一般大乗に種多の教系あるも、個別体は因縁生の仮相なり、迷情の所見なり、即ち個体は衆因縁所生なれば、個体に個体本有の自性無く、無自性空を自性となす、この自性の無生空を観じ、我執迷妄を滅尽し、その無自性の空理に還源すべきを説かないもの(大乗教)はない。
約言せば人は仮なり、無自性の法のみ實なりとは、一般大衆の通説である。即ち個体は因縁生の仮相なり、生滅無常の苦相なりと観て、無自性空の非人格の空理に契 . . . 本文を読む
・武蔵国二宮神社、
明治期までは二宮大明神、または鎮座地である小河郷の小河大明神と称された。藤原秀郷、源頼朝、北条氏政が尊崇したとされる。武蔵国の一宮から六宮までの武州六社(武州六大明神、武蔵六所大明神(注))の一つ。御祭神は、国常立尊(くにとこたちのみこと)。現在も武蔵国総社・六所宮(現 大國魂神社)の一座に祀られ、今でも5月の大國魂神社の例大祭「くらやみ祭」に参加しているほか、周辺の地名は「 . . . 本文を読む