二、無常の理を観念し窃かに巡拝を決心
四国巡礼反対の父に再度お許しを願うと父は怒ることは明白である。すると母にまで迷惑がかかることとなる。こうして父母を悩ませることは大変な親不孝になる。
しかし先日檀那寺のご住職の法話に「人の命は限りあり、世の草々は限りなし。限りある身を持ちながら、限りなき浮世の事に屈執するは実に危うき極みである。『哀れなり たとえば思ふ あらましを 叶ふたりとて 幾何の世ぞ』とは明恵上人の歌である。『明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは』という歌もある。生まれてから死ぬまでを扱う儒教では親のいいつけを聞かぬものは不孝とされる。しかし儒教の教えのエッセンスを体得している堯・舜・周孔のような人でも他生の父を救えてない。顔回孟軻のような人でも前世の母を助けることができなかった。しかし、お釈迦様の弟子、目連尊者は母の餓鬼道に落ちているところを救った。こういうことを考えると今しばしの間不孝といわれようと今お四国参りをして功徳を積み将来浄土に生まれることができればその時父母を導けばよいと思われる。お釈迦様も父母を置いて出家されたではないか。芳江はこう考えると決心し、父孝七のいる居間に向かって合掌して「しばしお暇たまはるべし」といい、母にも「朝夕寂しく思はれるでしょうがお許しを」と拝んだ。
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