但し、真諦に三千の差相を見るや否やは、支那宋朝における此宗の山家山外の間に論ぜられたる教学上の重要なる問題であった(真理(心)の中に個別現象を含むや否やは宋時代の天台宗で山家派と山外派として論争になった)。即ち山外にては、理平等の真諦界中に三千の差別の法を立てず、三諦についていへば(空諦・仮諦・中諦のうち)空・中を理(真理)とし、仮諦を事(仮諦をこの世にあらわれた仮の姿)とし、仮諦なる事に三千の差 . . . 本文を読む
ここに特記すべきことは、支那においては實相家にも縁起家にも一即一切、一切即一の円融無碍の理趣が開顕せられたることである。即ち円融無碍の理より諸法実相の義を明かすものは天台にして(一切のものは空であり同時にそのまま真理のあらわれ(実相)である)、重々無尽の玄旨より真如縁起(一切は真如が縁に遇って顕現する)を談ずるものは華厳宗である。
この円融無碍、重々無尽の玄旨よりいへば、一切世界の差別相は各々そ . . . 本文を読む
昨日叡尊と西大寺展(三井記念館)に行ってきました。叡尊様は鎮護国家の体現者で蒙古襲来時に石清水八幡様・伊勢神宮等に祈祷されて神風を起こされた方であるとともに、戒律を復活、苦しむ人を文殊菩薩に見立てて困民救済にも大功績をのこされた鎌倉期真言僧のスーパースターです。私の最も尊敬する方です。講員のSさんのご厚意で拝観券を頂いたことも不思議な有難いご縁と感謝しつつ拝観して来ました。
拝観した結論は、自分 . . . 本文を読む