

一車線の道路ですから、ガソリンを待つ車の列に並んでしまったと思います。
左折した先に有りますガソリンスタンドから、数10台もの車が連なっていました。
車高の高いバスの窓からその様子を眺めていました。

バスを降りて、一瓶窯へ向かう途中、橋の上から東側を写しました。
鴨が何羽も水面にたむろって居ました。鴨たちは地震の騒ぎなど関係ないのでしょうね。



桜が満開です。サクランボがなる桜の木だそうです。
今年は沢山のお花が咲いたから、サクランボが沢山なる・・・と嬉しい先生のお言葉です。



サクランボはともかくお花が可愛いのです。アップにして写してみました。
先日買ってきました一眼レフカメラはまだ未使用です。説明書をゆっくり読む時間が取れずにいます。
相変わらず携帯カメラで写しているのですが、割に良く写っています。言い訳かも・・・。



仕事を終えてまたバスに乗って帰宅しました。まだガソリンスタンドには車が列を作っていました。
バスに乗って来ました若い人が、両手に大きな買い物袋を持っているのにも驚きました。
地震対策なのでしょうか・・・。

透明の袋の中身が見えていました。カップ麺や菓子パンが沢山入っていました。
でも、野菜らしい物は全く見えませんでした。
わたしは何が無くても野菜が有れば満足、と言うより野菜が無くては満足出来ないので困りものです。
野菜の買いだめは出来ませんから・・・。

テレビで報道されているように、地震騒ぎで買い占め現象が起きているのでしょうか。
食べ盛りの子供を育てている人たちは大変なのでしょうね。
今日はすぐ息苦しくなりますので、下車してからゆっくりゆっくり坂を登って帰宅。
角を曲がって家が見えた時は、何となくホットしました。
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所在ない日の日記

2011-03-14 21:11:09 | 日記
3月14日 月曜日 晴れ

風は強かったのですが、暖かく春がやって来たような一日でした。
9時に鍼治療の予約をしてありましたので、休診かどうか気になりながら歩いていきました。
身体が気怠く重たいのには閉口しました。
でもコートも着なくても歩いていますと汗ばんでくるような陽気でした。

治療をしながら、やはり気も下がっているし、疲れてしまっているとのこと。
不具合のところは流れるように治療をしたから大丈夫でしょう。
但し新しい事への挑戦は辞めて下さい、と言われました。

この怠い身体では、何かに挑戦する気持にはなれませんから、。その点は心配ご無用と言うところです。
帰宅してぼんやり水分補給をしていましたら、次女と孫たちがやって来ました。
大きなピザとホットドックやお寿司を買ってきましたので、お持たせで昼食にしました。

巻きずしを3つとドックパンを少々で、お腹一杯になってしまいました。
ピザまではとても手を出すことが出来ませんでした。
孫娘はお寿司を10個にドックパンとピザも食べたと言います。若さなのでしょうね。羨ましい。

気力のない事は昨日と同じで、気怠さがきつくて動けなかったです。
炬燵で横になりましたら、知らないうちに寝入っていたようです。電話の音で目覚めました。
富士宮の母の家のお隣さんからでした。蕗の薹を送って下さったそうです。嬉しいですね。

19日、大学時代の先生が商品の展示をなさって下さるとか、その招待状を戴いています。
その時、蕗の薹をお持ちしようと思いつきました。先生の大好物です。
ただ、この地震騒ぎで中止なさるのではと内心気になっていましたので、迷った末お電話をしました。

奥様がでられ、先生もお元気で展示会もなさると言います。
わたしも元気を取り戻して渋谷の会場まで伺い、久しぶりに先生にお会いしてきます。
楽しみです。
大学時代の友人にお会い出来れば尚嬉しいです。
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全く気力の無い一日に・・・。

2011-03-13 21:38:54 | 日記
3月13日 日曜日 晴れ

母の葬儀で疲れて居ましたし、地震の事もありましたので疲れているからでしょうか、
部屋を少し片付け、お洗濯をするのが精一杯でした。何もしたくない、する気になれないのです。
食事をする気力も全く出てこないのです。

