金子みすずの「さびしいとき」という詩がありました。
「わたしがさびしいときに、よその人は知らないの。
わたしがさびしいときに、お友だちはわらうの。
わたしがさびしいときに、お母さんはやさしいの。
わたしがさびしいときに、ほとけさまはさびしいの。」という詩です。
最後の「私が寂しいとき、佛様は寂しいの」というところには深い意味が込められていると思われます。本来仏さまは衆生と一緒 . . . 本文を読む
真諦真有の旨を説く唯識宗も、真諦空を開演する無相大乗も、共に真諦は不可得なり不可思議なり、空なり、無相なり等と説くは、これ凡夫の分別の妄執を断滅するを旨となすゆゑである。これ真言密教より一般仏教は、凡夫の我執迷情を遮遺するを本とする、遮情教(迷いを否定する教え)なり空教なり等と云ふゆえんである。即ち真諦解脱の真境は大我として認むべき無く、いわんや個体の存在を許さないのである。
これをかの禅宗の説 . . . 本文を読む