以下五來重の「宗教歳時記」に依ります。
「夷講は所によって正月十日、正月二十日のこともあるが旧十月二十日(十一月二十日)におこなうところが多い。・・戦前までは東北から関東、中部地方までは旧十月二十日の夷講を祝わないところはなかった・・。私の子供の頃は旧十月二十日は十二月初めにあたり、‥木枯らしに吹かれながら家に帰ると床の間に桝が出ていて、帳面や算盤がのっていた。その隣の丼鉢にかならず鮒が二匹入れられていた。鮒は翌日はかならず井戸に入れて放した(これは罪償いの放生の為)。床の間には漁夫の姿で烏帽子をかぶり襷で袖をたぐって大きな鯛を抱えた恵比寿神の掛け軸があった。そしてこの日は恵比須様が旅から帰ってくるのを迎えるのだというふうに教えられた。・・源平盛衰記には「蛭子は三年迄足たたぬ尊とておはしましければ、天石櫲船に乗せ奉り、大海が原に推し出して流され給ひしが摂津の国に流れ寄りて海を領する神となりて夷三郎殿と顕れ給うて西の宮におはします。」とある。・・
夷信仰の成立したもう一つの神話は出雲の大国主命と事代主命伝説である。大きな鯛を抱えた恵比寿さんは事代主で、打出の小槌を持った大黒さん(大国さん)は大国主命と信じられている。事代主は天孫降臨にあたって、葦原の中国を天孫に奉献すべしと父大国主命に進言して海に沈んで死んだことになっている。日本書紀に「因て海の中に八重蒼柴籬を造りて船枻を踏んで避りぬ」。‥日本人は海の彼方の常世から寄り来るものを福神としたので‥夷も事代主も常世から「寄り来る神」として夷神だった。・・」「この福神を祀るためには・・懺悔が必要であったが、誓文祭は懺悔の名残である。・・誓文払いは罪穢れを払い懺悔することで最大の滅罪懺悔は「施し」をすることである。・・」
・兵庫県西宮市の「えびす宮総本社 西宮神社」では11月 20日 午前10時から
「誓文祭 併 下旬祭」がおこなわれます。以下「えびす宮総本社 西宮神社」のホームページです。
「当社では年の初めの「十日えびす」を始め、諸々の祈願に対する報恩感謝のおまつりとして、10月20日のえびす講の日、新暦で11月20日に誓文祭(せいもんさい)が行われております。誓文祭は、京大坂の商人が平素の利得に感謝し、えびす講の日には利益を考えずに商品を安売りし、神仏に感謝しようとしたことから起ったとも言われています。」