仕方がないので残りご飯をお粥に炊き直して少し口にしました。
テレビもラジオも津波の状況を報道しています。
節電しなくては・・・と思いながらも、何となくテレビを付けたままにしていました。

津波にのまれたらしい家族の方の姿やコメントを聞いていますと辛くなってしまいます。
この人たちはわたしが夫を亡くした時よりももっと辛いと思うのです。
あっと思う間の出来事だったのでしょうから・・・。

テレビを見たくないのにでも消すことも出来ず妙でした。
おひな様をしまおうかと思ったのですが身体が言うことを聞きません。動けないのです。
地震の為なのか葬儀の疲れなのか、母が居なくなった寂しさなのか、判断出来ません。

こんなに所在ない時間を過ごしたことは無いかも知れないですね。
本を読んだり針仕事をしたり、筆を使って何か書いてみたり、料理をしたら、片づけをしたり・・・。
気を紛らわすことが沢山ありますのに何も手が着かない。

このブログを書くことは朝晩の歯磨きと同じ感覚になっていますが、
今日は流石にグズグズ、何時までもパソコンの前に座る事になってしまいました。
早く寝るのが最良の策かもしれませんね・・・。


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お骨の処理が・・・。

2011-03-12 22:50:34 | 日記
3月12日 土曜日 晴れ

良いお天気でした。
昨日の大地震とあの大渋滞が嘘のようでした。
第1京浜国道の車は何時もと変わらない状態で走っていました。

母の葬儀は10時のはずでしたが、地震が有ったからでしょうか少し遅れさせたような気がします。
今日はわたしの次女も参列出来ましたし、姪夫婦たちもその他親族が勢揃いしました。

母が希望していました「内輪だけ・・・」に近い葬儀でした。会葬者全員火葬所まで行きましたから。
都合60人位だったのでしょうか・・・。母のお友達がお二人お出で下さいました。
母より大分若い方なのですが網膜剥離で失明して居られたり、難聴で耳がかなり遠かったり・・・。

わたしが子供の頃から見知った方で、懐かしかったです。でもその老いた姿に驚かされました。
車いすをお借りしました。ご不自由なのです。母以上のような気がします。

火葬されてから、以前はそのままの姿を見せられましたが、母の時は違いました。
お骨をきちんと整理して出てきました。それを儀式通り2人で同じ物を掴んでツボに入れました。
夫の時は、窯に入った時の形そのままで出てきましたので、思わず悲鳴が出そうでした。涙涙でした。

母のお骨のこともあり、大地震鋸もありましたので、悲しみが薄らいだような気がしています。
テレビはひたすら地震情報が流れています。被害のものすごさを今更ながら知りました。
横浜の震度がいくつかなかなか報道しないと思っていましたが、これは無理でしたね。
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大地震と通夜

2011-03-11 23:15:13 | 日記
3月11日 金曜日 晴れ

母の通夜です。それなのに大地震がありました。
葬祭場にたどり着けない方が大勢いらっしゃいました。
新幹線も電車も止まってしまい閉じ込められた人が何人かおられ、たどり着けないのです。

車も歩いた方が速い状態だったようです。姪は浜松町から歩いて祭場にやって来たそうです。
第1京浜国道の歩道は横浜方面へ向かって歩く人の行列が出来ていたと云います。

わたしは地震の時、実家にいました。
耐震性の建物にしていましたのでその揺れはものすごかったです。
この地震の少し前に棺は斎場へ運ばれました。良かったです。

立っていられない状態でした。母の三面鏡が倒れ鏡が割れてしまいました。
揺れる中、ガラスを片づけていました。

子供の頃にもこんな経験をしたことがあります。
母が片づけをするわたしを小脇に抱えて外へ連れ出した事を覚えています。
その時は折り紙を片づけて居たのです。

出した物は片づけなさい、と常に言われていました母の言葉にこんな時も従っていたようです。
「三つ子の魂」とはよく言いますが、残念、今はそれ程片づけていません。

明日の葬儀、9時半集合となっています。帰宅もできないので妹の家に泊めて貰うことにしました。
わたしの家がどうなっていますか心配ですが仕方ないです。
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わたしにとっての人生の柱は母?

