秘密安心往生要集・・42/42
(四十一、木像生身佛同体の事。)
又淳和天皇の馭宇、天長八年831仲春の比、宰相中将之春とて目出度人あり。母にをくれて歎き切なりければ何なる追善をしてか亡母の孝養に充んと先ず母の平生所持の衣類雑具までを悉く伽藍に寄付し僧中に供養して成三菩提の資助となし、五障三従の苦を離れて上品蓮台の楽を受け玉へと一心に祈誓し、母公在世に類なく愛し玉へる柑子の木ありけるを戴て御長三寸二分の地蔵菩薩の像を造立して先妣の菩提を弔ひ玉ふ。其の譜誦文に曰く「造立し奉る柑子の木の地蔵菩薩の尊像一躯。幷に三宝衆僧の御布施。右悲母の中陰聖忌正に盈なんと欲す。光陰移り来て愛河いまだ涸れず。憂聲口を破り、涙川袂に流る。伏して黄泉の資助を鑒み、仰で薩埵の引接を設く。茲に因りて志は紫筍を雪底に抽んで(二十四孝の孟宗が母のために雪の竹林で筍を探した故事。本朝文粋にも「老いて愛子に哭す。誰か紫笋を雪林に抽さんや。」)、徳は亡魂を妙蓮に生ぜしめんと欲す。然れば即ち恋慕の涙は胎蔵八葉の花を開き、追善の功は阿耨菩提の菓を結ばん。伏して願わくは悲母、菩薩の来迎を受けて、一切衆生とともに無垢等覚の位を証せしめ玉へ。仍って望む所は亡霊の成仏なり。敬て白す。天長八年二月。散位藤原之春」と。此の功徳に依って兜率の内院に往生せりと、之春の夢に見玉へども、披露はし玉ざりしを、母公の平生念比の知音の女房、大納言の局と云あり。或る夜の夢に彼の母公幻の如くに立ち向ひて曰く「人の恃むべき者は至孝の子にて侍るなり。我存生の時、少しばかりの善根もなし。されば無間の炎に沈みなんに子息の之春が追善の功力に依りて其の造立の地蔵尊、琰魔王宮に至りて我を乞ひ取り玉ひ、菩薩我が苦に代わりて無間地獄に飛び入り玉へば炎忽ちに消て清涼の池となり、蓮華開けて所有(あらゆる)罪人皆苦を免れ化して三蔵の孩児となりて蓮華に坐し、我が身も同じく地蔵菩薩と共に地獄を出て白雲に乗じて兜率天に上り自在無碍の身となりて神通力を得、菩薩の位に登れり。御邊も業鏡の内に業力きはまりなし。穴賢、地蔵菩薩を信仰し奉り速やかに三有の苦患を免れ玉へ。されば之春造立の尊像、毎日三度天に登り我を守護し玉へり。是正しく生身の像にてましませば多百千萬億の大小の分身も此の像に勝り玉へる利生はましまさず。即ち生身の位にて在す」と語りて打笑心の中、楽み玉へる體にて煙の如く立ち登り玉ふと見て夢は覚めけると語る。其の後、淳和天皇聞こしめし玉ひ叡慮に信仰の掌を合わせ念誦し玉ひて拝ばやと思しめしけるに、彼の尊像忽然として帝の御前に現じ玉へり。奇異の思をなし玉ひ之春を召して事の子細を御尋あり。忝くも龍顔に御涙を流し御衣の袂を霑し玉ひ、三礼し玉ひけるこそ亦比ひなりき御結縁なり。其の後、之春卿、高祖大師に見へて地蔵尊造立感応不思議の事を白し玉ひければ、大師の玉はく「卿忠孝の志純厚なるに依って此の地蔵菩薩は中心不動阿字の本体なり。不動はかん字(梵字)を種子とす。か字(梵字)は地蔵の種子なり。始めにか字(梵字)を書きて空点を加へてかん字(梵字)の声を成就せり。然れば此の柑子の木は「かん」の音なり。最も御素木とするに堪へたり。是地蔵尊の内証三昧なれば此の木を以て造り玉へる尊像なれば内外相応しぬ。何ぞ速疾の感応空しからんや」とありければ、之春倍々信心増進せりとかや。特に孝厚の志切なれば菩薩何ぞ納受し玉はざらんや。今の人も圓照、之春卿、祈親和尚、智泉法師などの如く誠を盡して追福回向せば極重悪人なりとも何ぞ忽ちに無間の劇苦を免れて兜率の内院に往生せざらんや。況や一毛一滴一沙一塵の善も皆佛種となりて薩埵の引接にあずかるをや
(地藏菩薩本願經に「令歸敬三寶永離生死至涅槃樂但於佛法中所爲善事。一毛一渧一沙一塵。或毫髮許。我漸度脱使獲大利。」)
。必ず須らく不動地蔵の悲願を頼み奉り、安養兜率の往生を欣ふべきものなり。
享保四年正月吉日(蓮體)」
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