福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

地震被災の方々への祈り・・続

2011-03-19 | 講員の活動等ご紹介
11日の惨事がおこってから毎日ほとんどの時間を祈願ですごしていますが、今朝も被災者の方々の安寧と原発惨事の沈静化、作業員の方々の安泰の祈りの中で昨日までよりはいくらか本来の修法の感じが取り戻せてきた気がし始めました。

今朝は諸仏のご真言をくりかえしお唱えしているなかで2つのことが心に浮かんできました。

1つは、今回の悲惨な犠牲者の方々はまさに我々の無始以来の深い共業を代わって受けてくださった「代受苦の菩薩」様なのであり、さらには犠牲者の方々は、この代受苦行により世界の人々に対し、「布施」「愛語」「利行」「同事(相手と同じ立場に立つこと)」という菩薩行を行う機会を与えてくださったのであるということを痛切に感じました。

2つ目は、11日以来拝むたびにどうしても心が乱れてこうした惨事を引き起こした「自然」への恨み心がでてしかたなかったのがやっと悪いのは自然ではなく自分の心だったとわかったのです。

昨日来性霊集を読み返すと、お大師様の「恵果和尚の碑」の中に「一たびは明らかに一たびは暗きこと天の常なり。」(明るいことがあれば暗いこともある即ち吉凶はあざなえる縄のごときものであることは天の道理である)とあったことや、
「天長皇帝大極殿にして百僧を屈するあまごひの願文」に「・・・三綱(君臣、父子、夫婦の道)弛み紊れて、五常(仁義礼智臣)廃れ絶ゆるときは旱澇飢饉し邦國荒涼す。國十善をおこなひ、人五戒を修すれば、五穀豊登し、萬民安楽なり。」とありました。すなわち人々の行いが悪ければ自然災害がおこり、行いが治まってくれば国は安泰であるとあったのです。悪かったのはのは自然ではなく我が業とそれをひきおこしてきた我が心であったのです。
これからは本気で自分の身心を治めていかなければ被災者の方々に本当に申し訳ないと思った次第です。
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