2011-03-10 23:07:30 | 日記
3月10日 木曜日 晴れ

母の顔を見に大森へ行ってきました。
まるで眠っているかのようでした。今にも目覚めて話し出しそうです。

母は安らかに何事もなくお昼寝をしているような顔をしていました。
歳をとっても肌の手入れをしていた母だったからでしょうか、とっても綺麗でした。
何年先か解りませんが、わたしもいずれはこの状態になります。

少し気を配った方が良いのでしょうか?

小学時代からの友人が母にお別れを言いに来て下さいました。
彼女も母の容貌に驚いていました。
ばっちりお化粧はしていますが、それにしても生き生きして綺麗でした。

良い意味でも悪い意味でも、わたしの人生の柱になった人です。
もう柱が全くなくなってしまいました。
これからどうしたら良いか、そのことばかり考えてしまっています。
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東郷隆著「俺は清海入道 集結!真田十勇士」を読みました。

2011-03-09 20:52:26 | 読書会
3月9日 水曜日 晴れ

良いお天気でした。昨日より少し体調が良くなってきているようです。
今日、母の洗濯物を洗い2階の洗濯乾し場に干しましたからとっても気持ちよく乾きました。
でも、もうこの洗濯物を着てくれる母はいないのです。畳みながらさみしくなるばかりでした。

第2週の水曜日は読書会なのです。この日しか全員が集まれる日が無いのです。
母が亡くなったからと言って読書会を中止しましたら、本の返却も次月の本を渡す事も出来ません。
読書会の方が娘のおひな様を見たいと言われましたので、まだ片づけていませんし・・・。

いつもの部屋はテーブルを片づけてひな人形が飾ってありますので、食堂で読書会をしました。
狭いので動きが良くありませんが、台所に近いのでわたしは楽でした。
9人、全員揃っての読書会だったのが、わたしの母が亡くなったことが判り話がそれてしまいました。

今日は東郷隆著「俺は清海入道 終結!真田十勇士」を読みました。
著者は現在朝日新聞の夕刊に連載を書いています。
まず「面白かった」という意見と「あまり面白くなかった」と言う意見に別れました。
著者が歴史に詳しく、方言を良く知っていると言うことはメンバー全員の意見でした。

この小説にはとんでもなく悪い人物が登場しないのが良かったとの意見も出ていました。
「戦後に見られた貸本屋世代の小説」そんな気がする、と言う意見も有りました。
清海入道の行動などが荒唐無稽で面白かったとも言っていましたね。

時代物を読む時は歴史の流を感じながら読まないと理解しにくい、と言うアドバイスも有りました。
真田十勇士が活躍した時代がどの辺りなのか、それを知ることが第一だという意見でした。
確かに登場人物とその繋がりを、きちんと把握しながら読む無いと小説に入れませんね。

小説の中で「蕎麦アレルギー」にかかり大変苦しんだと言う事が書かれています。
この時代から蕎麦アレルギーという症状があったことにも驚かされたのですが、本当の事かしら?
清海入道の力持ちの様子にも、本当?本当なの?と言う箇所がかなりありますし・・・。

食堂は横切るだけでしたのに、今日は座っていますので、壁の写真などを見ておられました。
母の写真も部屋の片隅に飾ってありました。昨年のお誕生日にケアマネさんが撮した物です。
とても良く写っています。多分この写真を遺影に使うのでしょうね。

94歳にはとても見えません。とても若く見えます。そう言いましたら母は喜ぶでしょうね。
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母が最後に摘んだ蕗の薹

2011-03-08 22:19:26 | 日記
3月8日 火曜日 

お天気が良かったのかどうか解らない。曇っていたような気もしている。
母の顔を見に大森の実家に行きたいのですが、体調的に無理だと判断しました。
なんとか一瓶窯の仕事だけしに行きましたが、身体を真っ直ぐしているのが辛い状態でした。

