「人生は苦である」とは仏典にも聖書にもあることばですが、此の苦の人生をいやがおうでも送らざるを得ない凡夫は「苦の人生を送る中で道を発見する」しか苦を転換することは出来ないと思うこの頃です。
そう思ったきっかけは以下の「野球道」の話です。
川上哲治が初めて梶浦逸外老師に会ったのは、正力松太郎の紹介がきっかけです。(正力松太郎は昭和34年10月号の「大法輪」に「私がはじめて座禅を組んだのは24歳帝 . . . 本文を読む
秘密安心往生要集・・28/42
(廿七、逆修の事。)
問、逆修とは何の義ぞ。
答、死後七七日の間に修する追善は七分が一ならでは亡者の功徳とはならず。六分は皆存命の人の功徳なりと。地蔵経に説き玉へり。故に灌頂経に説く、存命の時に死後の七七日の追善を自ら修する時は七分全得の作善なりと。未死の日逆じめ勤むるが故に逆修と名く。順逆の謂には非ず。悲しひかな今時の人は逆修の善根もなく、又没後に七七日の追善も少 . . . 本文を読む
不登校は両親どちらかの先祖が先祖供養の契機を与えてくれていることが多いように思います。
子供の未来を拓くためにもそれぞれの家の先祖供養は「・・家先祖代々菩提也」と書いた塔婆(経木塔婆等)を作り縁のある御本尊を決めて般若心経を最低千回(一日3回とすると334日、10回とすると100日。100回とすると10日)はあげるようにすると良いと思います。
要はこれを繰り返すことです。 . . . 本文を読む