福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

人に仏性を垣間見るとき

2012-04-15 | 講員の活動等ご紹介
福聚講のみなさまへ

いつもお世話になっております。中塚です。

先日、こちらのお話を高原さんに差し上げたところ、
良い話なのでぜひブログにも掲載をということでしたので、
みなさまにもお読みいただけますと幸いです。



某大学病院を少し前に定年で退任なさったお医者様(K先生)からお聞きしたお話です。

「今から40年近く前、駆け出しの医師のころ、
精神科の病院の夜勤の当直医に通ったことがあった。

その病院には、入院患者さんのリハビリ用に、卓球室があり、
自分が当直室で待機していると
入院患者の若い男性がやってきて、
卓球に誘うので、
毎週一緒に卓球をするようなった。

彼の卓球の腕は、はなかなかの腕前だった。

この夜中の卓球の練習試合の回数を重ねるうち
次第に、かれはわざと空振りをしたり、ミスをしたりして、
私を勝たせようとしたり、
剽軽滑稽にふるまって笑いを誘ったりしてくれるようになった。

(患者である)彼が(医師である)自分を、
一生懸命にもてなし楽しませようとしてくれていて、
実際、自分もそれを楽しんでいることに気がついて、はっとした。

彼のほうが私より、人としての器量がはるかに大きいのではないか。

その彼の存在は、
いつまでも自分の医師としての原点にあって、
忘れることのできない経験になった。」

この話を伺って、
この精神病の患者さんが持っていた相手を楽しませたり、
喜ばせたりすることに自分を砕く器量が、
観音様の慈悲の心に通じるものに思え、
人には仏性が必ずあるということの実態とは、
こういうことではないだろうかと、
そのような気がいたしました。

貴重なお話で気付きをくださったK先生に感謝申し上げます。

また、「仏性」の存在、慈悲と寛容を、
若輩の私に、経験的に教えてくださった高原様はじめ講のみな様とのご縁のありがたさは本当に身に染み、
諸先輩のご恩に報いるべく、
微力ながら、この仏縁を広げることに力を尽くしてまいりたいと存じます。

講の活動も丸4年がたち、6月には5年目にはいります。

今後ともよろしくご指導のほどお願い申し上げます。
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