仕事と趣味の違いはこのような時、はっきり知りました。
趣味でしたら、悶々としながら家でコロコロしていたのでしょう。
でも仕事ですから頑張って行ったのです。でも行って良かったのです。

家にいても寝てもいられませんし、気が紛れて良かったです。
帰宅してから一瓶窯の振り込み2件、郵便局と銀行で済ましてきました。
告別式のあとの方が疲れて動けなくなると思ったからです。

母がわたしのために庭から取ってきた蕗の薹です。
お庭の草刈りの人が蕗をみんな切ってしまったと言い、蕗の薹はあきらめていたのです。
ところが生えてきたと言ってとても喜んで居ました。それで母が収穫したのです。

柔らかくてとても美味しそうな蕗の薹です。母は看護士さんと一緒に収穫したそうです。
母が天ぷら、お浸し、蕗みそ等々蕗づくしを楽しみにしていました。
でももう母はわたしの料理を食べてくれることは無いのです。



この歳で完全徹夜をしてしまったのですから、立っているのも辛い・・・。
でも寝てもいられないのです。葬儀の事で電話があったり掛けたりと結構忙しいかったのです。

母の亡くなった日の雲や富士山の写真をアップしたくなりました。
こんな綺麗な空を見られたのは母のお陰です。母が亡くなったから東名を走ったのです。
母は雲を見ては、あの雲は犬のようだとか、人の顔のようだとか・・・良く言っていました。

雲を見ている時は必ず母を思ってしまいます。
何時もと違う感じの富士山と雲の写真です。

  

夕陽と富士山です。黄金色の夕陽が言葉に尽くせないほど美しかったです。



車の姿がほとんど見えない東名高速と山の端に沈む夕陽です。
雲と太陽の光が空の景色を刻々と変化させて行くのです。
この景色が母のところへ向かうわたしの気持ちを慰めてくれていました。母にも見せたかったです。



母の家から持ち帰ってきました荷物を片付けながら、ひたすら母を思っていました。
おやすみなさいの電話コールも、もうすることが無いのです。
弘前からも蔵王の樹氷からも、毎日「おはようコール」と「お休みコール」はしていました。

何時か、コールをしても母が電話口に出られなく日が来ることは承知していました。
それでもこんなに辛いのです。
あるじの時は、全く予測も有りませんし予知も無かったのです。

突然、2人ともいなくなってしまったのです。
わたしとしてはせめて別れの時、側にいたかったです。見守りたかったです。
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母の急逝で

2011-03-07 22:41:35 | 日記
3月7日  月曜日 雨のち雪のち雨

昨夜、弟家族が大阪から駆けつけてきました。
母の急死でとっても驚き、顔だけ見てすぐ帰っていきました。みんな仕事が有りますから・・・。
彼らがやって来る前から片づけをし始めるのは、気の毒でしたから彼らが帰ってから始めました。

大阪から上り車線を走ってきたそうですが、かなり渋滞していたのだそうです。時間がかかりました。
大きなお腹をして来月出産と言う一番若い母の孫も一緒にやって来ました。
母の曾孫が何人になるのか、数えるのも大変です。

女の子の孫が10人、男の子が2人の都合12人の孫がいたのです。
その子達が全員結婚して子供が生まれています。ほとんどの孫は2人の子どもを育てています。
毎年お年玉の袋に名前を書くのが母にとっては大仕事でした。昨年は丸2日もかけていました。

名前を忘れ、更にどの字を書いたのかを忘れ、その度に「○○ちゃん」とわたしの名前は大安売り。
母に呼ばれる度に、駆け寄っては文字を書いて教えるのです。お陰でわたしの仕事は常に中断です。

そんなことをいろいろ思い出しながら大阪の彼らが帰った後、片づけをして遂に一睡もせず仕舞い。
この歳で徹夜は流石に応えました。
アリナミンを飲みながら気を張りつめているからでしょうか、頑張れました。

