秘密安心往生要集・・42/42(四十一、木像生身佛同体の事。)又淳和天皇の馭宇、天長八年831仲春の比、宰相中将之春とて目出度人あり。母にをくれて歎き切なりければ何なる追善をしてか亡母の孝養に充んと先ず母の平生所持の衣類雑具までを悉く伽藍に寄付し僧中に供養して成三菩提の資助となし、五障三従の苦を離れて上品蓮台の楽を受け玉へと一心に祈誓し、母公在世に類なく愛し玉へる柑子の木ありけるを戴て御長三寸二分 . . . 本文を読む
今日は仏教学者宇井伯寿の命日です。
宇井は昭和28年7月12日71歳で遷化しています。以下「明治の仏教者」等に依ります。宇井は愛知県宝飯郡御津町の農家の出身。郷里の曹洞宗東漸寺活山卍寿に得度。東京帝国大学で高楠順次郎に印度哲学を学ぶ。同窓に木村泰賢。卒業後、独国チュービンゲン大学に留学し印度六派哲学の大家ガルベ教授に師事。其の後オックスフォード大学やケンブリッジ大学に滞在。帰国後、東北帝国大学教 . . . 本文を読む
超昇寺
2021-07-12 | 法話
超昇寺
(已下、密教大辞典等による)
生駒郡都跡村(奈良市)にあった寺。超勝寺とも書く。此の地もと孝謙帝の内裏楊梅(やまもも)宮のありし所にして、平城天皇この地に御したまふ。帝の第三皇子高丘親王は嵯峨天皇の皇太子たりしが弘仁元年藤原仲麻呂の乱に座して廃せられ、その末年弘法大師の門に入りて出家し、名を真如と改め、平城天皇旧宮の地を賜り、此処に一寺を創建して金剛界の五佛を安 . . . 本文を読む
今日12日は成田山開山忌です。成田山は寛朝僧正により開基されました。以下密教辞典等によります。
「寛朝は916年(延喜16年)生まれ、998年7月13日(長徳4年6月12日)没。平安時代中期の真言僧。祖父の宇多法皇のもとで出家。仁和寺寛空より伝法灌頂を受け、仁和寺別当を経て、東寺三長者・東大寺・西寺別当を兼ね、天元四年981東寺長者。989年(永祚元年)10月26日円融天皇の命により広沢湖畔に遍 . . . 本文を読む
忍性は、鎌倉時代の真言律宗の僧で叡尊の弟子です。叡尊の蒙古退散の祈願を研究して以来、弟子忍性のことも調べたく思っていたのですが、たまたま大学図書館で数冊の興味をひく本を書架からだして何の気なしにみていると、本朝高僧傳に忍性菩薩のことが書いてあるのが目につきました。そして読み進めていくとなんと今日7月12日(嘉元元年七月十二日)は忍性菩薩の入滅された日だったのです。他の本は読まずすぐにブログに載せよ . . . 本文を読む
明日13日から16日まで新のお盆です。・7月12日盆棚や提灯を組み立てるなど事前に準備を行います。棚にはござやまこもを敷き、中央にお位牌を安置します。なすやきゅうりで作った精霊馬(しょうりょうま)、精進料理のお膳、そうめん、季節の野菜や果物、故人の好物などのお供え物を供えます。棚の左右には盆提灯を飾ります。・7月13日 盆棚にお位牌を移し、お供えをし、外が暗くなってきたら迎え火を焚きます。・7月1 . . . 本文を読む
続史愚抄 / 長享二年1488七月十二日甲戌条「十二日甲戌 大覚寺心経〈嵯峨天皇宸筆及後光厳院後花園院等宸翰合三巻 〉を召して宮中に於いて 御礼拝有り。 抑(そもそも)頃日(ちかごろ)京畿に疫病流行し 人民多死の故也。」・天皇は後土御門天皇(室町幕府は足利義尚)。後土御門天皇は敬虔な仏教徒であり、皇室の貧窮は自分の罪障が原因と考えて、阿弥陀仏の慈悲に希望を託し以下の和歌を詠まれた。「誓ありと 思ひ . . . 本文を読む