今日は叡尊が聖徳太子廟で502人に授戒した日金剛仏子叡尊感身学正記「寛元四年丙午1246四十六歳二月二十六日太子廟において五百二人に菩薩戒(注)を授く。」(注)菩薩戒の典型と考えられているのは瑜伽師地論の三聚浄戒(摂律義戒・・・止悪門から五戒八戒具足戒を含める戒。摂善法戒・・・すべての善を修する戒。摂衆生戒・・・饒益有情戒。) . . . 本文を読む
1、今日は二二六事件から87年目です。小泉時代からの「拝金主義」「弱肉強食のための売国規制緩和」「市場原理至上主義」の跋扈の後遺症による重い閉塞感の漂って居る最中に前世紀の帝国主義の復活と核威嚇という地獄の蓋を開けたプーチンのウクライナ侵略大量殺人がおこりました。これにとどまらず北方領土は既成事実化され、北朝鮮は日本列島越の大陸間弾道弾を発射、中国は平気で領海領空不法侵入をくりかえしてきています。 . . . 本文を読む
今日は良忍上人忌です。大阪市平野区にある融通念仏宗総本山大念佛寺では「元祖聖應大師(良忍)御忌法要」が営まれます。大念仏寺のホームページには「2月26日 元祖聖應大師御忌法要 」とあります。 良忍上人(聖應大師)は延久5年1月1日(1073年2月10日)生まれで天承2年2月1日(1132年2月19日)示寂されています。大念仏時のホームページには「『融通念仏縁起』には、良忍上人が46歳のとき、阿弥陀 . . . 本文を読む
今日寛元二年1244、2月25日は忍性菩薩が興正菩薩叡尊を屏風里に請じ亡母の13回忌を修した日です。金剛仏子叡尊感身学正記に「寛元二年甲辰四四歳、(二月二四日の)翌日忍性亡母十三年の追善の為、結崎屏風(奈良県磯城郡)に移住す。心地観経報恩品読文講義・・」とあります。 . . . 本文を読む
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今日は大般若会が年四回とされた日です。現在は大般若会はお正月に修せられるのが恒例となっていますが昔は四回という時期もあったのです。三代実録・貞観元年860二月二十五日の条に「二十五日辛亥六十四僧を請じて東宮に於いて大般若経を転読す。今日を起首として三日を限り訖る。凡そ貞観の代、四季大般若を転読す。他皆之に効ふ。」 . . . 本文を読む
「日本三大實録(貞観元年859二月二十五日の条)「六十四僧を請ひ東宮に於いて大般若経を転読す。今日を起首とし三日を限り訖。凡そ貞観の代、季毎に四季大般若を転読。皆此に効ふ。」
参考1,「公事根源」には「季の御読経 二月八月大般若経を百敷にて講ぜらる。四か日の事にて第二日には引茶とて僧に茶を給ふ事あり。天平元年四月八日に始めらる。貞観の比ほひには毎季 . . . 本文を読む
寶篋印陁羅尼と光明真言が亡者の廻向には最適とのこと沙石集・弥勒行者事に、浄土宗の竹谷ノ乗願房という人が御所の御下問にこたえて、「亡魂の菩提には、寶篋印陁羅尼(注3)と光明真言が一番」と答えさらに「十悪五逆の罪人で地獄に落ちて助かる道のないものでも、その子孫が寶篋印陁羅尼を七辺唱えて廻向すれば、地獄は変じて八功德の池となり宝蓋が頭にのり蓮華が生じて罪人の足を受け極楽へ導く。光明真言を一遍唱えれば無量 . . . 本文を読む
今日は天台十三世座主尊意が兜率に登った日。
「往生兜率密記」「釈尊意、姓は丹生氏、平安城の人也。元慶三年台山に上る。十七にして落髪す。二十二にして坐す円珍を禮して戒を受け、一紀の間に台教を究む。又両部密法を増全に蘇悉地を干玄昭に享く。凡そ三部の諸尊の秘軌各々密語、多少無く皆一万遍を誦し、修法各一千坐、是の如く修練して屡奇妙を得。観音文殊金剛薩埵不動明王各慰誘を加ふ。天慶三年二月二十三日沐浴浄髪し . . . 本文を読む
貞応3年(1224、 元仁元年)2月23日は叡尊が初めて高野山に登られた日です。「金剛仏子叡尊感身学生記」によると「元仁一年、二四歳、正月三日舎兄命終。重恩去りがたし。報恩思い深し。故に中陰の間逗留。二月二二日箕田里を出る。次の日高野山に著く。宿は往生院。行人房なり。日々奥の院に参詣。・・」とあります。 . . . 本文を読む
日本紀略 / 延長八年(930)二月廿四日条
「廿四日 詔して天下大赦す。 去年の風水之災、・今春の疫癘之患に依る也」
天皇は醍醐天皇。 延喜23年923閏4月11日、干ばつと疫疾により延喜から延長へ改元したばかりでしたがなお疫病・自然災害が続発していたようです。此の年延長八年八月には清涼殿落雷事件もあり道長公の怨霊によるとされていきました。 . . . 本文を読む
史料綜覧 巻五 / 文永十年(1273)二月廿四日条
「廿四日 五壇法ヲ禁中ニ修シテ 彗星ヲ禳フ」
天皇は後宇多。鎌倉将軍は惟康親王、執権は時宗。文永十一年に文永の役がおこります。彗星の出現はやはり不吉でした。 . . . 本文を読む
河口 慧海は1945年(昭和20年)の今日2月24日、脳溢血のため80歳で死去しています。黄檗宗の僧侶。梵語の仏典原典とチベット語訳の仏典入手のため当時鎖国のチベットへ命がけで密入国。『チベット旅行記』を読むと当時の緊張感が促促と伝わってきます。帰国後は大正大学教授、仏典翻訳や蔵和辞典の編集に没頭していましたが、のちに僧籍を返上し在家仏教を提唱しています。慧海の遺骨は谷中の天王寺に埋葬されたが、現 . . . 本文を読む
今日24日は上賀茂神社・幸在祭(さんやれさい24日正午頃)です。上賀茂神社ホームページです。「上賀茂で古くより行われている今で云う成人祭です。当神社、摂社大田神社、田の神と山の神に15歳の元服を奉告します。」かくいう自分は俗世のころある国家的大施策が行き詰まっていたのを引き継ぎ、この成功をこの上賀茂神社に祈り見事成就して頂いたことがあります。 . . . 本文を読む
今上天皇は上皇殿下時代のお誕生日に(平成29年2月23日)次のような大変感慨深いお言葉を発表されています(当時皇太子殿下は平成28年(2016)8月7日には岩瀬文庫を視察され、平成29年(2017)2月23日に記者会見で岩瀬文庫訪問時の印象を語られています。)「昨年の8月,私は,愛知県西尾市の岩瀬文庫を訪れた折に,戦国時代の16世紀中頃のことですが,洪水など天候不順による飢饉や疫病の流行に心を . . . 本文を読む