葬儀の打ち合わせは他の兄弟にお任せして、わたしは家に帰り休みました。
ベットに入っても興奮状態で駄目でしたが、炬燵で横になっていましたら少し眠ったようです。
弟からの電話で目覚めました。通夜と告別式の日程が決まったようです。11,12日でするとか。

母の冷蔵庫からの物と、保温にしてありましたご飯でを全粥にして夕食にしました。
まだしばらくは母の食べ残しだけで食事は賄えそうです。
わたしだけでは大変なので、次女にもお裾分け?しました。彼女の家族に助っ人をお願いしました。

この頃の母は、決まった物を何時も食べていました。慣れた物しか食べられなくなっていました。
茶碗蒸しも買ったものの方を喜びます。
何を言ってももう母はいないのです。言いようもない寂しさを感じています。
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夕日と富士山

2011-03-06 23:32:46 | 日記



久し振りに夕日に映える富士山を見ました。富士山は澄んだ雲をバックに、美しかったです。

特別美しかったです。
母がこの光景を見たらなんと言うかしら?
そんなことを考えて富士山を写していました。

母が亡くなりました。独り生活を頑張っていました94歳の母が急死しました。
電話をかけてもなかなか出てくれないので気になってケヤマネさんに見に行っていただきました。
母がベッドの脇に倒れて亡くなっていたそうです。

脳内出血でした。明朝、大森の自宅へ搬送することになりました。
それまでに台所を片付けて生物やゴミを持ち帰るように準備します。
悲しいのに、悲しんでもいられません。やらねばならない事が山ほどあります。

救いは苦しむこと無く即死状態だったことでしょうね。
娘としては辛いです。苦しまなかったとしても誰も居ない家で看取られずに行ってしまったのです。
本人はそれを希望していましたが、わたしには辛いです。

4年前、あるじはわたしの隣のベットで黙って逝ってしまいましたから、せめてお別れを言いたかった。
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アレルギー源ハウスダストが大暴れ。

2011-03-05 21:10:44 | 日記
3月5日 土曜日 晴れ

今日も良いお天気でした。
昨日紙類の片付けをしましたので、机の廻りは大分使いやすくなっています。
また、もう少し時間が経ってから再度片づけるつもりです。

一度に片づけるより少しずつ何度かに分けて片づける方が良いと思っています。
片づけすぎて、時には必要な物まで処理をしてしまう、と言う大きなミスをしたことがあります。
同じ間違いはしたくないので、この頃はそうすることにしています。

今朝、何となく衣類を入れています引き出しを触ってしまったのです。
洗濯物とアイロンしたシャツをしまうだけのつもりでした。
ところがまた片づけ虫が元気になってきてしまったのです。

結局、低いタイプの引き出しの2本を整理して、更に押し入れまで触ってしまったのです。
案の定、途中からハウスダストのアレルギーが酷くなってきてしまいました。
クシャミの連続。鼻水が流れてきて・・・。ティッシュの箱とマスクが離せませんでした。

アレルギーには閉口しましたが、お陰で気になっていたことの半分は終了したことになります。
後日使いやすいように配置換えをしてみようと思っています。目下、その構想を思案中。
料理をしていても頭の中はその思案で一杯になり、結果、それで焦がすこともしばしば・・・。

最近、着ていない衣類はまとめて袋に入れて、片づけました。
少しずつ荷物を減らすように、心がけています。
今のわたしの部屋に楽々と治まるようにしたい。それが目標です。
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体調不良と片づけ虫

2011-03-04 20:59:57 | 日記
3月4日 金曜日 晴れ

風が冷たかったですが良いお天気でした。
久しぶりに金曜日に予定が入っていませんのでシルバー体操に参加してきました。
11時からでしたし、素晴らしいお天気でしたのでベットのシーツを全部洗いました。

ムートンの敷物も干したり、炬燵の蒲団も干したり何となく片付けムードになってしまいました。
疲れ気味の体調なのに、一寸動けるようになりますと自然に身体が動いてしまうのです。
ただまだほとんどきちんと食事をしていませんから、体力は無いことは確かのですが。

