福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

秩父三十四所観音霊験圓通傳 秩父沙門圓宗編・・8/34

2023-10-08 | 先祖供養

 

第八番 青苔山西善寺、御堂四間四面南向。本尊十一面觀音 立像御長七寸一分(22㎝) 恵心僧都御作

當寺本尊は僧都彫刻の彌陀の三尊とともに、有信の居士に與へたまひしを、此の地に安置し、三尊は別院に入れ奉りて、朝夕拜したてまつる事年あり、今奥の院と云。しかるに中頃兵革屡起て、闔境の神社 佛閣悉く廢衰に至る。爰に一僧あり來て里人に問て云く、汝等巡禮の和歌や知りてある、里人の老たる在て答て云、吾若かりし頃、諸國穏かにして人直く佛乗を信じて順禮の人多、長途の労を忘れんが為に 各詠歌に節墨譜付て諷つれ参詣せしぞかし、其時の詠歌吾よく覺へたりと。取あへず當寺の詠歌を吟詠しければ、客僧悦てあな貴、賢くも此歌をなん思出たる、此歌は佗の詠歌より勝て有がたき詠ぞかし、 此意を忘れず行住坐臥に只稱名一行をはげませ、此地必久しからずして兵治り大平に復し、永く佛乗大に起るべしと、かきけす如く失にける。あり合たる民皆不思議の思をなして皈りぬ。いく程なく四海昇平の世となりて、果して此郡中に觀音霊場一時に繁栄の花開き、各菩提の菓を結ぶ時至りぬ。彼の詠歌にいはく、

「只頼め 誠のときは西善寺 来り向へん彌陀の三尊」

西善寺と有は、往昔當時開基の居士晩年剃髪の名かるとぞ。當寺の詠歌を思出たるを、彼化人讃嘆し給る事、凡心を以推量せん事恐れあれど、暫其意を釈せば、只頼めと云五文字に一向専念の意あり。誠の時とは臨終の期を云。彼古歌に死する斗ぞ誠成けると讀ると同意にて、死期を云成べし。侘念なく偏に阿彌陀佛たすけ給への外は皆、思も云も迷ぞとふり捨て、称名念仏せば必ず来り迎へんとは佛の誓願也。誰か疑慮を抱かん。本願の不思議は凡夫の得て知る處に非ず。只念々不捨の称名を修して、決定往生の業因に備ふべし。亦曰斯く勧と雖も、誠に信ぜず只虚假の念佛ならば、 佛天の冥加もあるべからず。我心の誠になるやうに修行すべし。誠とは心中に一點の私なく、神にも恥しからぬこそ誠の心と云べし。誠か偽かは自己の心中に問べし。烏は黒し鷺は白しと覚へたる上に、誰か鴉は白く鷺は黒しと云とも、心にうけがはんや。是黒白の誠にすはりたる故に迷はず。只本願を誠に信じ、決定して三尊来迎の夕を待つべし。

 

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