11月9日は八万三千日分のお大師様お茶湯功徳日です。 . . . 本文を読む
今日は智山第十一世護持院第三世覚眼遷化の日
以下密教大辞典等に依ります「覚眼・・薩摩の人。大乗院に入り、後豊山に来りて顕密の學を究める。醍醐に到りて有雅に就きて幸心一流を探る。後、江戸圓福寺に住し宝永二年智山第十一世能化となる。‥教風一世に高志し。‥江戸護持院第三世に転じ新義僧録職となり・・享保二年正月護持院火災となり(注1)自ら身を市谷圓満寺に隠居し、著作三昧。享保十年十一月八日寂。壽八十三。 . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 14/14巻の6/8
六、 西林寺 世に尨毛(むくげ)の地蔵と云ふ
羽休山西林寺飛行院尨毛堂(上京区上御霊前通室町西入玄蕃町46西林寺)の地蔵尊は愛宕山勝軍地蔵と一躰分身なり。當寺の開基彼の山と同じく慶俊僧都(奈良時代。大安寺に属し,入唐僧の道慈を師として三輪,法相,華厳などを学ぶ。華厳講師などを経て,法華寺の大鎮となる。聖武天皇の死に際 . . . 本文を読む
坐禅三昧経に「もし佛道を求めるのであれば十方の仏の生身を夜空の星を見るように観ぜよ」とあります。坐禅三昧経下巻「若し行者、佛道を求めて禪に入らば先ず當に専ら繋心して十方三世諸佛の生身を念ずべし。地水火風山樹草木を念ずること勿れ。天地の中の有形の類及諸餘法を一切念ずること勿れ。但だ諸佛の生身の虚空に處在するを念ぜよ。譬ば大海の清水中央金山王須彌の如く夜闇中に大火を燃やす如く、大施祠中の七寶の幢の如し . . . 本文を読む
疾病の人を見れば「身の空寂なるを知りて 衆苦を解脱せん」と願え華厳経巻六浄行品第七、「・・・若し橋梁を見ば 當に願ふべし衆生 法橋を興造して人を度して不休ならしめんと。園圃を修むるを見ば 當に願うべし衆生穢惡を𦓷除(うんじょ)して 欲根を生じざらしめんと。 無憂林を見ば當に願うべし衆生 心に歡喜を得て 憂惱を永除せんと。好園池を見ば 當に願うべし衆生 衆善を勤修して菩提を具足せんと。 嚴飾の人 . . . 本文を読む
以下密教大辞典等に依ります。
善無畏・・真言伝持の八祖中の第五祖。637年 ~開元二十三年735十一月七日。梵名は戌婆掲羅僧詞、略して輸波迦羅(ゆばから)とも言う。善無畏は義訳。釈尊の父浄飯王の弟の甘露飯王の末裔。中インド摩伽陀(マカダ)国の国王であったが兄たちの反乱を抑えた後、仏門に入り、那蘭陀(ナーランダ)寺で達摩掬多(ダルマグプタ)に就き総持瑜伽三密の教えを授かり無量の印契 . . . 本文を読む
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史料綜覧 巻五 / 文永十一年(1274)十一月七日条
「七日 蒙古ノ事ニ依リテ 十六社ニ奉幣使ヲ発遣ス」
史料綜覧 巻五 / 文永十一年(1274)十一月七日条
「七日・・延暦寺ニ一字金輪法ヲ修シテ 異国降伏ヲ祈ラシム」
天 . . . 本文を読む
日本紀略 / 正暦元年(990)十一月七日戊寅条
「七日戊寅 詔して 永祚二年を改め正暦元年と為し、天下に大赦し、大辟以下を赦除す。 常に赦する所の不免の者は赦せず。老人・僧尼に穀を賜ふ。 大風天変に依る也」
天皇は一条天皇。少しの異常気象でも国民の事を気にかけておられた天皇陛下のお姿が浮かびます。 . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 14/14巻の5/8
五、誠心院 寺町三條下る和泉式部町
花岳山東北寺誠心院小御堂(京都市中京区にある真言宗泉涌寺派の寺院。山号は華嶽山。本尊は阿弥陀如来。和泉式部ゆかりの寺院で、通称「和泉式部寺」)の地蔵尊は弘法大師の刻彫し玉へるなり。橘朝臣道貞へ和泉式部縁合せの本尊あんるによりて世に玉結の地蔵と号し奉るものなり。凢そ此の尊を信じ奉らば十種の福を得。其の中に衆人愛敬の一を . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 14/14巻の4/8
四、地蔵院 宇賀逗子
洛陽九條の宇賀逗子の地蔵院は小野篁の開基なり。延命地蔵菩薩本尊なりし、則ち是篁の真作なり。此の尊の靈験村民に尋ねて知るべし。或は福を祈りて満足し、或は病気悉除し若しくは里閭(村落)の田夫稼穡を祈求して一も利益あらずと云ふことなし。悉く記すに及ばず。(九条中札辻町53に 地蔵院があるがこの地蔵院かは不明) . . . 本文を読む
日本紀略「長保元年999十一月六日太皇太后御悩に依り、権僧正観修をして、千手観音法を修せしむ、尋で、少僧都勝算をして、御修法を行はしむ」・天皇は一条天皇。・太皇太后とは昌子内親王 のこと。朱雀天皇第一皇女で冷泉天皇の中宮。資質淑慎で仏教に帰依すること篤く、永観三年(985)北岩倉山大雲寺に観音院を創建したことから、観音院太后とも呼ばれた。和泉式部も仕えた。長保元年12月1日には五十歳で崩御。観音院 . . . 本文を読む
説法明眼論より「・・一人ヲ教化スルノ功徳は六度ヲ行スルコト百劫スルニ勝レリ。一字ヲ聴聞スルノ大恩は千仏ヲ供養スルコト百劫スルニ過タリ。・・」(一人を教化することは檀・戒・忍・精進・禅・智慧の六波羅蜜を百劫という長い時間修業するより優れている。一字を聴聞させていただく恩は千佛を百劫の間供養するより勝れている) . . . 本文を読む
昭和27年11月6日、広島高等裁判所におけるパール博士の講演内容
「私は1928年(昭和3年)から45年(昭和20年)までの18年の歴史を2年8カ月かかって調べた。各方面の貴重な資料を集めて研究した。この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。この私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。しかるに日本の多くの知識人は、ほとん . . . 本文を読む