体調が悪くて、ぼんやり部屋にいましたら雑然とした部屋が耐えられなくなってきていたのです。
なんとか、すっきりした部屋にしたい、その思いが強くなってきていました。
あるじが亡くなって、寝るのもパソコンするのも趣味のことをするのも一部屋なのです。

今の部屋には洋服ダンスを置くスペースが有りませんから、押し入れをそれに当てています。
厚手の物を着ていますから嵩張ってしまい、洋服を置くスペースが何となく雑然としまうのです。
わたしも冬眠から冷める時期になってきましたので、もっと洋服の出し入れが激しくなります。

その前に少し片づけたい、片づけないと衣類で部屋が溢れてしまう・・・。
但し、困ったことにハウスダストがわたしのアレルギー源なのです。
この体力のない時に衣類の片づけをしますと、すぐにアレルギー症状が出てきてしまいます。

クシャミと気怠さに襲われます。それで仕方なく、今日のところは紙類の整理で我慢しました。
パソコン廻りを片づけたり、新聞の切り抜きなど不用の物を処理をしたり保存したりしました。
でも今日も昼食だけしか食べていない・・・。なんとか食生活も立て直さないと・・・。
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ひな祭りでした。

2011-03-03 19:30:50 | 日記
3月3日 木曜日 晴れ

冷たい風が吹いていましたが、久しぶりに朝から真っ青な青空でした。
今日は月2回の紙ゴミと缶・瓶の収集日です。
家の前の通りを掃きながら、紙ゴミを持っていきました。

昨日から体調的には最悪でした。昨日の食事は娘と一緒にランチをしただけ。
その後、食べ物を受け付けなくなってしまったのです。
疲労困憊状態に神経的な負担が重なり喘いでしまったようです。何とも困った身体です。

今朝もヨーグルトと暖かいコーン茶だけでしたから、カロリー的には低いのです。
笑ってしまうのですが、外観的には全く変わらないです。元気そうに見えるのです。
ただ、本人的には怠いし息苦しい呼吸になってしまし、参った参ったなのです。

10時からオカリナの講座が有りました。
オカリナの音を出す時には、かなり深い息が必要ですから心配していました。
本当はそんな風に気にすることが一番良くないのですが、性格なのでしょうね。わたしには難しい。

この1年に練習をした曲を一通り吹きました。
昨年は個人個人の演奏を全員順番にしたのですが、今年は有志だけの演奏ですみました。
それが解っていましたら、こんなに神経を疲れさせることは無かったでしょうに・・・。

でも演奏せずにすんで良かった・・・。
特に今回のお当番さんはフリーパスでよいと先生がおっしゃって下さったのです。
どんな曲でも人前ですぐ吹けるようになりたいですね。楽しいでしょうね。そうなりたいです。

今日はおひな様です。
先日長女がおひな様を飾って行きました。彼女は狭いと言うことでわが家に置いていったのです。
和室をわたしの部屋にしてしまいましたから、洋間を片づけて飾ってあります。



わたしの家では彼女が初孫でしたから、両親はもっと立派な物を考えていたようですが、
おひな様を買う時、あるじの両親も一緒でしたので、あまり意見を言えなかったのだそうです。
父親はとても残念がっていました。父は長女の側から離れたくないほどの可愛がりようでしたから。

おひな様を眺めながら、いろいろ昔のことを思い出しています。
娘たちはおひな様、特に3人官女のお顔が怖いと言いまして、3人だけ後ろ向きに飾ったりしました。
夜は特に怖がっていましたね。

子供が小さい頃、時にはあるじも手伝ってくれました。
不器用な手つきで、5人囃に笛や太鼓を持たせたり、烏帽子を被せたり・・・。
内裏さまの刀を引き抜いてみたり、余計事もしたり・・・。懐かしい想い出です。

夕方、お隣さんが五目鮨を作って持ってきて下さいました。
わたしは、五目鮨も蛤のおすましも準備しませんでしたので、嬉しかったですね。
身体と相談しながら、半分強戴きました。美味しかったです。
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ミモザが満開でした。

2011-03-02 20:37:13 | 日記
3月2日 水曜日 雨時々曇り

今日も予報がはずれて朝から雨が降っていました。
それでもやはり3月ですね。それ程寒さを感じませんでした。

3日があるじの月命日ですが、明日は行かれないので今日お墓参りに行ってきました。
次女も一緒に行ってくれましたので、雨のお墓参りも淋しくありませんでした。
こんな時、娘が近くにいてくれますので嬉しいですね。

雨降りだからでしょうか、人気が少なかったです。
でも、あちこちの墓石の前に、お花が入っていました。
淋しげな茶色い芝生に、色とりどりのお花が映えていました。

霊園の入り口の景色です。雨に濡れた道に木の陰が素敵でした。
灰色の空をバックに素敵な光景でした。



一番若かったほのぼの編集員もあるじと同じ霊園でねむっていますので、彼女にも参ってきました。
其処にたわわに咲いたミモザの木が3本も植えられていました。
茶色い芝生に緑の葉と綺麗な黄色のお花は、一段と美しかったです。



ミモザの木の近くに行ってアップで写しました。見事です。
ミモザという名前も素敵ですよね。



お墓参りをすませてから、昼食をしに上大岡まで行きました。
目的は食事だけではなく、買い物もしたかったのです。
御菓子を買いに行く必要があったのです。明日、オカリナの練習後に頂く為です。

費用にも制限が有りますから、探すのに一寸苦労しました。
わたし個人の物でしたら適当に選べますが、頼まれ事は気が重たいです。
でも、明日でわたしたちの当番仕事は終わります。最後の仕事です。

これからはオカリナの練習を楽しめば良いのです。嬉しいです。
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情け無いけど大満足。

2011-03-01 21:25:15 | 日記
3月1日 火曜日 曇りのち雨

朝から一面灰色の空でした。午後3時頃から雨になるという予報でした。
ところが予報よりずっと早く8時過ぎには細かい雨が降ってきてしまったのです。

佐渡へ行かれた一瓶窯の先生が、もしかしたらお教室の時間に間に合わないかも知れないと言われ、
わたしはいつもより早くお教室に向かいました。鍵をお預かりしてきていました。
早めに伺って、先生が何時もされておられるお掃除をしたり、ポットのお湯を沸かしたり・・・。

そんなことを頭で描きながら、お教室に向かったのですが、なんと門は開いていたのです。
先生はお帰りになっていたのです。ホットしました。嬉しかったです。
たいした事では無いのでしょうが、わたしにとっては大仕事?のような緊張が有りました。

先生の代わりが出来るのは鍵を開けるだけ、お掃除をするだけなのに。呆れますね。
初めてのことやなれないことをする時の妙な緊張感、何ででしょうね。
いい年をして・・・と我ながら情け無いです。

お教室は先生がもう暖房して下さっていましたから、暖かかったし、広いお教室に一人ではないし、
緊張感を感じていたわたし、少々恥ずかしいかったです。でも、本当に良かったです。
いつもより早く仕事を始めましたから、当然早く仕事は終わりましたし・・・。良いこと尽くめです。

帰りがけ記帳しに、銀行へ行ったのですがこれも情け無いことにまた迷ってしまったのです。
車を運転しながらキョロキョロしても、目的の建物が見つからないのです。
初めての時、バスの後ろに付いて走ってきて、銀行を見つけたのです。

バスは駅前のロータリーに入るのでわたしも一緒にぐるりと回っていました。
先月、ロータリーに入らず、銀行へ行かれるのではと思い試して見ましたら、成功したのです。
すっかり有頂天になっていました。ところがです。今日はまた行かれなくなってしまった・・・。

迷って迷って、それでも何方にも聞かずなんとか辿り着きました。やった!と密かに喜びました。
それだけでも自分を誉めたりしているわたしは情け無いです。笑われますよね。
でも、わたし的には随分頑張ったので大満足。一人で目的地に辿り着いたのですから。
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